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University of London International Programmesの学生社会人です。

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(前回からの続き)

シドニーに着いてから2, 3ヶ月経った頃に話を戻す。
英語学校に通っていた。
同じクラスにはIELTSで8.0を取った奴がいた。皆すごいすごいと言っていたから覚えている。受けたことがないからスコアを聞いてもピンとこなかったが、少なくとも自分よりは英語慣れしていた。何人だったか、南米系である。
それからスイス人。母国語がドイツ語だからセンスがいい。
授業中に英独辞典を開いていた彼らと会話をしながら、彼らは英語とドイツ語の2ヶ国語を頭の中でどう処理してるんだろうかと疑問に思った。

ふと考えた。頭の中で英語と日本語を分離しなければいけないんじゃないかと。
そして「分離できる」という、永久に真か偽か判別できないような命題を立てたのだ。
日本語と英語は違う。少なくともドイツ語と英語の関係とは違う。言ってみるとシンプルだが、日本語が英語に干渉しないようにできるか否かの話である。
つまり、日本語が英語に結びつくと、英語が日本語の言語感覚の範囲内でしか機能しないのではないか?そして、機能していると思い込んでいる英語は結局は別の形の日本語でしかないんじゃないかと。

反応の速さにも関わる。
話したいことが思い浮かぶ。その時、流暢な日本語が頭の中で勢力を得る。英語は出ない。日本語を噛み砕いて英語に置き換えようとする。時間がかかって結局話すタイミングを逸する。

学校を辞めた。ちなみにこの時点で、英和辞典とも永久にオサラバしている。
そして、ヒステリカルな中国人オーナーの寿司屋で働き始めた。
客相手に無茶苦茶な英語を使った。
意識から日本語を排除した結果である。
日本語を経由した英語の受発信を辞めたのだ。
名詞の連発でもなんでもいいから、とにかくその時思いつく英語を瞬時に発信し続けた。

プリペイドの携帯のコールセンターに電話を掛けて怒鳴り散らしたことがある。理由は忘れたが。LGだった。
何言ってるのかわからないと言われ、相手の背後から笑い声が聞こえた。構わん。意味が通じるまで話し続けた。

それから、街で何人もの女の子に声を掛けた。どの子も選りすぐりの美人だ。
日本から英語を勉強するために来たから助けてくれとかなんとか言って、カフェでカプチーノなんかを奢って、つたない英語で喋り続けた。
えらい出費だった。
エメラルドグリーンの、奥まで透き通るような瞳に見つめられて全く話ができないこともあったな。恐ろしく綺麗な子だった。
そして、日本語ならもっと笑いが取れるのにと、悔しい思いを抱える毎日だった。

そのうちに、時々ではあったが、自分でも驚くほど流暢な英語が口をついて出るようになった。
それは、特に英語圏の国で英語を話しているという意識もなく、日常の気だるい生活の中で何気なく使っている、感動も面白みもない、何を話したか記憶に残らない、幾度となく使ってきた英語とその応用である。
英語自身でもなにかの勉強ための英語でもなく、電子機器の一方向あるいは双方向的な経由でもなく、ましてや英英辞典の説明でもない、目の前の話し相手と同じ空気で伝わる英語だけが「日常」という実態を帯びて確信となっていった。

引っ越し作業中、トラックの中に何をどう積むか悩む。こう回す。こう置く。その上にこれを置く。
寿司屋の客と挨拶、ここ座ってと指示し、もうちょっとでできるからとなだめ、常連の近所の高校の小僧連中とたわいもない世間話をして、消化器を売りにきたセールス屋さんを追い返す。
会話は待った無しで進む。そんな中、話したい英語のヒントは、相手が話している英語の中にあった。ヒントというか、「模倣」するのだ。
それは、理屈はわからないがこう言えばこう通じるという英会話の無限集合である。
文法の重要性を否定するつもりはないが、文法が先というのは順番が違う。理屈抜きで受け入れることがどうしても先じゃないといけないのだ。

最高のホームステイ先をベースに過ごしたシドニーでの生活は結局、自分が生まれた時から日本語を覚えてきた過程を英語に置き換えて繰り返したようなものだった。
実際、当時12歳と9歳だったホームステイ先の長男と長女は、カタコト英語を話す一回り以上年上の自分を弟のように扱っていたようだった。

日本に持ち帰ったのは、英語のテストという概念を越えたところの、理屈抜きで通じる英語の感覚であり、いわば土台の下の基礎のようなものだった。
日本に帰国後は、豪や英の友人との付き合いやケンブリッジ英検という的を頼りに、無条件で受け入れるものは受け入れ、英語の仮面を被っただけの日本語は否定しながら勉強を続けてきた。それはかつて身に付けた、算数じみた「受験英語」の知識を取捨選択し命を与えていくような作業でもあった。

英語と日本語は完全に分離できるか?
母国語を意識から完全に消すのは難しい。だが、日本語から解き放たれている瞬間は確かにある。
分離しようとする意識は、それが遠回りになる要因になっていたとしても、尽きないのびしろそのものだと信じている。

日本語と英語の部屋がそれぞれあって、状況に応じて感覚をそのどちらかに落とし込む。
なんか、そんな感じ。

最後になったが、AUS滞在中、日本人との交流をできるだけ避ける努力をしていたことと、たまに話す日本語が孤独の癒しになっていたことも付記しておく。

そうか、IELTS。シドニー時代は、いつか受験しようと思っていた。だが、あれからずいぶん月日が経ってしまった。
今さら受験したことのない英語のテストを受けることはない。
何事も、鉄は熱いうちだ。

自分がこの先予定している英語のテストはたった一つ、ケンブリッジCPEのみだ。
ただ、英語の勉強は全然してないから、いつになるかわからんが。
確か昨年、3年以内にはと書いた。えらいこと言ったもんだ。

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