無題
お糸地蔵の由来
昔々、
頃は、享保三年の事、処は、豊前の国、企救郡、呼野の里に、
稗粉と云う、堤が、有りました。呼野、小森の、田んぼに、引く大切な、水源でした。
築けど築けど、大雨のたびに、決壊致しました。そこで村人は、会議をしました。
昔、呼野に、文七と云う人がいました。夫婦の間に、一人娘が居ました。
娘は、お糸と云って、器量良しで、心優しい、娘でした。
心、楽しく、月日を、送っていましたが、お糸が、八つの時に、父の文七、亡くなってしまいました。
母と、淋しく、月日を、送っていました。かねて、文七が、生きてた時に、
寝物語の、話の中に、昔、筑前、遠賀の里の、神田池では、人柱を立てて、
その後は、切れた事が無いと、云う。
妻のお種が、そう切り出した。それを、聞いた、村人たちは、
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