スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

一言メッセージ :11月 試練の10月をクリアしてほっと。

  • お気に入りブログに登録

ニュース・エッセイ

[ リスト ]

占い、「オーラ」、「霊視」 バラエティならいいのか!2 輪廻への恐怖

イメージ 1

(真実の光。無限の光に合わなければ己の闇が見えない)


kの「物語」を砕く。

nazunaは、千葉のKと神戸のバモイドオキシンと、そしてもうメディアに取り上げられることが減った「オウム真理教」とに、共通の物語を見る。

こういうと「カルト」として分類される宗教の問題であるとするのが、誤りの第一歩。


そのようにカタログ化して理解するという思考(分けてはかる)そのものが、無効であるという地点を啓くのが浄土門であるから。


そこまで結論しなくても、分析的思考の限界性というものを知るのが「科学」である。人は思考できる範囲でしか思考しない。その限界性を意識しつつ分析的思考を有効に使うというのが一流の科学者。これは仮設実験授業研究会の板倉聖宣博士に教わった。


今日のメディアの知性はこの、科学的思考すらできない。ましてや、科学的思考を相対化する理論物理の世界なぞはちんぷんかんぷん。ノーベル物理学賞の意味を解説できないTVが無茶苦茶面白かったが〈笑〉


これらの事態を生きるのには、Kらと自分が同じ地平にあるということが前提。そうでなければいかに論評しようとも、排除して避けているだけのことである。子どもにでもわかる言い訳にすぎない。



森達也が「A」で、オウムとシンクロしようとしたように。



さて、例とした3者には輪廻への恐怖がない。「生まれ変わる」ということが何か楽しいこと、美しいことのようにイメージしている。あやつられるものから→操るものへ、という全能感への希求が支配欲になっていることへの自覚がない。


キリスト教ではこういうのを「悪魔」という。


京極堂さんに言わせると「憑きものが憑いている」状態。


そして仏法では、「迷っている」といい、親鸞さまでは「地獄は一定住みかぞかし」である。


だから、他力浄土門の坊さんが自己を語るか、自力禅宗の坊さんが、Kに厳しい真実を言い聞かせなくてはならん。



「お前はお前がここでしたことを背負い続けて、生まれ変わる。一度ではない何度も何度も。妄言をはき殺生を好み自らの罪すら自覚できない罪悪深重のものよ。生まれては死ぬということをもうお前はやめられない。お前が人々に与えた痛み苦しみの分だけ、あるいは虫にうまれて鳥に食われ、あるいは獣に生まれて人に憎まれ撃ち殺され八つ裂きにされて内臓まで食らわれ、あるいは意識もないバクテリアに生まれて刹那に死し、あるいは罪人としてギロチンにかかり。お前はこのたびの死刑で終了すると思っているのか!おろかものよ。何度生まれても何度も何度も殺されるのだ。そのたびに自分の思い通りにならないという無念と苦痛と悲しみを未来永劫に味わい続けるのである。」と。


因果応報・自業自得。


(断わっておくがこれはあくまでも非常事態宣言。このモノイイ自体に様々な毒が含まれるので、毒を薬に調合できる力量がないと処方できん。ちなみにnazunaはその自信も資格もないから、この言葉は自己にしか語ったことはない。念のため)


Kにはできるだけ早く死刑判決をだして、優秀な教誨師にかかわっていただくか。無期懲役にあえてして「地獄」を生きてもらうかしかない。


大昔から現在そして未来まで、「地獄」とはこういう世界なのである。今の日本は「地獄」を思わない。そのような社会や思想は、排除でしか「無差別殺人者」を語れない。そして究極の無差別殺人である「戦争」を嫌悪するが全面肯定する。(自分がかかわっていなければいい。かかわっていても目を閉じて見ないふりをする)


残酷なことではあるが、「救われない自己」と出会う処から、真実の人生が始まる。



ところが日本のメディアは このヤフーを含めて簡単に「癒される」「救われる」というメッセージを垂れ流す。大した確信もなく。しかも「人生」という重大事を、エンターテインメント(娯楽)でかたるのだ(続)。

閉じる コメント(9)

Yahoo!アバター

はじめまして。履歴から伺わせて頂きました。

とても興味深い記事でした。

宜しくお願い致します。

2008/10/15(水) 午前 5:16 妃

顔アイコン

おお。うさこさんがどうしているかと、サーフィンして姫姉さんところにいってしまいました。おそらく、立場は微妙(私どもは祈らず願わず占わず)ですが、よろしくお願いします。

2008/10/15(水) 午前 9:27 naz**ayh

Yahoo!アバター

Kの物語とは・・・無差別殺人者の事でしたか・・・

2008/10/15(水) 午後 0:25 moramora

顔アイコン

MORAMORAさま
訪問ありがとうございます。記事の1をごらんいただきリンクを確認いただくと、産経新聞記者によるKへのインタビューがございますので、ご覧くださいませ。

2008/10/15(水) 午後 1:30 naz**ayh

顔アイコン

私は、昔から思うのに、仏教では「輪廻転生」から脱することを幸とするのに、キリスト教は「復活=永遠の生命」が喜びなのですよね。(個人的には、ぞっとしますが)
さらに、おそらく多くの日本人が無意識に受け入れているものとして、死=葬儀=仏、誕生=結婚=(聖夜?)=キリスト、という区別があります。しかし、死を語らぬものが、果たして宗教であろうか?と私は思うのです。永遠の生は、つまり死を語らぬことが理想だとなりはしないか?そこにあるのは、永遠に存在する「我」であり、逆に「我」がなくなれば世界はないのと同じだという閉じた世界観に直結しているのじゃないか。その解毒剤が必要だったから、キリストは執拗に「愛」を強調せざるを得なかったのだろう、、、と。
素人は、勝手なことを書けるから気が楽なもんですなあ(苦笑)

2008/10/16(木) 午後 1:31 single40

顔アイコン

ずいぶん前にコメントさせていただいた者です。
記事に書かせていただきました。
TBします。 削除

2008/10/18(土) 午後 2:08 [ robita ]

顔アイコン

single40さま
実は天台教学の「本覚思想」の問題と共通する指摘です。仰せの「ワタシがなければ世界はない」という意味論の裏返しが、全ての存在が無条件にブッダであるということですから。
この全が一であり一は全であるというノー天気さを徹底的に危惧したのが浄土教であるということはなぜかあまり語られません。この世でブッダになる(成道)ことが不能である。これほど人間に対して厳しい見方はないのですがねえ。

2008/10/20(月) 午後 9:14 naz**ayh

顔アイコン

robitaさま
お久です。いつでもきてくださいね。

2008/10/20(月) 午後 9:18 naz**ayh

顔アイコン

上のsingle40さんへのnazunaさんの返信を何度も読み返してみたのですが、脳みそが熱をもってきました。
「この全が一であり一は全であるというノー天気さを徹底的に危惧したのが浄土教であるということ」
これはいったいどういうことなのか?
「自分の存在の不思議」と「成仏」とは関係ないどころか、つながりがあるということなのでしょうか。
他のどんな宗教も色褪せていく感覚がいたします。
私も少し仏教を学ばなければ。 削除

2008/10/22(水) 午後 1:25 [ robita ]

コメント投稿
名前パスワードブログ
投稿

閉じる トラックバック(2)

トラックバックされた記事

祭祀1 大山喬平「ゆるやかなカースト社会・中世日本」から

nazunaは、親鸞門徒であるから、中世史を文学・歴史の両面で学んだ。独学であるが(ここら少し学問履歴をふりかえる。面倒くさい人はとばして太字から読んでください)。 まず、本願寺が描く自画像や一般化された歴史知識から、逸脱した研究や論証に魅かれた。 '''

2008/10/16(木) 午後 4:54 [ スウィートbonbon(壽光寺の内緒話) ]

高みの見物

私がどうしても宗教を信じることができないのは、宗教がいくつもあるからです。 いく

2008/10/18(土) 午後 2:10 [ 幸か不幸か専業主婦 ]

トラックバック先の記事

  • トラックバック先の記事がありません。

.

人気度

ヘルプ

  今日 全体
訪問者 6 15325
ファン 0 22
コメント 0 1018
トラックバック 0 95
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

ブログバナー

検索 検索

開設日: 2005/5/8(日)


プライバシーの考え方 -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2009 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.