鳶ヶ巣城址
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【名称】 鳶ヶ巣城
【所在地】 島根県出雲市東林木町 【遺 構】 曲輪、土塁、空堀、虎口 【形 式】 山城 【築城者】 宍道久慶 【築城年代】 永世7年(1510)頃 今日もまた思いつきでお城に行ってきました。今回のお城は鳶ヶ巣城です。 妻を車で職場に送ってから、その足でお城へ向かいます。 これまたマイナーなお城ですね。 しかし、けっこう登山道が整備されているので地元の人たちのハイキングコースになっているようです。また、国道431号線に面して駐車場があることからも、このあたりを通る人ならば、どんな城かは知らなくても、名前を目にしたことはあるはず。 ということで、さっそく登山開始。 しかし、ちょっと歩いたところで、前方に柵が!? なんだこりゃ、行き止まりか!? どうやら、鹿が近所の畑をあらすので、鹿よけの柵のようです。 そういえば、この鳶ヶ巣周辺の山々には、まだ野生の鹿がたくさんいるんですよ。 出雲大社などにもごくまれに鹿が出没します。主に夜間ですが… 柵を越えてしばらく歩くと、「麓の郭(くるわ)」の文字が。 おそらく、ここに城主の屋敷などが置かれたものでしょう。けっこう広い郭です。 この付近が登山道でいう2合目付近。頂上まであと8割あります。 山の頂上付近に、東西南北四つの郭が複郭式に連なっていました。左上から順に、西郭、南郭、北郭、東郭です。 登山道は麓の郭から西3郭、西2郭と抜けて、南1郭、主郭(本丸)と続いていました。 北と東の郭もせっかくだから見ておこうと案内板に従って遊歩道を通ってみましたが、はっきり言ってこれは「遊歩道」などと呼べるシロモノではない! はっきり言えば獣道、ところどころ崩れていて、キケンなことこの上ない^^; 登山道の通る西郭および南郭は整備が行き届いていて良かったんですが、北・東の郭は草ぼうぼうで、どこからマムシが飛び出すか分からないうえに、草を分けて歩いていたら、危うく崖から転落しそうになりました。あぶね〜、あぶね〜。 ということで、東西南北の郭をぐるっと巡ってみたあと、いよいよ主郭、つまり本丸へと行って見ました。 本丸には「城主宍道政慶公之碑」があり(写真は撮ったんですが、後で見たら私の指が入っていたので載せていません^^;)、また木の麓になぜか首の取れたお地蔵様が…(ちょっとホラー?) 頂上からは出雲平野が見渡せて、景観は抜群です。 これまた今回は煙っていて見えなかったんですが、東は宍道湖、更に大山まで眺望がきるようです。そして西は三瓶山、日本海。南は仏経山、大黒山を前衛峰に中国山地が屋根を東西に繋げ屹立します。尼子の武将・米原綱寛の高瀬城も南側正面に見ることが出来ます。そして北面は旅伏山から西へ延びる縦走路になっていました。 ということで、鳶ヶ巣城の歴史を少々。 鳶ヶ巣城は、永世7年(1510)頃、尼子氏の一門衆である宍道久慶が砦として築いたものとされ、以降は宍道氏の居城として尼子氏に属しました。 しかし天文11年(1542)、宍道隆慶のときに大内氏の出雲侵攻がはじまると、隆慶は尼子氏を去って大内氏につき、尼子氏の居城・月山富田城を攻撃しました。ところが結局大内軍は敗れたため、出雲に居場所をなくした隆慶は、大内氏とともに山口に逃れます。 こうして鳶ヶ巣は尼子氏の支配下に置かれました。 その後、隆慶は大内氏を滅ぼした毛利氏の家臣となり、永禄5年(1562)に毛利元就とともに出雲に戻ってきました。毛利元就はこの鳶ヶ巣に築城すると、隆慶・政慶父子を城主に据え、月山富田城攻略の拠点としました。
以後、鳶ヶ巣城は宍道氏の居城となりましたが、慶長5年(1600)に関ヶ原合戦で毛利氏が敗れると、宍道氏も毛利氏に随行して萩の地に移り、鳶ヶ巣城は廃城となりました。 |
