歴史とは何か
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では、「人の生活とはどういうものか」。
津田は以下の十項目を挙げる。 第一に、生活は時間的に進行するもの。時間的過程の進行が伴う。 第二に、人が何ごとかすれば、その前と後では変化がある。しかし持続もしている。持続があるからこそ、変化がある。 第三に、生活は絶えず動いていて一刻も静止していない。その動きは順次前のをうけて後ろのを起こしてゆくから、生活の動きは絶えることなく連続している。したがってその間にくぎりをつけることはできない。 第四に、どんな一言一行でも、生活の変化によって、そのはたらきをかならず後の生活に及ぼす。 第五に、絶えず動いている生活は、二度と同じ状態にあることがない。 第六に、生活を動かしてゆくものは、心の働きである。心のはたらきというのは、理知および生活気分といわれるようなものである。心のいろいろのはたらきは必ずしも調和しているものではない。従って、そういう心のはたらきが生活を動かしてゆく動かし方も単純ではない。 第七に、人の生活は一つの生活であるが、それには多方面がある。いわば多方面の生活が一つの生活なのであって、それ故にこそ時に生活の破綻も生じる。 第八に、生活は社会的のものである。社会のはたらきを受けながら社会にはたらきかけるのが人の生活である。 第九に、人の生活は歴史的のものである。民族史国民史のいろいろの段階において生じたものが共に存在している。 第十に、人は環境のはたらきをうけつつ、それに対応してそれを自己の生活に適合するようにしていこうとする。 環境は、それを形づくるものの間に調和のない場合が多く、生活をかき乱される。 ただ剛毅なる精神と確固たる生活の理念とをもっているものが、環境に対して能動的なはたらきをなす。
以上は個人の生活についての考えである。
歴史は生活の姿であるが、通常の場合、それは個人の生活をいうのではなくして集団生活、特に民族生活または国民生活、をさしていうのである。 そしてその生活は個人のに比擬して考えられるのである。 ただ集団の生活を動かす心的なはたらきは個人の場合よりも遥かに複雑であり、生活そのもののはたらきもはるかに多方面であり、特に生活の主体が多くの個人によって形づくられている。
歴史を知るということは、具体的な生活の過程を具体的なままに意識の上に再現させることである。
刻々につくってゆく歴史を、作って来たものとして見る立場に立って、その作って来た過程を具体的な過程のままに再現し叙述するのが歴史を書くことなのである。 |

無宗ださん、全くその通りだと思います。
人間は歴史から学べることは、人間が歴史に学ばないことだそうです。
仔細なことまで「理」を求めれば愚行の謗りを受けます。
しかし国家的重責の立場で意思選択を迫られた時、己が育んできた「理念」で先人は決断しました
その決断力こそが指導者たる存在価値です。
反対の声は強く、凄まじい。
それでも決断したならば実行するべきです。
道理のわき道で右往左往したり、付和雷同はいけません。
状況に順応することは指導者の取るべき姿ではありません。
2008/12/30(火) 午後 2:24