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ハッラーン(ハラン) Harran、別名カルラエ Carrhae は
古代シリア地方の北部にあった都市の名で、現在はトルコ南東部のシャンルウルファ県にあたる。
古代メソポタミア北部およびシリア北部の商業・文化・政治・宗教の中心都市であった場所で、
現在は非常に貴重な考古遺跡となっている。
ハランは旧約聖書で、アブラハムがカナンの地に移る前に住んだ場所ともされている。
 
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地中海沿いにある都市国家ティールの交易相手の中には、
シリアやパレスチナの諸都市とともにハランの名も見られる。
 
ハラン、カンネ、エデンとシェバの商人たち、
アルシュルとキルマドは、お前と取引を行った。
エゼキエル 27・23
 
また大プリニウスによれば
ハランの特産品は Stobrum の木から採れる香りのよい粘液であったとされる。
ハランの街はメソポタミア神話の月の神シンの祭儀の中心であり、
バビロニア時代のみならず古代ローマ時代までその崇拝は続いた。
 
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ハランはローマ時代には「カルラエ」と呼ばれ、その遺跡はこの地方に今も残っています。
紀元前53年に、ローマ共和国とパルティアの間で行われた
カルラエの戦い古戦場でもあります。
 
ハッラーンの街はローマ時代からサービア教徒の時代、
イスラム教や十字軍の時代まで存続し、イスラム世界の学問の中心としても栄えたが、
モンゴル帝国の襲来で廃墟と化し、以後、再建されることはありませんでした。
 
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ハッラーンはトルコとシリアの国境に近く、古代にはエデッサの名で知られた
シャンルウルファの街から南東へ44kmほどの位置にあります。
 
シャンルウルファからハッラーンまでの道は、
トルコ南東部の農業の中心である灼熱のハッラーン平原をまっすぐ伸びています。
 
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古代メソポタミア文明の都市としての最盛期には、
ハッラーンは南のダマスカスからの道と、
ニネヴェとカルケミシュを結ぶ道が交わる地点にあり、
古代オリエントにおいては戦略的に非常に重要な地であったのです。
 
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なおかつ、ハランやエデッサはユーフラテス川やその支流バリフ川の上流の平原にあり、
土壌は肥沃で雨量もメソポタミア南部より多く、農耕が早くから行われた地です。
 
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アッシリアの粘土板文書において、ハランは「ハラヌ」の名で、
紀元前1100年ごろのティグラト・ピレセル1世の時代以来頻繁に現れている。
 
ヒッタイトのシュッピルリウマ1世は、
ハラン付近を支配していたフルリ人のミタンニ王国を破り、ミタンニの王にシャッティワザを
擁立して条約を交わしたが、シュッピルリウマ1世の息子でカルケミシュの副王ピヤシリは
ミタンニ征服の途上でハランを焼き払った。
 
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ハランは紀元前763年にも略奪されたが、新アッシリアの帝王サルゴン2世により復興された。
 
ハランはさらに、紀元前612年に新バビロニアとメディアにより
首都ニネヴェが奪われた後にアッシリアの亡命政権の首都となったが、
紀元前609年にネコ2世の古代エジプトと同盟を結んだが、
アッシリアがバビロニアとの戦い(カルケミシュの戦い)で敗れて以降に滅亡した。
 
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ハランにあり古くからの崇敬を集めていた月神シンの神殿は、
新アッシリアのアッシュールバニパルや新バビロニアのナボニドゥスなどにより何度も再建された。
ローマ時代のシリアの歴史家ヘロディアヌス(紀元170年 - 紀元240年頃)も
ハランにあった月の神殿について言及している。
 
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旧約聖書のハラン創世記11章31節、12章4-5節では、
テラが息子アブラハム、孫のロト(ハランの息子)、アブラハムの妻サライとともに、
カルデアのウルからカナンの地に向かう途中にハラン Harran に至り、そこにとどまった。
 
テラは息子アブラハムと、ハランの息子で自分の孫であるロト、および息子アブラハムの妻で
自分の嫁であるサライを連れて、カルデアのウルを出発し、カナン地方に向かった。
彼らはハランまで来ると、そこにとどまった。
テラは205年の生涯を終えてハランで死んだ。
創世記 11・31
 
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テラはハランで没し、アブラハムは75歳の時にハランを出てカナンに向かった。
学者たちは聖書のハランを現在のハッラーンと同定している。
同じく創世記27章43節では、ハランにはラバンが住み、その妹リベカはイサクと結婚した。
 
後に、イサクの双子の息子エサウヤコブは対立し、ヤコブは
カナンを出てハランに住むラバンのもとへ逃げ、ラバンのところで働き20年を過ごします。
 
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私の言うことをよくよく聞き、急いでハランに私の兄ラパンのところへ逃げて行きなさい。
創世記 27・43
 
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テラの息子でロトの父ハランは地名のハランと間違われやすいが、
二つはヘブライ語での綴りが違う。
 
イスラム教では、人名のハーラーン(ハラン)は地名のハッラーンと結び付けられている。
 
ユダ王国のヒゼキヤ王の時代、ハランはアッシリアに対し反乱を起こし、アッシリアに再征服される。
ハランに与えられていた特権の多くは奪われたが、サルゴン2世が後に回復した。
 
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私の先祖たちは、ゴザン、ハラン、レシェフおよびテラサルにいたエデンの人々を打ち滅ぼしたが、
これらの諸国の神々は彼らを救いえたであろうか。
列王記下 19・12、 イザヤ書 37・12
 
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メディア、ペルシャ、ギリシャ、ローマ新アッシリアが崩壊に向かう最中、
ハランは、その最後の王アッシュール・ウバリト2世の本拠となったが、
紀元前609年に新バビロニアの王ナボポラッサルの軍勢に包囲され征服されました。
その後はハランはメディア王国の一部となり、さらにアケメネス朝ペルシャが引き継ぎました。
 
その支配は紀元前331年、
マケドニア王国のアレクサンドロス大王の軍勢による征服と入城まで続いた.....
 
 
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☆ 記事はウィキペディア(Wikipedia)を参考にして書いています。
☆ アップしてある画像は、外国サイトより借用して表示しています。
 
 

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