熟年設計者のたわ言

この頃考える若かりし設計者時代のことごと等を、 特に生産用の型・設備(一品一様設計)を主体に書いてみます

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『ヨコハマ・ヨコスカ・ストーリー』

先日横浜に出た目的の一つは、神奈川県立歴史博物館で行われている『ヨコハマ・ヨコスカ・ストーリー』という戦後文化展示を見ることでした。
 
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戦略爆撃の惨禍から素早く立ち上がった我々の父母の世代のバイタリティーには本当に感心しました。
一方で、この戦争が終わってまだ100年経っていないのですね。
不戦の誓いなどと言っていますが、日本はどのくらい対外戦争をしたのでしょうか?
(侵略戦争かそうでなかったのか?などという論議は除きます)
 
1940年代 : 第2次世界大戦(日中戦争含む)           戦域:国内含む 勝敗:負け
1910年代 : 第1次世界大戦(シベリア出兵、韓国併合含む)  戦域:国外    勝敗:勝ち
1900年代 : 日露戦争                          戦域:国外    勝敗:勝ち
1890年代 : 日清戦争                          戦域:国外    勝敗:勝ち
1590年代 : 慶長・文禄の役=日朝戦争               戦域:国外    勝敗:引分け
1270年代 : 弘安・文永の役=日元戦争               戦域:国内    勝敗:引分け
 660年代 : 白村江の戦い=日唐戦争                戦域:国外    勝敗:負け  
 400年代 : 好太王碑より=日・高句麗戦争             戦域:国外    勝敗:引分け
 
この様に見ると明治以降の頻繁な戦争を除いては、数百年に一回は対外戦争を行っていることになります。
戦績は、3勝2敗3引き分け 大変は負けに近い引分けが多かったので 3勝4敗1引き分けというところでしょう
 
頻度から言ったら、巨大地震並みで、昨今の戦争の被害レベルからいったら、その被害は巨大地震を超えます。
巨大地震が来たときも想定外の地震だと言っていましたが、戦争も想定外で起きたのでしょうか?
問題は、不戦の誓いなどしても戦争は起きるときは起きてしまいそうです。
戦争の良し悪しを論議するのではなく、数百年に一回の割で、戦争が起きるとしたらどうするか?
いわゆる有事の論議をしておくべきだと思います。
戦争放棄をすれば戦争は起きないと思い込んだりする、すなわち神話を作ることが問題ではないでしょうか?
 
地震と原発の論議の同様です。脱原発は良いとして、停止中また廃炉予定の原発を地震が襲ったら、また米国が一番気にしているように巨大竜巻が襲ったら、どうなるのか、有事を措定して検討は進んでいるのでしょうか?
大きな竜巻が発生していますが、福島原発の真上を通過したらどうなるのだろうか?
 
昨日も菅総理が質問を受けていましたが、責任を認めた認めないという論議は基本的には意味をほとんどなさず、あの貴重な経験から何を取り出し、今後の対応策に生かすかが課題だとおもいます。
 
戦争も含めた巨大な惨禍には、誰が悪かったというような責任論を切り離し、不幸にもその惨禍がおそったらどう行動すべきか、そのためには何を、誰が、どこまで準備すべきかを論議することが必要に思いますが、いかがでしょうか?
 
追記:
世界各国ではテロと称する暴力がまかり通っています、日本は安全といってテロは論外ととらえていますが、原発に対するテロ対策(サイバーテロも含め)はどうなっているのでしょうか?
安全対策上国民には知らせないこととして、キチンと対策がなされていればよいのですが・・・・・
 

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黒鋼の船:氷川丸

先日山下公園で久しぶりに氷川丸を見ました。
 
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ブログにするにあたって氷川丸のことをちょっと調べました。
 
昭和5年に建造された貨客船だそうですので。御年82歳です。
現役を離れたと言いながら、いまだ日本郵船歴史博物館の一員として船の紹介活動に頑張っています。
 
当初は当然貨客船としてシアトル航路を中心に活動していました。
  (技術屋が花々しく設計者として頑張った時期と同じですね)
戦争になると、政府徴用船、および海軍特設病院船となりました。
  (組織の危機的状況をうけ技術に関係あろうがなかろうが、
      何でもありで、がむしゃらに仕事をしたみたいなものですか?)
その間、触雷したこと3回にも関わらず、沈没を免れたそうです。
   (病気で入院すること3回、でも生き抜きましたということですね)

戦後も引き続き病院船のまま復員輸送に従事し、昭和22年に復元工事で貨客船に戻ります。

   (転職し、再度技術部門の仕事を担当しました、技術屋の本懐といったところです)

国内航路定期船、後に外航不定期船、昭和26年からはシアトル・ニューヨークおよび欧州航路定期船に就航したそうです。

   (小さい会社では管理職と言えでも現役設計者として働かざるをえません、頑張りました)

昭和35年、船齢30年に達し、第一線を退きました。
   (晴れて?????、年金生活になりました)

引退後は、平成15年に横浜市指定有形文化財に指定されました。竣工78年目にあたる平成20年「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープンしました。
   (退職後も年金をもらいながらも個人事業主になり、
              技術系のコンサルタントとして若い人の教育をしています)

なんか、船の一生は人の一生とだぶりますね。

氷川丸には展示船でもよいです、まだまだ、がんばってほしいものです。

 

ところで昔は黒く塗られた船が多かったのですが、最近は豪華客船といっても白く塗られますね。

「攻めるも守るも黒鋼の・・・・・・」ではないですが、重厚長大の代表、大きな船は黒色が似合います。

 

それにしても私が学校を卒業するころは、繊維業界はすでに不況で、これからは重厚長大の時代といわれ、「自動車会社に行きたい」といったら、主任教授に「君、海の者とも山の者ともつかない業界になにも好き好んで行くことは無かろうに」と言われた時代でした。

その重厚長大産業もあっというまに、造船不況、鉄鋼不況といわれ、そして海の者とも山の者ともつかない業界も、ビッグ3と言われたメーカーはじめ多くのメーカーが世界再編の波に飲みこまれています。

一方で、次は軽薄短小の時代といわれた家電や半導体業界も、いまは厳しい環境下にあります。

 

でも、

繊維業界が無くなったわけではありません

造船、鉄鋼業界が無くなったわけではありません

家電業界が無くなったわけではありません

半導体業界が無くなったわけではありません

ただ、残念ながら日本の次の基幹産業と豪語できる状態ではないだけだと思います。

まず基幹産業(鉄は国家の米などという)という言い方が成り立つ時代では無いようにもおもいます。

どっこい、我々の業界は生きているぞ、というようにお互い頑張りたいものです。

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ゴッホが描いた星空

平塚の博物館のプラネタリウムで「ゴッホが描いた星空」という番組をやっているので見てきました。
 
ゴッホが星空を描いた作品を写しながら、ゴッホの書簡の中から彼の心を探るような文面を紹介するような構成になっていました。
また、プレネタリウムですので、フランスのこの地方でははたしてこのような位置にこの星が見えたのだろうか?などということも紹介され、なかなか楽しい企画でした。
 
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下の写真はパンフレットからコピーさせていただいたものですが、「ローヌ川の星月夜」という作品です。
北斗七星が描かれていますが、この位置に見えることはないので、ゴッホのイメージの中で合成された絵のようです。
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ゴッホが生涯(37歳という短さですが)に描いた絵は2000点以上に登りますが、売れた絵はたったの一枚だそうです。
先のブログで紹介した高橋由一が画を描くよりも油絵を日本に普及させようという使命感に生きたのとは対極の画家人生で、ただただ絵を描きたいと念じ、そしてただただ描き続けた人生だったようです。
 
技術屋、設計者の多くも、こんなものを世に出したい、世に問いたいなどの夢は当然あるとおもいますが、企業の中で、その自分の夢実現のためわき目もふらず一生を過ごすことは、極めて難しいことだと言わざるをえません。
厳しいことを言うようですが、どこかで折り合いを付けざるをえません。
ただ、自分でつけた折り合いに納得するためにも、自分の夢を周囲に十分わかってもらう努力と、それを上手くおこなうためのプレゼンテーション能力は高めておく必要があります。
 
夢はすぐ実現しては夢ではないという慰め方もあります。
これも苦労に直面している時は有効な考え方だとおもいます。
 
追記:
プラネタリウムはほんとうに久しぶりに見ました。
写真はこの博物館が4年前に更新した投影機です。
昔の鉄アレイの親玉という姿ではなく、大型のネギ坊主という風情ですが、これがなかなかの優れもののようです。
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港:横浜

先日何年ぶりかで横浜の山下公園を歩いてみました。
 
大桟橋もずいぶんきれいになっていました。
我々の歳だと、港はやはり日本の玄関、海外との窓口という気持ちが強くします。
空港ではちょっとそのような気にはなりません。
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小さい頃、「日本は資源の少ない国です、どうしても、石油や鉄鋼石などは輸入しなければならないのです、ですから一方でそのような資源を上手に生かして、製品を作り輸出をし資源を買うお金を稼がないといけないのです」とならいました。
その通りだとおもいます。
ですから、輸入するのは資源、輸出するのは工業製品とずっと思っていました。
でも今はどうなのでしょうか?
食料品、高級バックなどの嗜好品、日用雑貨などの安価な製品、衣料品・・・・・あれと思うものも輸入しています。
「日本は労務費が高い国です、ですから日本でモノをつくると高くなります。従って賃金の安い国で作られた物、またはそのような国で作らせて日本に輸入するのが望ましいのです」
となっているのではないでしょうか?
これだと日本が稼ぐという手立てが何処にもないのです。日本がモノの輸出入で稼ぐのではなく、海外で物を作らせ稼いだお金を日本に持ってくるという、お金の出入りだけで稼ぐようになっているようで、なにか小さな頃に習ったことと異なっています。
もう一度、モノづくり屋と自負するなら、原点にもどって考える必要がありそうです。
 
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歩き疲れてちょっとベンチで一休みしようかと思ったのですが、ベンチはどこも下の写真のような様子です。
疲れた老人はやはり港には似合いません。座るのはあきらめました。
このベンチに座って、それが様になっていた頃もあったな〜〜〜〜
その頃の私たちは、左端のようかな?真ん中かな?ま、右のカップルの様なことはなかったような・・・・・
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高橋由一展

東京芸術大学大学美術館で、高橋由一展があったので見てきました。
私は、「好きな画家を一人挙げよ」と言われたら、近代洋画の開拓者と呼ばれる高橋由一を上げます。
重要文化財に指定されている『鮭』や『花魁』は学校の教科書などの載っていますのでかなりの人が、作品はしっていると思うのですが、『高橋由一』といっても知らない人の方が多いのではないでしょうか?
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以下はパンフレットの各ページをコピーさせていただきました。
コピー禁止と書いていないし、芸大はともかく高橋由一だったら喜んで許してくれるのではないかと勝手に自分の都合の良い方に考えました。
 
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この展示会では、彼の描いた、「栗子山隧道 西洞門」という絵を一度見てみたいと思っていたので、それが見れたのが一番の収穫でした。
 
高橋由一の凄さは、絵が描きたい、その表現方法として油絵を駆使したいという思いよりも、洋画を日本に広めたいという使命感だとおもいますし、そこの共感します。
当時、来日していたワーグマンやファンタネージに師事し油絵の技法を学びながら絵を描くことはもとより、画塾(天絵社)を開き、展覧会(画塾の月例展・油絵縦覧場「観虹亭」)を催し、美術雑誌をも刊行、そして国産画材(絵の具、キャンバス地)の開発を手掛け、晩年は螺旋形状をしたユニークな美術館構想(螺旋展画閣創設主意書)を公表したりしました。
たんに一画家と言うより、まさに日本の近代洋画の開拓者と言うべき人だとおもいます。
 
ただ人生は、色々なジャンルの多くの開拓者同様、けっして恵まれたものではなかったようです。
 ★哲学・政治学教師として来日したフェノロサが当初は日本の洋画に興味を示し、由一との交流をした
  ものの、すぐ日本画奨励説をとなえ、由一との交流をたった
 ★明治期の洋画の発展は、後のヨーロッパにいって学んだ人(黒田清輝等)が帰国してから開花し、
  洋行経験がなく、ワーグマンやファンタネージに師事しただけの由一は忘れ去られた
 ★当時の山形県の県令:三島通庸のもとめに応じ東北での彼の土木事業などを絵にしたためため
  御用絵師的な言われ方をされたばかりでなく、薩摩の人三島通庸が、住民の反対を押し切り強引に
  土木工事を進たため、「土木県令」とか「鬼県令」とか呼ばれたので、その片棒を担いだと言われ
  てしまいました。
  (悪評はあるものの東北のインフラ整備はこの三島県令の力によるところも大きいと思えますが・・)
 
後に開拓者とたたえられる人でも、その事を推し進めている最中は
 ◎出る釘は打たれる
 ◎構想が大きければ大きいほど、『ほらふき』よばわりされる
 ◎時流のあまりにも先を走ると、前例がないので理解者がおらす孤立する
 
ま、そんなこんなで、企業の中の技術部門でも、同様なことが起きているのではないでしょうか?
技術者全員に「開拓者たれ」とは言いませんが、時流の先を行こうとするなら、高橋由一の覚悟、またその、現役時代や歴史的な評価を覚悟して臨むべきだとおもいます。
開拓者的な生き方を選ぶか、時流を見極めて根回ししながらじっくり腰を据えてことに臨むかは自分の信条で選べばよいとおもいます。
 
ただ、大きな企業などですと、権力をもった上司に盲目的に追随し、時流に乗ったと浮かれていると、その上司が権力を失うとともに、冷や飯を食うことになります。
いずれにせよ自分の信条、覚悟をしっかりもち、自らの進み方を決めるべきだとおもいます。
 
下の写真は、上のチラシ4枚目に記載されている、『鵜飼図』という絵です、かなり大きな絵ですが、素晴らしい絵でした。由一の絵は、展覧会や図書で良く見ている方だとおもいますが、いままでこの絵は見逃していました。
感激です。 
 
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