原発の火災を消せない限りまだ震災途中と感じています。皆様、いかがでしょうか?
今もまだ、福島で各々の使命に立ち向かっている皆様に応援するつもりで、
本田先生からメールを掲載します。<使命>とは<命を使ってでも何かを成そうとする>
ことだとこのメールを見て改めて感じました。関東で出来ることをしながら応援したい
です。このブログを読んだ方には節電でも募金でも買い控えでもそれぞれが出来ることは
ないかを一緒に考えて頂ければ幸いです。
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いわき共立の本田です
福島県では県立医大の先生を中心に各関連病院の先生方が避難所を回り、
それぞれの子供・乳幼児の数必要とされるミルク、母乳育児支援、おむつ、
おむつかぶれの薬の量や、流行疾患の発生状況の確認を行い医局のメーリングリストで情報交換し大学を窓口として、支援物資を要請・引き受けをして各地に配布できるよう努力しています。
残念ながら私はまったくノータッチで紹介する資格など無いのですが、その中の投稿の一つを紹介させてください。本人の承諾を得ています。
活動内容の詳細は大学の先生がいずれ報告してくれると思います
以下転載
医大小児科の佐○晶○です。
本日、大○信○郎先生と相馬市と新地町に行ってきました。
まず、相馬市では救援物資は市役所向かいの市民会館で一括して集めており、ここから各避難所に配布される仕組みになっています。
本日、うかがった時には各方面よりの救援物資が集まっており、ミルクやおむつも山積みにされている状態でした。
しかしながら、救援物資があまりにも集まりすぎて、それらの仕分け作業で手一杯でとても各避難所に配送できる状態ではありませんでした。また、各避難所での人の流動が大きく、正確な小児の人数は把握することは困難でした。
従って、避難所レベルでもどのくらいのミルクが不足しているのか、また充足しているのかが把握できていないため、市としてもそういった物資の需要がどのくらいあるのか把握できていない状態でした。
また、各避難所ではミルクを必要としている乳幼児は思ったほど多くなく、市民会館のミルクやおむつの数を見た限りでは、物資は市のレベルまではいきわたっている印象です。しかし、その情報が各避難所までに伝わっておらず、避難所レベルでは不足している、といった状態です。
今後、これから物資を統括している部署と避難所との間の情報が共有されるでしょうから、物資も避難所までいきわたるのではないでしょうか?
ちなみに、おむつに限って言えば各サイズとも量は十分に備わっている印象です。
0歳児は避難所ではいなかったものの、これらの児は避難所にはいないだけで、どこか遠くにさらに避難したか、自宅は無事だったため自宅にいることも考えられます。
行政ではこういった子供たちが実際にどのくらいいるのか把握することはできていません。
自宅にとどまっている子供がいる場合、自らミルクやおむつを調達しなければならず、市レベルまで物資がいきわたっても、各家庭までその情報が伝わることは困難で、さらにガソリン不足が拍車をかけていますので、自ら配給所や避難所まで足を運んで不足している物資を調達することも困難であると思われます。
津波で家が流され避難所に避難している子供に目が向きがちですが、実際には自宅が無事で自宅で過ごしている乳幼児もたくさんいます。しかし、先ほども述べましたように、ガソリンが手に入らないため、車で移動できず困窮している方も多いものと推察されました。
今後、こういった子供たちにも救援の手を差し伸べる手立てが必要ではないでしょうか?
同じ理由で、医療機関をかかりたくても車をつかえなくて医療機関を受診できない子も多くいます。
公立相馬の伊○正○先生の話によると、外来を受診する小児はほとんどいないとの事でした。これは、小児が相馬市からいなくなったか、先ほどのガソリンの理由で、医療機関を受診したくても受診できないのだろう、との事でした。
相馬の片○先生は、スタッフが通勤できないため開院できないとのことで、避難所を回り、必要な時には避難所で処方箋をかいて投薬されています。もし、各個人が車を使えず調剤薬局まで足を運べないときには、避難所単位でまとめて調剤薬局まで行き処方を受け避難所に戻ってお薬を配布するようにすることも必要ではないでしょうか? 相馬市では仙台・福島方面からお薬が入るようになってきているようです。
また、PTSDと思われる小児が多い印象でした。ちょっとした余震に敏感になったり、
普段は一人で寝る子供が母親に抱っこされないと眠れなかったり、急に大きな声を出
しておびえたり、と今後、表に見える病気だけでなく、心のケアも大きな課題になる
と思われました。
私事ですが、生まれ育った故郷の相馬の変り果てた姿に言葉を失いました。
美しかった、原釜、松川浦、岩の子、磯部。あのきれいな景色を望むことはもはやかなわないものとなってしまいました。
新地町にいたっては、海から6号線の400m手前くらいまでは焼け野原かと見間違えるばかりの光景でした。
復興には10年位の時間が必要かもしれません。
一年でもはやくとはいいません。一日でもはやい復興を祈るばかりです。
転載終わり
本当は他の投稿を全て紹介したいくらです。
日本全国各地にこのような小児科医がおり、医療を支えているから今の日本の医療があるのだと思います。そして福島の若い先生たちを見ていると
だからこそ、これからの日本は絶対によみがえり、今よりもより優れた日本を絶対作ってくれるのだと確信できます。やはり希望だけは最後に必ず残るようです
いわき市立総合磐城共立病院 未熟児新生児科 本田義信
P.S.僻み根性の強い私が勢い余って投稿してしまった内容に豊島先生が目をつけていただき、自分に注目が集まり、その分、本当に支援が必要なところのニュースを奪っているのではないかと罪悪感でいっぱいです。本当に申し訳ありませんでした。でも豊島先生には本当に感謝しています。