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ダービー2勝の松山吉三郎元調教師死去
ダービー2勝の元JRA調教師、
松山吉三郎氏が20日午後5時10分、病気のため死去した。
89歳。29年に騎手見習いとして名門の尾形藤吉厩舎に入門。
ジョッキーとして活躍した後、50年に調教師免許を取得し東京競馬場所属で開業した。
52年にスウヰイスーで桜花賞、オークスの2冠を制覇。
62年にフエアーウイン、86年にダイナガリバーでダービーを優勝。
さらに60年スターロッチ、86年ダイナガリバーで有馬記念を勝つなど
8大競走10勝、重賞55勝、通算ではJRA史上第2位の1358勝を挙げている。
子息の松山康久師も83年ミスターシービー、89年ウィナーズサークルでダービーを制し、
父子ダービー2勝の偉大な記録を樹立。94年2月に定年で引退。
葬儀・告別式は27日正午から府中市浅間町1の3、府中の森市民聖苑第3式場で行われる。
喪主は妻ナカ子さん。
[2006年12月21日19時17分]日刊スポーツより
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ニュースの記事を検索していて、私は『あっ』と声を上げた。
思いがけない方の死亡記事を見落としていたからだ。
松山吉三郎元調教師。引退された後も、
ジャパンカップの追い切りにはお一人で見えられ、
『あれはどこの何と言う馬』と、聞いてこられたことが何回もあった。
一番初めにお見かけしたのは、シービークロスが引退して、
新冠の奥の樋渡牧場に種牡馬入りした時だ。
静内の日高軽種馬協会の種馬場に降り立ったモンテプリンスの無事を確認し、
その脚で同乗して新冠にやってきたシービークロスの様子も確かめるべく、
日高軽種馬農協の岡組合長(当時の)の運転で馬運車の直後に到着したのだ。
まず、松山、シービークロスと書かれたのしが付いた日本酒2本が下ろされ、
続いて、純白に近い芦毛のシービークロスが真紅のバンデージをつけて現れた。
遠来のシービークロスのために用意したにんじんとリンゴをポケットに入れていた私は、
松山先生に食べさせても良いかと聞くと、
『喜びますから、やってください』と、笑顔を向けてくださった。
その後新冠畜産センターで担当することになる八木のコーちゃんが、
手早くバンデージを撮る間、シ
ービークロスはにんじんとリンゴを気持ちの良いほど音を立てて、
口元をオレンジピンクに変えていた。
その後、種牡馬シービークロスは、タマモクロスなどの活躍馬を出し、
日本の馬産に大きく貢献した。
私は、デビュー2戦目からダイナガリバーを応援していたので、
ダービーと有馬記念を制覇した4歳(元3歳)の活躍はとても嬉しかった。
また、帯広畜産大学場術部の柏嶺は、競走馬名サザンアルプスは、
松山調教師最後の管理馬の一頭である。
吉永正人元調教師の先生でもあった松山吉三郎元調教師。
心からご冥福をお祈りします。合掌。
ダイナガリバー
柏嶺
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ダイナガリバーで初めて社台はダービーを取りましたよね。吉田善哉さんの夢が叶った瞬間でもありましたね。ところで岡組合長って新冠町長された方ですよね。私が北海道に住んでいたころに町長をされていたように記憶しています。でもこの記事の出来事はそれよりも遥かに前のことのようですね。
2006/12/23(土) 午後 9:13 [ kin*ka*eka*e ]
kingkanekaneさん、1985年のことです。岡さんは日高軽種馬農協組合長を経て、平成元年に新冠町長に当選しました。
2006/12/23(土) 午後 9:27