神明神社と「鵺」退治
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元は藤原忠通(近衛天皇后妃の養父で摂政関白太政大臣)の邸宅に天照大神を祀る鎮守の社でした そしてこの藤原邸は近衛天皇がしばしは皇居とする「四条内裏」または「四条東洞院内裏」と呼ばれて いた所でした・・・・社はその後もずっと祀られ続け、現在は町内(神明町)がお守りをされています ていたのを戦後合祀されています(文子天満宮自体は枳殻亭の北にあります) 源頼政が鵺退治に赴くのにこの神社で矢に祈願をしたといわれています 堀河天皇の頃にも現れた“鵺”は源義家が弓を鳴らして退けた事があり、今回も武家に任せようと 推されて源頼政が郎党・猪早太(いのはやた)ひとりを付け退治の任にあたる事になりました はたして、またもや黒雲に乗じて不気味な声とともに顔は猿,手足は虎、胴体は狸、尾は蛇という 化物が現れます 頼政は祖先・源頼光の弓と山鳥の羽根の矢2本を携え迎え撃ちます 鵺に放たれた矢は見事に鵺を射落とし、今の二条城の北あたりに落ちた鵺は早太により止めを差され 切り刻まれて、木を繰り抜いた丸太舟に乗せられ鴨川から淀川さらに瀬戸内海へと流されました この流されたバラバラの遺体がそれぞれの場所で厄災をもたらしたようです その一部がたどり着いたのが謡曲「鵺」の舞台、芦屋の浜辺です この2本のうち1本は鵺のために、もう1本は失敗する事で失脚を狙った推挙した役人のために 「平氏であらずば人にあらず」といわれたほど中央政治が平家の者に牛耳られる中,頼政の地位が 疎んじられていた様で、頼政にとっても覚悟を決めての役だった様です この鵺を退治した功により頼政は帝から“獅子王”という宝刀を拝領します 鵺の止めを差した矢じりだか刀だかを洗った池とされています 鵺はこのような姿だといわれています・・・もともと鵺鳥というのはトラツグミのことを指し その不気味な声が良く似ているので「ヌエ」と呼ばれるようになった様です 「旅の僧が摂津国芦屋の里で一夜の宿を求めるが断られ、仕方なく幽霊が出るという御堂で一夜を 明かす事になる。するとそこへうつほ舟(丸太舟)に乗って怪しげな男が現れる。暫く問答をし ているうちに男は自分が鵺の亡霊であることを明かす。昔、天皇の命を狙っていたところを源頼政 によって矢で射殺された様を語り、死後の悲しみを明かすと僧に弔って欲しいと頼んで消える」 中入 「僧が約束どおり経を読んでいると鵺が顔が猿、手足は虎、尻尾は蛇という本当の姿で現れる。 自分が天皇を苦しめたために頼政に退治された様を見せ,名声を得た頼政とうつほ舟に押し込め られて淀川に流された自分の姿を対比させる。そしてなおも成仏できる事を願いながらも沈んで いく月とともに闇の中へと消えていってしまう。」 「暗きより 暗き道にぞ入りにける 遙かに照らせ 山の端の月」 と和泉式部の歌を引用して このような身でも末路は照らされて欲しいと鵺は消えていく 保元・平治の乱を勝組につき源一族の中でも生き抜き、従三位まで上った頼政も「以仁王の乱」 ではついに武運も尽き逃げ延びた平等院でついに自決して果てることになります 世阿弥も父親・観阿弥のことも考えながら勝者・敗者の運命の裏表を作品にしたのでしょうか こんな話もあります:鵺は実は頼政の母親であり、帝を悩まし息子が自らを討てば功績となり
出世の糸口になるだろうと・・・何ともいたたまれない話しですが時代が時代だったのでしょう |




アマガエル師匠 こんにちわ♪
へー ぬえってこんな想像上の生き物だったんですね
鵺って なまえだけはきいきたことありましたわ
四条内裏は どんなふうだったのかしら
きらびやかだったんでしょうね〜
その流れが いまだ残っているのが 不思議ですね ポチ
2012/2/12(日) 午後 3:37 [ 木蓮 ]
虎・蛇・猿に猪早太の猪で干支の四方が入っているのでどうなんでしょう?
上手く合わせた!ということでもないでしょうが
胴体の狸は書いてあったりなかったりなので・・・
この藤原忠通という人もなかなかの野心家で4代だかの摂政を務めてます
大河ドラマの平清盛にも出てきますよ(見られませんが)
なかなか大変な時代だったようにも感じました
いつの世も現れる異形の物には時代へのメッセージがある様にも感じます
このブログの記事を書いていて極めて消化不良を起こしてます
頭が悪いというか表現力が無いというか・・・
まあ、軽く流してくださいね♪
2012/2/12(日) 午後 6:45