オレがうつになりまして・5
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4.崩壊 ― spiral fall ―
これはここの場所から動かしてはいけない、このラインから外に出てはいけない、お前はここに書かれた動線以外のルートを歩いてはいけない、加工は効率を考えずに決められた順番でしか行ってはいけない、このルールブックに書かれている以外の行動には宮内の許可が必要…。
宮内の敷設したルールは、ものの見事に一部の方向にはその効果を発揮しました。
完全に、私の作業上の自由は奪われました。
私は、何も出来なくなりました。
完全に、息の根を止められました。
地面に貼られた2メートル×3メートルほどの白いラインテープの内側だけが私のいて良い場所であり、動きをわずかでも止めることやそのエリアから出ることは全て仕事上のムダと評価されるようになりました。
全く印刷を知らない、更に全く現場を知らないまま今まで過ごしてきた宮内が考えた、効率とは全くかけ離れた、彼の考える効率の良いルール。
今まで私が培ってきたノウハウや技術はすべてと言っていいほど否定され、彼の思う印刷作業というものを具現化させる空間が、そこに出来上がりました。
当然、現場の意見を全く組み入れないで作られた作業ルールを遵守することで生産効率は更に落ち、私は数字とルールの両方に追い詰められていきました。
苦悩の日々が続き、このままではおかしくなってしまうのではないかと思い始め、私は宮内にもっと現場に立ち返ったルールにして欲しいと懇願しました。
しかし彼に何を言っても無駄で、決まって帰ってくる彼の言葉はこういうものでした。
どんなに納得のいかないものでも、俺たち管理者が結果を出すことを目的として考えたルールは、現場のやつらが何を言おうが絶対効果があるんだから、それに従ってまずはやって、不具合が出たらそのときはそのときで考えればいい。
やってみたけど、だめだったんだよ。
この恐ろしく限られた条件の中でどれだけ知恵を絞っても、与えられた材料が少なすぎて改善できないんだよ。
どうして、現場で知恵を絞って長いこと働いてきた人間の意見は否定されるばかりで、加味される事は無いのだろう。
どうして、不具合が起きてから直すのではなく、問題が起きないルール作りをしないのだろう。
どうして、そこまで根拠の無い論理や自信を吐き出せるんだろう。
どうして、どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどう
この時点で、私は死ぬことにしました。
もういいや、疲れた。
さすがにこれは残してくれとか、ここは動かさないで欲しいとか、言っても全て俺はお前よりも立場が上だから、お前は作業員でしかないのだから従うのが社会のルールだの一点張りで却下される。
宮内は私を呼び出し、印刷工程全体でお前の能力が占めている部分は少ないし、このまま行ったらお前は必要なくなるから覚悟はしておけとも言われた。
じゃあ、もういいじゃないか、消えよう。
消えてしまえば楽になるから。
私は、夜、国道4号線に架かる橋の上に立ちました。
下はかなりの速度で走り抜ける車のテールランプが次々と赤く尾を引いていました。
私は手すりに手をかけようとしましたが、その時は不思議と怖いとか後悔とかそういったものはありませんでした。
ただ、ひどく寂しかったのを覚えています。
そして、恐ろしいほどに冷静になっていたそのときの私の頭には、きっと命を絶つという事に対していくつかの?マークが浮かんでいたのだと思います。
そんなこともあってか、流れ続けるテールランプを眺めながら私はこんな事を考えました。
きっと宮内は笑うだろう、俺を死なせたことを後悔はしないだろう…。
次の瞬間から、とめどない疑問が私の中に浮かび上がり始めました。
待て、宮内を後悔させるために俺は死ぬ?
違う、楽になるためだ。
楽になるって何なんだ?
しがらみから開放されることだ。
俺を縛るしがらみはとは何だ?
無能な人間が考え、強制させられているルールだ。
俺が解放されたいのは、本当にそのルールか?
解らない。
自分で決めたルールじゃないのか?
俺が。
誰にも嫌われたくない、苦労は報われるという理念が作り出したルールじゃないのか?
俺は。
報われない苦労もある、時には嫌われることも必要じゃないか?
存在を否定されたくない。
俺の意見や主義・主張はどこにある?
外側には無い、表面にも無い、内側だけに存在してる。
主義や主張を飲み込むことで、イイヒトを演じ続けてきたんじゃないのか?
それが生き抜く術だった、仕方ない。
仕方ない結果を受け入れて、仕方ない死を選んで、俺の周りは仕方ないで済むか?
…。
俺の独善で決めたルールで、勝手に周りを巻き込んで、それは俺の知る誰かの行動に似ていないか?
…宮内。
このままじゃ、俺は、あいつだ。 自分のエゴで迷惑をかけるだけなんだ。
……………。
しばらくテールランプが見えないようにぎゅっと硬く目をつぶり、橋の上で私は、延々とこんな自問自答を繰り返し続けました。
宮内と同じような行動はしたくなんかない。
私は、私として自我を持った一個の人間なんだ。
今は、生きよう。
少しぐらい抵抗してみよう。
私の心は決まりました。
私は、手すりから離れて橋を渡り、そのまま車に乗り込み、妻の待つ家へと帰りました。
生きることを、決断しました。
戦うことを、決断しました。 |
