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mpolaさんのコメント、“そういえば、「踊り子」をめぐるドガの視線とロンブローゾの犯罪形質学とを結ぶ論文があったような。。。ご存知ですよね?”がずっと気になっていました。URL: http://blogs.yahoo.co.jp/akihito_suzuki2000/35769264.html
Druick, Douglas 1998 "Framing the Little Dancer Aged Fourteen" in Kendall, Richard (ed.) Degas and the Little Dancer. New Haven: Yale University Press.この論文はダウンロードできなかったけど、BBCのPDFを読みました。
モネやルノワールの印象派の時代、実は、当時の人々にとって、当代最大の画家はウィリアム・アドルフ・ブグロオ(一番上の絵と2番めの絵)だった。
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その絵は,古大家の最高のものと同じ値で売れた。上の図は「青春」と題する彼の作品の一つである。クラシックな衣装をつけた若い女が古代ローマの泉にもたれ、二人の羽ばたくキューピッド(愛の声)に楽しげにかこまれている。おそらく、こういう考え方に悪いところはないのだろう。
ともかくも、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」もまた同じように、複雑な詩的テーマをもっているのだ。が、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」が私たちの多くに訴えるところ大きいのに、ブグロオの絵はまったく訴えないとすれば、その理由は、ブグロオが描かれた形態や色彩の美にあまり敏感でなく、カメラならばはるかに便利に行なえるような仕事、つまりモデルをうつすことに満足していたからだ。
そして、おそらく、人々が彼の作品を好んだのもそのためなのだ。人々は決してうそを言わぬカメラを信用したように、ブグロオの絵を信用し、今日私達が安価な観賞というところに霊感を見たつもりでよろこんだのである。
ブグロオはアカデミーの様式のもっとも悪い面を示している。彼はみずからアングルとダヴィドの後継者をもって任じたが、彼は自分の説くことを実行する方法を知らなかった。
それでも、彼を生んだアカデミックなシステムがまるっきり悪かったわけではないもない。
そのまぎれもない誤りにもかかわらず、本当の才能ある一人の若い画家がそのシステムを利することができた。印象派最大の画家の一人、エドガー・ドガはアカデミックな教育を受け、アングルを尊敬して学び、終生彼の利点となった線と構成への関心を抱いて、アカデミーを去った。
HW.ジャンソン
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印象派の画家たちの多くが庶民の出身であるのに対し、ドガはパリの銀行家の息子であり、有名なリセで教育され、イタリアに留学し、15世紀の巨匠を研究し、(ギルランダイヨ)厳しいデッサンを習得した。
ドガの絵は印象派とは異質だ。印象派の興味は外光に集中したのに対し、ドガは外光には興味を持たなかった。
ドガはデッサンに執着している。その描線はつねに意志によって支配され、古典の端正と品位を求めた。
ドガはドラクロワのロマン主義にも、アングルの古典主義にも両方に惹かれていた。
しかしロマン主義に対するドガの憧れは続かなかった。そして自然主義に共鳴し、ゾラ、ゴングールなどと交際するようになってからは、生活周辺の主題を求めた。自分自身や家族、親しい友人の肖像などを誠実なリアリズムで、端正な古典主義的形式で描いた。
若い女の頭部は妹の肖像らしいけれど、これは小品ながら本当に美しい。(私はこれが大好き)
「眼のさめるような皮肉」
ドガはまるで風景画を好まなかった。静物画にも興味がなかった。もっぱら人間の動作に興味が集中し、これに執着し、鋭敏に観察した冷徹なレアリストであった。
かれはまず市井の卑近な職業の女たちに注目し、婦人帽子屋、洗濯女などをモデルにした。その職業からくるさまざまな動作を、すべて冷静に観察し、ひとつひとつの瞬間をもっともよくあらわしている。姿態、それは、ときにはなはだしく歪められ、ときには醜悪とさえ思われるような姿態にも、しつように食下がった。あくびをしている洗濯女、歯痛になやむ洗濯女、また力をいれて火のしをかけている女などを描いた作品がたくさんある。これらは「眼のさめるような皮肉」と批評された。
ドガは画家としてはあくまで冷徹なリアリストであった。
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ドガは踊り子を実際以上に美化したり、妖精化したりすることはしなかった。しかし「ドガは嫌悪の情を持って踊り子を描いた」というユイズマンの言葉は、明らかに言いすぎである。ドガはただ冷然と観察しているのだ。
福島繁太郎
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進行中の動作の運動感を巧みに表現するというのがドガの特質だと思う。だからこれはラファエロ前派の物語性ドラマ性主観性とはまったく違う。
ドガは冷徹で客観的な写実リアリストだ。しかし本当に正確な技術は量から質へ転換する。ハイフェッツの完璧な技術が、結果としてロマンチックな演奏になっているように、つまり本当に客観的で正確な技術は、逆に優雅な美やロマンチックさを生み出すということはある。
西洋ではどんな画家も注目しなかったようなさまざまの姿態に執着したのには、日本の浮世絵版画に暗示を受けたと言われる。
特に北斎漫画のようなものの影響は大きかったと思う。進行中の動作の一瞬を鋭くとらえ、その直前の動きと、直後に続くべき運動を暗示するおもしろさではドガに勝る画家はいない。
(これの模倣といったらいいすぎかもしれないけど、ホイッスラーは、ドガと雰囲気は似ているけれど、女性の見方も冷徹ではないし、ポーズも物語り的で、進行中の動作の一瞬という緊張感のおもしろさはまったくない)
当時は、写真を絵画の新しい競争者とみて、ことさらに無視し敬遠する態度にでる画家が多かったが、ドガは写真から学ぶべきこととなまぶべからざることを知り尽くしていた。
アブサンの絵は、今では当たり前の構図だが、当時は中心をはずした革新的な構図だったらしい。今だったらこういう酒場の写真はしばしば見られる。
湯浴みのポーズも、その後ボナールが似たような絵をいろいろ描いているけれど、当時としてはまったく珍しいポーズだったという。
BBCから抜粋訳
http://www.bbclearningasiapacific.com/MediaSupportFiles/42.pdf
パリ1881年、ドガの踊り子の彫刻が展示されたときはちょっとしたスキャンダルだった。今では、19世紀の間に作り出された最も重要な作品の、一つとして正しく認められている。
彫刻に、本物の布ファブリックと本当の髪を用いている。それはかつてないことだった。ドガは芸術と生命の区別をぼやけさせるという、草分け的作品を世におくり、現代彫刻への道を開いた。
その結果このLittle Dancerは、19世紀の最も重要な彫刻とされている。
しかし美術館に来る人は、つるつるした白い大理石やブロンズや石膏の容量分析的にレンダーされた理想的なフォームを期待した。
突き出た腹と顎のやせた若いダンサーは、多くの観賞者にとって自然主義のやりすぎであった。
猿のようで、隔世遺伝的(犯罪形質学的)と批評家を怒らせた。
この14才の若いモデルMarie van Goethamの悲劇の記事がある。
この若いバレエ・ダンサーは売春婦のひどく貧しい家で育てられた。彼女はバレエ団をやめさせれるし、その後に不評に落ちたようである。姉妹や母はキャバレーやナイトクラブで働いており、事件をおこして投獄されている。
というわけで、ドガは、ロンブローゾの犯罪形質学に影響されていたという意見があるのでした。
つまり、踊り子の出身が貧しく犯罪者のいる家庭だったので、猿のような顔つきや、先祖がえりの身体的特徴や、いろいろな犯罪者的特長を備えるように製作していたというものでした。
予想以上にドガは科学好きのようです。ダーウィンの影響を受けていたのは確かなようです。そしてドガが解剖学的というのもあたっているらしいです。
>何かに似ていると考えて、あ、ドガじゃないか、と思い出した。 そして、ハーストの手法は、もちろん解剖学のイラストレーションの伝統的な手法を使っている。http://blogs.yahoo.co.jp/akihito_suzuki2000/35769264.html#35780157
この踊り子が、レアリスト自然主義のやりすぎなのか(眼のさめるような皮肉)、それともユダヤ人嫌い差別主義で、ロンブローゾ好きだったのかはよくわかりませんが、この時代は、ロンブローゾの影響が大きかったようです。
以下のサイトは、「踊り子」をめぐるドガの視線とロンブローゾの犯罪形質学とを結ぶ論文について、日本語でよくわかるサイトです。(【無断転記転載を禁ず】という文字は無断転載禁止なんでしょうか。それとも、この部分はメタ言語としてみてくれるのかな)
http://www.josuikai.net/josuikai/21f/58/kita3/kita3.htm
ドガ ― 作られたまなざし
講師 一橋大学大学院言語社会研究科 教授
喜多崎 親
平成17年2月15日 於:如水会館
【無断転記転載を禁ず】
社団法人 如 水 会
[http://www.blogrepo.net/urllist/cnt1.php?nid=17465&uid=2135 こる]
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喜多崎氏の「ドガ―作られたまなざし」を読んでます。ロンブローゾの影響力については全くの無知でしたので有難うございます。
2006/7/18(火) 午後 8:57
喜多崎氏の「ドガ―作られたまなざし」のリンク先がさきほどまで、別のリンク先でした。訂正しました。
2006/7/19(水) 午前 0:07
やはりそうでしたか。喜多崎・ドガ―作られたまなざしで検索したらありましたです。それより、事件の動機を「ビョーキ」で結論付ける傾向が目立ってきてます。ロンブローゾの提起した問題は大きいです。悩みます
2006/7/19(水) 午前 9:16
ブグロオの絵、なんて卑猥な(笑)。こういう絵が賞賛され、マネの「草上の昼食」がいけないって、偽善の見本ですよね。 19世紀のアカデミックな絵画こそ、退廃芸術だと私は思っています。
2006/7/19(水) 午後 6:31
女神さまは裸でもいいんですが、ピクニックにきた一般人が裸になるのはいけないんですね。ドガもマネをとても尊敬していました。マネはこの時代の重要人物からとても尊敬していたので、内容のある人だったんだろうと思います。
2006/7/20(木) 午後 11:03
自分のコメントがこんなところに飛び火しているとは。。。ちなみに先のコメントは喜多崎さんの授業を受けてのものです。ドガ、一筋縄で行かない人ですね。。。
2006/8/18(金) 午後 9:07 [ mpola ]
mpolaさん、やっと気づいてくれました?随分たってから、書いたからきづいてもらえないかと思いました。
2006/8/19(土) 午後 11:45
いやいや、まさかこんなかたちで反応があるとは想像だにしませんでしたし、私のakihito_suzuki先生への書誌情報のコメントバックも遅かったですから^_^;
2006/8/20(日) 午前 7:30 [ mpola ]
すてきな作品が沢山並んでますね。驚きです。新しいページをアップしたらこちらが推奨されました。若い婦人の肖像も久しぶりにみましたが、なんともリアルな存在感ですね。すばらしい評論に圧倒されました!また、お伺いいたします。
2010/4/22(木) 午後 6:53
ありがとうございます
2010/5/3(月) 午後 8:08
上の作品とドガの作品は質が違う。ドガはあくまでも印象画だ。上の作品は主に明度対比で表現しているが、ドガの作品は、彩度対比が主だ。より空間を感じるし、カメラと比較すること自身誤りだ。どうしてカメラと、視覚の、色彩に違いを感じないのか、それを感じないで、よく絵が描けると思う。
2010/12/16(木) 午前 0:18 [ dakkochan8 ]
dakkochan8 さんどうもありがとうございます.芸術を見る目がある方ですね.
2010/12/18(土) 午後 10:54