4年前の今日

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あの日も今日のように朝から日差しが強く暑かった。
午前中、注文をいただいていた大根の紫蘇漬けをアラギの里へ配達し午後から前日収穫した紫蘇を倉庫で整理をしていた。 3時には親戚の叔父さんが缶コーヒーを差し入れしてくれ一緒に飲んで普通におしゃべりをし肩は凝っていたけど疲れた感じではなかった。 その年に限り120キロの梅を漬け、紫蘇も半端な量じゃなく整理するのに夕方までかかり、さぁ〜洗おうとしたその時 首筋に激しい痛みを感じズキン、ズキンと頭が割れそうな今までに感じた事のない痛みに立つ事も座る事も苦痛でその場に横になりお父さんに電話した。 偶然にも倒れる前、携帯にお米の注文を頂きお父さんに連絡をして直ぐだった為、痛みに耐えながらもリアイダルから連絡し2分後にはお父さんが来てくれたけどわずか2分の間に言葉がでなくなっていた。 そんな事を知る由もないお父さん、頭を抱え う〜〜あ〜〜 う〜〜あ〜〜と言う猫バスに 救急車呼ぶん? と事態を把握していない様子! 言葉じゃ通じないのでありったけの力で首を縦に振ってみた。 それでも、のんびりしたもので松谷に電話して見ると松谷医院に電話したら院長先生もよしきよ先生もお出掛けで院長先生の奥様が救急車を呼ぶようにと…… 救急車到着までの15分、かろうじて意識はあったけれど激しい痛みは続き右半身の麻痺が… 救急車が到着し救急隊の方がドクターヘリ要請 今は土日も使用出来るけど4年前はヘリポートである地元中学のグランドが使えず清水ふれ合いの丘まで救急車で行ったそうな 猫バスはタンカーに乗せられるまでは意識があったけど救急車に乗った事もドクターヘリに乗った事も記憶が全くない。。。 意識が戻ったのは病院! 1度目は全身の痙攣で目が覚め再度の出血の疑いで検査室へ、出血無しの看護師の声を聞きながらまたもや意識が遠のき 2度目に意識が戻ったのは病室! 右半身麻痺、言語障害 和医大に運ばれ来る日もくる日もリハビリの毎日! 作業療法、理学療法、言語療法 なにより思いを伝える言葉が出ない ……あの頃が一番辛く悲しく生きる希望もなくした時期だったように思う。 和医大で35日入院しリハビリ入院で青木整形外科へ 和医大って緊急の治療をする所で3週間もするとたいがいの患者さんが新たに病院を探さなければならない。 猫バスの場合 教授回診時、担当のDrが転医を申し出たけれど板倉教授の「もう少し様子を見ましょう」一言で35日の入院でした。 その間、お父さんが青木整形外科の院長先生にお願いしてリハビリ入院の手続きをしてきた。 正直言うと なんで整形外科なん 脳外とリハビリが一緒になった病院なかったん と言いたかったけどその時はまだ言葉が上手く伝えられなかった。 青木整形に入院して見ると 若いけれどとても熱心で勉強家の療法療法師R様がそこに居た。 4年の月日が流れ 出血以前の生活を送れるまでに回復した。 相変わらず肩懲りと右手のこわばりが残っているけれど時折全身のメンテナンスを受けに R様を訪ねる。 今、膝にヒアルロン酸の注射を2週間に一度 松谷医院で血圧とコレステロールのお薬が2週間に一度 和医大が3ヶ月に一度 まぁ〜 病院と縁が切れるって訳にはいかないけれど 今は元気に毎日を送れる それに今年は 出血するのではと怖くて怖くてどうしても触る事ができなかったシソで シソジュースにも挑戦し無事?紫蘇にも触れるようになった! 種から育てたのが良かったのかな〜 なんて思うけど もう大丈夫! 精神的にも大きく成長した。 と言いつつ 今日は畑仕事もお父さんのフィリフィラ植え替えも休み1日のんびり過ごしている。 だって今日はドクターヘリに乗せて貰った記念すべき日だから(笑) |