見 学 日:平成19年10月7日
見学場所:西念寺
五街道ウォークの書庫でサクッと紹介した「服部半蔵の槍」を掘り下げて紹介したいと思います。
西念寺は、JR四谷駅から徒歩5分程度の距離に位置しており、伊賀上忍の頭目として名高い服部半蔵正成が開基となっている由緒ある古刹です。
半蔵は徳川十六将の一人に数えられる家康の信任厚い武将でした。掛川城攻め、姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、長篠の戦いなど、徳川家の主だった戦に従軍し、槍の名手として「槍の半蔵」の異名を持っています。西念寺にある槍は、三方ヶ原の戦いの戦功によって主君・家康から与えられた物と伝えられています。
また、西念寺には、家康の嫡男・徳川(岡崎)三郎信康の供養塔も建立されています。
天正7年(1579年)、徳川信康は織田信長に「武田家に内通している」との嫌疑をかけられ、切腹を命ぜられました。この信長の行為の裏には、信康の器量が織田家の嫡男・信忠よりも勝っていたため、将来を憂慮して後顧の憂いを断つために採った策とする説もありますが、家康は信長の命に抗しきれず、半蔵に介錯を命ぜられました。
ところが、半蔵は御曹司の介錯という役目の恐れ多さと悲しさのため、震えと涙で役目を果たせず、このことが心の傷として残り、後年、信康を供養するため半蔵は仏門に入り「西念」と号し、麹町の清水谷に安養院を建立しました。安養院は、江戸城の壕の拡張工事の際に四谷に移され、西念の号をとって「西念寺」と改められ、服部家の菩提寺となりました。半蔵自身も慶長元年(1596年)に没し、西念寺に葬られています。
件の槍は「新宿区有形文化財」に指定されています。
現存する部分で長さ258cm、重さ7.5kg 堂々たる業物です。
実はこの槍、本来はもっと長く、もっと重かったそうで、槍の穂先の方は地震の際に、槍を守ろうとした半蔵が清水谷に投げたときに30cm程折れてしまい、柄の部分は昭和20年5月29日の空襲(東京で最後の空襲だったとお聞きしました。)の際に、住職が燃えにくい芝生の上に持ち出しましたが、火勢が強すぎて一部が焼けてしまいました。
完全な状態であれば、全長4m近かったのではないでしょうか。全体の画像は「五街道ウォーク」の書庫でご覧ください。

↑↓上部半分が燃えてしまっています。下側は芝生により炎から守られたそうです。
400余年前の戦国時代の面影を追って、思いがけず空襲というわずか60数年前の歴史の爪痕に触れることになりました。
各地の天守をはじめ、同じように燃えていった武具、書状…その数は想像を絶することでしょう。人命も文化も歴史も破壊してしまう近代・現代の戦争について考えさせられる1日でした。
見学については、法事等の予定が入っていなければ応じていただけると思います。(必ず数日前に事前連絡を!)
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詳細記事ありがとうございます!^^
2007/10/19(金) 午前 7:47
服部半蔵といえば千葉真一⇒「影の軍団」^^
2007/10/22(月) 午後 10:01
makuさん
未確認情報ですが、半蔵の槍を「持たせていただいた」方もいらっしゃるようですよ。
2007/10/24(水) 午前 0:41
よよさん
どうやら西念寺には半蔵の肖像画も存在するようです。
主君のためならば冷酷無比に徹するイメージがありますが、肖像の顔立ちはむしろ「好々爺」だそうです。
千葉真一は、今年から「=板垣信方」というイメージも定着しましたね。
2007/10/24(水) 午前 0:45
服部半蔵について参考になりました。
槍の名手だったとは知りませんでした。
2008/7/1(火) 午前 6:44 [ sig*yos*24 ]
sig*yos*24さん
コメ有難うございます。
意外な一面ですが、本人からすると「忍者」のイメージの方が意外なのかもしれませんね^^
2008/7/4(金) 午後 6:47