無題
人は人。自分は自分。スポーツクラブに入って、自転車などを漕ぐようになり、エアロビクスにハマって夢中になって通っていたのが30代半ば。
そのころはまぁー、体力が余ってたのか、毎日、どーやって自分を疲れさせよう??っていうカンジであった。 休みの日にはスポーツクラブヘ行き、上野あたりの寺のまわりを10キロ走った後に、エアロビクスを2本受けて、500mくらい泳いで帰ったりした。(仲間に誘われるとそこからもめんやでどんちゃん騒ぎの時もあり。) そんな生活はその後10年くらいは続いたかな。 20代の後半は全く身体を動かすことなどやっておらず、30代に入って体力が俄然落ちていることに気づき、スポーツクラブに入ったのだった。 仕事ばかりの毎日で、社会の窓(ズボンのチャックのことではない。)がなくなっていた、閉塞感を感じたことも理由の一つ。 その頃はすぐに風邪をひくし、熱を出したりしてした。(ホントはけっこう弱っチイ。) それで、谷中にあったセブンラックスというスポーツクラブに入会したのがわたしのスポーツライフの始まりであった。 少し体力が付いてきた頃、ホノルルマラソンに行ってきた仲間の話を聞いて、こりゃー、わたしも死ぬ気で走ってみないと!!と、思ったのがきっかけで、ジョギングまでするようになった。 最初の頃は3キロも走れなくて、走っては歩き、走っては歩きを繰り返した。 そのうちに5キロ走れるようになり、10キロの大会に出て、ハーフの大会も体験し、ホノルルで念願のフルマラソンを完走したのは、34歳のときだった。 http://ameblo.jp/ni3tttym/entry-10547681615.html その頃は、草大会にもハマって、全国各地に走りに行った。 ちょうど姉のダンナさんも走ってたので、両親を含めた6人で家族旅行としてのマラソンツァーを年4~5回参加していた。 母が車いすになってからも、しばらくは家族で諏訪湖マラソンとか、山中湖ロードレースには参加していた。 母がとうとう行けなくなった頃、チャリと2人で山中湖ロードレースに出たことが1度だけある。 前日にゴルフをして、翌日2人で走ったのだが、いつも大勢で賑やかなので、2人だけではなんとなく盛り上がらなかった。 翌年からキノシタさんやヒラノさんを誘って、友達を集めて行くようになったんだった。 ヒラノさんは結婚して今は参加していない。 キノシタさんのとこはヒロちゃんと結婚し、桃ちゃんが生まれた。(今回桃ちゃん初参加!!) メンバーも毎年少しずつ入れ替わりながら、新陳代謝して、毎年続いて参加している山中湖ロードレース。今年もまた、走ってきた。 総勢11人。走ったのは8人。 わたしはと言えば、完走は出来たものの、ここ何年もタイムは大幅に後ろの方へ更新中。 一緒に横を走っていたチャリもこの何年かはわたしのあまりの遅さに合わせられず、見る見る先へ消えてしまった。 しかし、今日は晴天!! 発光しているように白く輝く富士山は、山中湖からにょっきりと巨大な勇姿を見せてくれた。 この5年間は見事に全部 雨天、であったので、富士山と一緒に走るのは実に7年ぶりとなる。(6年前は、チャリが救急車で、欠席。) http://ameblo.jp/ni3tttym/entry-11139813536.html http://ameblo.jp/ni3tttym/entry-11139814143.html ものすごい数の人が追い抜いて行った。 抜いた人は歩いている人くらい。 でも、自分が見つめるのは、自分のゴールだけでいい。 人は人。自分は自分。 まわりのことは、あんまり意識しなくなった。 それは、人生においても。 わたしが向かうもの。 わたしが目指すもの。 わたしがほしいもの。 わたしが辿り着きたい場所。 それは、わたしだけのものなのだから。人と比べても、何にもならない。 体力も落ちて、馬力もでなくなり、走るといつもマイナス方向へ向かっている自分のこともよくわかる。(なんたって、これが体力測定だし。) 寄る年波に逆らうことは叶わない。 あの頃の疲れ知らずのわたしとは、違うことも知らなくてはならない。 でも、その現実がわかるからこそ、その位置から新たにのぼり始める階段もある。 前に足を出し続ければ、いつか、ゴールのラインは踏める。 時間がほんの少し、余計にかかる、と思えばいい。 定員を2000人増やし、今年は14000人が走ったらしい。 聳える富士山に、見守られながら。 |

