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 今回新たに書庫を一つ起こしました。題して「オホーツクの歴史的遺産」。オホーツクの歴史を現在見ることのできる遺産から訪ねて、考える場にしたいと思います。

 北海道のあゆみは、日本の歴史の中でも特有です。社会科の教員時代には、北海道の歴史を特別の取り上げて中学生や高校生と学びあったことが何度もあります。今、北海道のオホーツクに在住するようになり、改めて北海道の歴史の流れの中で、オホーツクのあゆみも考えていきたいです。

 特に、現在のオホーツクには歴史的な遺産が各地に保存されているものが少なくありません。自然環境豊かなオホーツクにあって、単なる自然的な世界だけでなく、それが日本や世界との歴史の中でどう関連し、どういう世界を人々が創ってきたかについても思いをめぐらしていければと思います。

 今回取り上げるのは国道244号線(網走−根室)の斜里町に位置する「第一幾品川橋梁(越川橋梁)」です。ここは、この国道の根北峠に近い越川温泉のすぐ近くにあります。道路を走っているとこの橋梁に出会います。

 第二次大戦以前、北海道では開拓を目的とした鉄道建設の動きが各地でありました。オホーツクでは、釧網線、標津線、根北線などの計画があり、建設の実行に移っていった路線があります。日本軍は、ソビエトとの軍事的な防衛線という判断から、斜里から根室海峡に抜ける鉄道建設を急いでいました。根北峠を抜ける鉄道工事は難関を極めていました。この工事の主体となったのは、日本の各地の炭鉱等でも動員されて過酷な労働を課された朝鮮半島や中国から強制連行で連れてこられた人たちでした。当時の日本軍の鉄道工事は各地の調査研究で明らかになっているように、長時間の重労働で食物も十分に与えられない状況で行われました。その結果、事故は日常茶飯事であっただけでなく、過労や事故で亡くなっていった強制連行された人たちは、建設のした柱などに人柱として埋められていったという事実が存在します。この「越川橋梁」の例外ではないと言われています。
 
 大戦後、軍事的な目的を失ったこの路線は、地元の要望で越川まで国鉄根北線として営業をスタートさせることになりました。しかし、この越川橋梁を含んだ区間の路線の延長工事は凍結されてしまいました。また、越川までの路線も赤字が続き、1970年には、斜里−越川間も廃止されてしまいました。ついに、この立派な越川橋梁は一度も鉄道が走ることなく廃止されるという運命をたどったわけです。
 
 鉄道の廃止にともなって奥の施設は取り壊されるというのが定番ですが、設置場所が山奥という関係でその後も放置されました。国鉄がJRになった際に、取り壊しの動きがありましたが、斜里町が保存の意向を示し、現在もこの場所に越川橋梁が残ることになりました。国道244号線の建設にあたり、中央の橋梁が撤去されましたが、その他は残っています。補修等は行われていないそうで、「自然の状態」とのことです。
 
関連情報:北海道文化遺産データーベース:旧国鉄根北線越川橋梁
所在地:北海道斜里郡斜里町字越川245番8

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これは廃線マニアにはたまらない場所なんですよね。普通の人では行けない場所のはず・・素晴らしいですね

2008/1/4(金) 午後 11:32 KAPPA 返信する

第一幾品川橋梁(越川橋梁)>KAPPAさん!ここは国道のすぐ脇です。もっと面白いところに行けそうな気がしていますが、いつも仕事の途中なのでなかなか散策ができていません。いずれじっくりこのあたりを徘徊したいと思っています。

2008/1/5(土) 午前 2:08 natsumi_s_58 返信する

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