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今日の授業中、並行世界ネタの話をカリカリとまとめてました。
プロットではなく、相関図というか。設定まとめというか。
並行世界といえば、この世界とはよく似た異なる世界があって、そこにはもう一人の自分がいる、と。
なんで急にこんなネタを出し始めたかというと、
人文学部校舎の地下におそらく教授の持ち込みと思われる漫画が並んでまして。
その中に、あのアニメにもなった『ぼくらの』があったのです。
で、つい先日それを読破しまして。
あの中に並行世界ネタがあったのですね。
この世にはいくつもの地球があって、『ぼくらの』戦いは地球の可能性を試している。のだと。
これを読んで、並行世界の思想の真理はこれなんじゃないかと。
てか、自分でもこの設定をやりたくなったと。
並行世界に限らず、多数の異世界が存在するというのはファンタジーの王道というか基本です。
クランプの『ツバサ』や『ホリック』。最近読んでませんが、あれはいくつもの異世界を肯定した設定。
『ツバサ』のようにいくつもの世界を旅する物語だと、何故異世界は存在するのかという問題もあるわけで。
話の設定といえばそれで終わり。
現実でだってその存在を証明し証拠をあげれていないから、『絶対に存在しない』なんて事は誰も言えない。
シュレディンガーの箱猫説ですね。数学の話になっちゃったよ。
箱猫説で否定されない思想ってけっこうありますし。
並行世界や異世界設定だって実は真実かも。
では何故異世界は存在するのか。
んなもん箱が開けられないとわかりませんが、
『ぼくらの』を読んだウソツキは『世界の可能性を試す』が真実なのではと思いました。
誰が試しているというのだろう。どうやって試しているのだろう。
これはどちらもウソツキ達世界の住人そのものなのではないかなぁ。
全てのモノは森羅万象『可能性』というものを持っています。
こうやって生きているウソツキ達もわずかな確率の上で生誕しました。父母も、祖父母も同じ。
わずかな確率で友人達と出会い、わずかな確率で趣味を持ち、色々なものに触れて『現在の自分』を作ったわけです。
ウソツキの向かい合っているこのPCも色々な素材から選びとられたものがパーツになり、多くのパーツの中から選びとられたわずかなものがこのPCになったわけで。
そうやって作られた多くのPCの中からウソツキのPCになったのです。
このPCが作りだしたデータにも様々な可能性があったわけで。
世界はとても多くの可能性の中からわずかなものを選びとって現在を作っています。
もし違う可能性を選びとっていたら……その結果を試しているのが異世界なのではないでしょうか。
ザ・スニーカーにドアーズって小説がありましたね。今どうなってんだろ。
あれも異世界もので、たぶん作者はこの思考回路で話を作っていると思います。
ウソツキ達は何か失敗した時に、「あの時ああしていれば」と考えます。
何か嫌な事があった時に、「自分がこんなだったなら」と考えます。
そんな可能性の希望がウソツキ達自身には作用せず、異世界の中で作用している、または異世界を生み出しているのではないでしょうか。
異世界を作っているのは『世界の住人』。異世界で可能性を試しているのも『異世界の住人』です。
ただ、可能性を望んだ者達は『可能性の結果』を見れない。
それを見てしまったのが並行世界や異世界設定を使った物語ではないか。
話変わって?
この異世界設定。何でもありですよね。
妖怪や神様や妖精がいてもいいし。魔法やなんかだって異世界で使えたりするわけで。
超高度な文明もあれば、少し古い感じの文明が進んでいてもいい。まったく知らない文明が栄えていてもいい。
並行世界のもう一人の自分が人間である必要はないですよね。
いや、今日書いてた設定がそんな風になったって話です。
皆夢見る、「もし自分が変身ヒーローだったら」とか、「超能力が使えたらなぁ」とか。
そうやって夢見た可能性の世界と繋がりがあったら。そこにいるもう一人の自分はどんな奴だろう?
ウソツキは『小説家なんて夢をまったく持った事がない自分』とか、『魔法も使えて話もできる大豆豆』の自分が見てみたいです。
しかし、もう一人の自分がいるからって、そこまで違うのは並行世界設定になるのか……?
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