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上高地の名前の由来
上高地とは、現在、正式には、大正池、河童橋、明神、徳沢、横尾。
この間の16キロに及ぶ、
梓川流域の平坦な盆地を言う。
大昔より
峠の下の村の領地として、上口、または、上河内 「かみこうち」と、
呼ばれていた。
ただ、太平洋戦争前まで
上高地の入口であり、
中心地であったのは、徳本峠を下りた場所、今、明神館のある、明神の地。
頭上の穂高岳の鋭い、岩峰群が、まっ先の上高地の景色でした。
穂高岳は穂高明神の御神体。現在名、明神岳岩峰群 。
現在は、穂高岳と言う山が、地図上に無いのは、 このためです。
ゆえに、現在の明神地区だけは
特別に、「上」の代わりに
明神から神社までは、神域で、有ることから、
「神」の字を使い、
「神河内」(かみこうち)、と呼ぶ事が許されていた。
かみこうち全体を呼ぶ場合は、
「上河内」から、「上高地」と、
書くようになり、
かみこうち。
穂高神社では、
「神降地」(かみこうち)、というが、
明神とは、現人神(人間)
安曇族(海族)日本最初の海軍の大将軍が、天から降りることは無い。
北九州志賀を最初の根拠地とする、安曇族(綿積)の神です。
ただ、
穂高岳=明神岳の朝焼けは、
まさに「神降りる地」 神降地を感じさせる、
てっぺんから、下に降りて来る感じは、
荘厳さが有り、見た者でしか、わからない。
写真は、江戸時代、
「善光寺道名所図会」の穂高岳、
穂の様に何本も鋭く、高い。真下に穂高神社奥宮と明神池(三霊湖)
最近は、信州長野県のパワースポットの一つといわれてます。
余談ですが、
峠(現在名、徳本峠)から、見た景色を、
イギリス人、技師、ウィリアム ガーランドが、日本アルプスと名づけております。
その後、日本中遊んでいた、ウェストン卿が、徳郷(現在名、明神)を、主体とした、
上高地牧場から、2名の案内人を借り、山遊びし、本で広めた。
さらに、昭和初めまで、穂高連峰と呼ばれたのは、峠からの景色。
昭和初め、釜トンネルが出来るまで、
今のように中の湯方面から、
誰一人も、
かみこうち、には、入る事は、できなかった。
昭和30年代に入り、河童橋付近が、観光地として、避暑地として、非常に興隆し、
河童橋が上高地のシンボルとなるに至っています。
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