崇教真光からの脱出

今まで巧妙巧みに隠されてきた崇教真光の実態を暴露するためにブログを書いています。




 本日23日、国会で学校法人森友学園理事長の籠池泰典氏の証人喚問が行われる。しかし、森友疑惑の本筋である国有地の不当な払い下げの真相を解明するには“買い主”の籠池氏の証人喚問だけでは意味がない。

売り主”の財務省、とくに国有地売却の責任者だった理財局長(当時)の迫田英典氏の証人喚問は必須だろう。

 迫田氏は首相と同じ山口県下関市の出身で、土地取引の直前、異例なほど頻繁に官邸に出入りして、安倍首相と会っていた。問題の値引きが決まった森友学園関係者と財務省近畿財務局が話し合いを行った前日にも、迫田氏は理財局長として安倍晋三首相と綿密な打ち合わせをしていた。そういう意味では、まさに、今回の疑惑のキーマンなのだ。

 ところが、連日籠池氏を追い回しているマスコミからは、この迫田氏を追及すべきという厳しい声はあまり聞かれない。参考人招致も自民党が拒否すると、そのままフェードアウト。籠池理事長を単独取材した菅野完氏は緊急会見で、迫田前理財局長の写真を掲げながら、私人の籠池氏の自宅や自分の自宅に詰めかけながら、公人である迫田前理財局長の官舎には押しかけないマスコミの姿勢を糾弾していたが、まさにそのとおりだろう。
 いったいこの及び腰の理由はなんなのか? 全国紙社会部デスクが解説する。

「それは、迫田氏が理財局長の後、いまは国税庁長官に就いているからですよ。財務省はただでさえマスコミにとってタブーなのに、相手は国税トップですからね。税務調査で報復されるのが怖くて、厳しい追及なんてとてもできません」

 税務調査による報復? 信じがたい話だが、これは陰謀論でも過剰反応でもない。事実、国税庁は親玉である財務省のスキャンダルや増税反対キャンペーンなどを張った報道機関や記者に対しては、厳しい税務調査を行うことで“報復”してきた。

「報復調査のときの国税のやり口はすさまじいですからね。新聞販売店への押し紙や奨励金など、新聞社のブラックボックス部分を突いてくるのはもちろん、記者の出した領収証を1枚1枚チェックして、いったい誰と会ったのかを厳しく調査するんです。調査は長期に及び、日常業務にも支障が出てくるし、記者の人脈や情報源が筒抜けになってしまう。逆に、面会相手を秘匿すると、経費とは認められず、すべて申告漏れとされて追徴金を払わされる。しかも、申告漏れがあると、国税は他のマスコミにこれをリークして、大々的に記事にさせるんです」(全国紙元国税担当記者)


実例をあげよう。直近でもっとも露骨だったのは、2011年から2012年にかけての東京新聞(中日新聞)に対する調査だ。財務官僚に籠絡され、消費財増税へとひた走ろうとしていた当時の民主党・野田政権に対して、東京新聞は〈野田改造内閣が発足 増税前にやるべきこと〉〈出先機関改革 実現なくして増税なし〉などの社説で真っ向から批判を展開していた。すると、半年以上の長きにわたる異例の“調査”が入り、約2億8600万円の申告漏れが指摘されたのだ。
「このときは、名古屋国税局と東京国税局が連動するかたちで、中日新聞と東京新聞に同時に入り、異常なくらいのしつこさでやった。東京では国税が資料分析のための部屋を提供させて、徹底的に記者の領収証などを調べ上げたと聞いています。業務にも相当な支障が出て、ほとんど嫌がらせに近いような状態だったようです」(前出・全国紙元国税担当記者)

 中日新聞と東京新聞は2016年にも、再び大規模な“調査”を受けている。このときは大きな不正はほとんど見つからなかったが、取材源秘匿のため取材先の名前を公開しなかった領収証を経費として認めないなど、重箱の隅をつつくような調査で、約3100万円の申告漏れを指摘された。しかも、こんな少額の申告漏れにもかかわらず、国税当局はこの情報を他のマスコミにリークして記事にさせている。

「2016年の調査は、官邸の意向を受けてのものと言われていましたね。2015年の安保法制強行採決や米軍基地問題での東京新聞の批判に、官邸が激怒し、国税を動かしたのではないか、と」(全国紙政治部記者)

 もちろん、こうした目にあっているのは東京新聞だけではない。マスコミが財務省の政策批判や不祥事報道に踏み込んだあとには、必ずといっていいほど、税務調査が入っている。

 たとえば、90年代終わり、それまで絶対タブーだった旧大蔵省にマスコミが切り込み、ノーパンしゃぶしゃぶ接待など、汚職事件の端緒を開いたことがあったが、その少し後、2000年代に入ると、国税当局は一斉に新聞各社に税務調査を展開した。
 07年から09年にかけても、朝日、読売、毎日、そして共同通信に大規模調査が入り、申告漏れや所得隠しが明らかになっている。この時期は第一次安倍政権から福田政権、麻生政権にいたる時期で、マスコミは政権への対決姿勢を明確にし、官僚不祥事を次々に報道していた。これらの調査はその“報復”ではないかと指摘された。
 さらに、東京新聞に大規模調査が入った2011年には、やはり消費増税に反対していた産経にも“調査”が入っている。また、12年3月には朝日が2億円超の申告漏れを、4月には日本経済新聞が約3億3000万円の申告漏れを指摘された。そして、この税務調査ラッシュの後、新聞各紙はどんどん消費増税の主張を強めていくのである。


また、税務調査による報復は、新聞やテレビだけではなく、週刊誌にも向けられてきた。
「財務省のスキャンダルをやった週刊誌の版元の出版社もことごとく税務調査で嫌がらせを受けてますね。それどころか、フリーのジャーナリストのなかにも、財務官僚のスキャンダルを手がけた後に、税務調査を受けたという人が結構います。年収1千万円にも満たないようなフリーに税務調査が入るなんてことは普通ありえないですから、これは明らかに嫌がらせでしょう」(週刊誌関係者)
 たしかに、これでは腰がひけるのも当然だろう。実際、いまの新聞・テレビでは、財務省や国税がからむ不祥事は、よほどのことがない限り事前に自主規制で潰されてしまうという。森友学園問題は「みんな赤信号を渡っている」状態なため、ある程度は財務省の批判もしているが、現国税庁長官である迫田前理財局長を名指しで批判し、証人喚問を要求するというのは、やはりハードルが高いということだろう。
 そう考えると、国税庁長官に迫田氏が就任しているということ自体がきな臭く思えてくる。つまり、安倍首相は自分たちのさまざまな疑惑を封じ込め、マスコミの情報源を特定するために、同郷の子飼い官僚を国税のトップに座らせたのではないか。
 賭けてもいいが、安倍政権に飼い慣らされたマスメディアは、今日の証人喚問が終わったとたん、幕引きムードを醸し始めるだろう。
しかし何度でも言う。森友学園問題は、籠池理事長の証人喚問だけでは何もわからない。

国有地は国民全体の財産だ。真実を知るために、迫田氏の証人喚問は必須。
そして、マスコミはいまこそ腹をくくり、総力をかけて“伏魔殿”に切り込まねばならない。

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本サイトで既報のとおり、今回の参院選に際して、自民党は弁護士を引き連れて放送局に乗り込み、公職選挙法違反の政党CMを流せと圧力をかけた。安倍政権において、こうしたメディア圧力はもはや日常茶飯事になっている。そして、テレビ局は完全に飼いならされ、圧力をかけられる前に自ら政権の意向を忖度(そんたく)し、過剰な自主規制を行っている。

 ところが、これまで本サイトが何度も具体的に報じてきたように、テレビメディアにかかわる当事者たちからは、なかなか具体的な話が出てこない。安倍政権に追い詰められてキャスター辞任に追い込まれたテレビ朝日『報道ステーション』の古舘伊知郎氏にしても、TBS『NEWS23』の岸井成格氏にしても、最後まで「政治的な圧力はなかった」「特定の圧力を感じたことはない」という姿勢を崩さなかった。結局、これからもテレビの世界で生きていくことを考えると、本当のことは言えない、ということなのだろう。
 しかし、そんななか、いまも現役で数々のテレビ番組に出演中の有名ジャーナリストが、この圧力問題についてかなり踏み込んだ証言をした。

 そのジャーナリストとは池上彰氏。池上氏は緊急復刊された「朝日ジャーナル」(朝日新聞出版)における元共同通信社編集主幹の原寿雄氏との対談で、テレビ局の自主規制、さらに政権からの圧力の詳細を具体的に語っているのだ。

 池上氏はまず、「『報道の自由度』と言いますが、国が報道の自由を制限しているか、それとも報道機関の側が勝手に自主規制したり、忖度したりして、自ら自由を狭めているのか。日本では後者が多いような気がします」と指摘した上で、古巣のNHKの体たらくを嘆く。

 「高市早苗総務相が、政治的公平性を欠く放送を繰り返した放送局に電波停止を命じる可能性に言及した際、ジャーナリストらが抗議会見を開きましたが、NHKは取材にも行かなかった。情けないですね」
 しかし一方で、池上氏は、この「忖度」はメディアが勝手にやっているわけではなく、それを生み出したものがあることをはっきり指摘している。
「最近までは権力を持つ側は『メディアに圧力をかけてはいけない』というのが共通認識でした。(略)ところが、安倍政権になってからは、自民党はおもなニュース番組をすべて録画して、細かい部分まで毎日のように抗議し、訂正を求め、注文をつけてくる。すると、テレビ局は『面倒くさい』となる。対応が大変で、次第に『文句を言われない表現にしようか』となってしまうのです」
 つまり、安倍政権による大量の抗議が、テレビ局を萎縮させ、局内に「忖度」の空気を蔓延させているというのだ

 また、池上氏はネット右翼による放送局への抗議電話、いわゆる「電凸」についても、このように語っている。
「さらに深刻なのは『電凸』です。『電話で突撃する』という意味のインターネット用語ですが、一般の読者や視聴者が、気に食わない報道があると、スポンサー企業に一斉に抗議電話をかける。『不買運動をする』なんて言われるとビックリするんですね。昨年6月に自民党の議員が、マスコミを懲らしめるためにスポンサーに圧力をかけることを提案して、問題になりました。それも実際にはすでに行われているんです」
「現代的に言うと『反知性主義』という言葉に言い換えることができるのではないでしょうか。冷静に議論をするのではなく、『マスゴミ』『反日』と罵倒して、数の力で封殺する。その状況でも冷静に立ち止まって議論することが、メディアの役割ですよね」


 池上氏は4月27日放送の『荻上チキ・Session-22』(TBSラジオ)に出演した際にも、こんな自身の体験談を明かしていた。
 「私も『(週刊)こどもニュース』をやっているころにですね、まあ、それこそ大きな政治の問題をやるわけですよね。すると、いろんな人から抗議の電話がかかってくるわけです。その応対に1時間から2時間、ずっと相手をしているわけですね。すると、面倒くさくなりますよね。次からやめておこう......ああ、こうやっていろんなテレビ局はこういう微妙な話を取り上げなくなっているんだ、って感じましたね」


 ネトウヨの「電凸」に放送局が屈するとは、それこそ涙が出るほど情けない話だが、しかし、この「電凸」にしても、自民党、とくに安倍氏周辺が下野した時代に、自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)というかたちでネトウヨを組織し、その下地をつくってきたものだ。
 そして、第二次安倍政権が成立すると、自民党や安倍政権にちょっとでも批判的な報道をしたら、J-NSC会員や安倍シンパのネトウヨたちが大挙してネットや「電凸」で抗議を展開するという体制ができあがってしまった。
 池上氏も「朝日ジャーナル」の対談で、この大量の抗議の流れに安倍政権の影響があることを示唆している。
 「第1次安倍政権(06〜07年)の時に、メディアへの抗議が増えたんです。ところが、安倍さんが辞めた後にパタリとなくなりました。福田政権、麻生政権、民主党政権の時は抗議が大量にくるようなことはなかった。それが第2次安倍政権(12年〜)になって復活しました」


 さらに、注目すべきなのは、池上氏自身が直接的な圧力を体験したことも証言していることだ。
「私が特定秘密保護法についてテレビで批判的な解説をした時も、すぐに役所から『ご説明を』と資料を持ってやってきた。こういうことが日常的にあるわけです」
 ようするに、安倍政権はこうした抗議を繰り返すことで、メディアを揺さぶって、その自立性を奪い取り、いちいち命じなくとも勝手に「自主規制」「忖度」してくれる状況をつくりだしてしまったのだ。



 そう考えると、私たちはいま、このメディア報道の問題で安易に「忖度」という言葉を使うべきではないのかもしれない。「忖度」というマジックワードによってメディア側の"自己批判"に終始してしまえば、その根元はどこから来ているのか、という問題の本質を見失ってしまうからだ。


 メディア人がまずやるべきことは、圧力の存在をまず認めること。そのうえで、圧力とどう闘うか、圧力をどうかわすかを考えるべきなのだ。


 「忖度の『そ』の字もないような番組をつくってみたいと思いました」
 これは、今年6月、優れた放送番組に贈られるギャラクシー賞の授賞式で、テレビ部門の優秀賞に選ばれたNNNドキュメント『南京事件 兵士たちの遺言』(日本テレビ)のディレクター・清水潔氏が語った言葉だ。
 実は、この『南京事件 兵士たちの遺言』は、放送日の新聞ラテ欄では『しゃべってから死ぬ 封印された陣中日記』というフェイクのタイトルがつけられており、そこに「南京」の文字はなかった。つまり清水氏は、南京事件を扱うにあたり、政権や上層部から余計な「圧力」がかかるのを避けるために、こうした策を講じたと考えられるのだ。このしたたかな姿勢こそ、テレビ局の現場で求められているものに他ならならないだろう。


 池上氏はこの2、3年、新聞紙面や雑誌で舌鋒鋭く安倍政権を批判してきた。今回の「朝日ジャーナル」でも、安倍自民党の惹句である「日本を、取り戻す。」について、こうチクリと刺している。
「(安倍首相が)取り戻したい『日本』とは何なのか。いま、米国では『メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン(米国を再び偉大な国に)』と言うトランプ氏が大統領候補になりそうですが、安倍さんは『メイク・ジャパン・グレイト・アゲイン』と言っているようなもの。中身はいろんな意味で受け取れるわけです」
 できれば、この鋭いツッコミをテレビでも見せてほしい。池上氏はこの参院選投票日でも選挙特番のキャスターをつとめる予定だが、安倍首相と対峙したときは、ぜひこれ以上の辛辣なセリフをぶつけてほしいものだ。





転載終了





崇教真光の事件が「しんぶん赤旗」以外で全く報じられないのは、忖度があるからでしょうね。


崇教真光では、医療否定殺人や真光隊教連中の死亡事故が起きていますが、週刊誌ですら報じられません。


ライフスペース・ヤマギシ会・エホバの証人・法の華・聖神中央教会など政治力皆無の宗教団体は不祥事を大々的にマスコミが報じますが、<br>
崇教真光や創価学会など政治力がある宗教団体は、上記のようにマスコミに圧力をかけられるため、不祥事を報道できないのです。


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《「欧米企業に比べて、日本の生産性は低い」といった話をよく耳にするようになったが、多くのビジネスパーソンはピンとこないかもしれない。世界の常識と日本の常識はどこがズレているのか。グーグルなどで人材育成に携わったピョートルさんに聞いたところ…。[土肥義則,ITmedia]》

 部下とうまくコミュニケーションをとるためにどうすればいいのか。部下と一対一で話すこと。彼ら・彼女らが何を考えているのか。何を望んでいるのか。そうした話をじっくり聞くことで、やがて両者の間で信頼関係が構築されていく。結果、情報交換が活発になり、イノベーションが起きやすくなる。


人事コンサルタントなどで活躍しているピョートル・フェリークス・グジバチさんに、そのような話を聞いた。ピョーちゃんの愛称で親しまれている彼は、ポーランドで生まれて2000年に来日。モルガン・スタンレーやグーグルなどで活躍し、現在は2つの会社を経営している。事業戦略や人材開発などに携わってきて、最近著書『世界一早く結果を出す人は、なぜ、メールを使わないのか』(SBクリエイティブ)も出された彼に、もうひとつ聞きたいことがある。それは、日本企業の「生産性」について。
 「欧米企業に比べて、日本の生産性は低い」といった話をよく耳にするようになったが、多くのビジネスパーソンはピンとこないかもしれない。考えてみれば、それは仕方がないこと。なぜなら、日本の企業でずっと働いていたら、それが常識になって、世界の常識からズレていることに気付かないからだ。
 では、生産性が低い日本企業にどのような特徴があるのか。何か共通点のようなものがあるのか。数多くの企業を見てきた、ピョートルさんに話をいてみた。


社員のことを「性悪説」で見ている

土肥: 日本生産性本部が「労働生産性の国際比較」(2016年版)を発表していまして、それによると2015年の日本の労働生産性(就業1時間当たり名目付加価値)は42.1ドルで、OECD加盟35カ国の中で20位。ちなみに米国は6位で68.3ドル、1位のルクセンブルクは95.0ドルで、日本の2.3倍ほどあるんですよね。
 日本の企業は欧米に比べて、「効率が悪い」「システムの導入が遅れている」といった指摘がありますが、ピョートルさんから見て「生産性が悪い人」「生産性が悪い会社」に何か共通していることってありますか?
ピョートル: たくさんあるのですが、その中でも特に「コミュニケーションが不足している」ケースが目立ちます。コミュニケーションが不足しているので、社員が「信頼されていないなあ」「尊重されていないなあ」と考える傾向があります。
 話はちょっと違いますが、ブラック企業の何が悪いかというと、社員のことを「性悪説」で見ているんですよね。「ウチの社員は言うことを聞かない」「無能な社員ばかりで困っている」「やる気がない奴ばかりでどうにかしなければいけない」といった声が多い。「そんな状況なので、ピョーちゃん何とかしてくれないですか?」と依頼されることがあるのですが、このような会社はがんばってもなかなか変わることは難しい。なぜかというと、ブラック企業の上司って「雲の中で働いている」ようなもんだから。
土肥: 雲の中で働いている? どういう意味ですか?
ピョートル: 何が言いたいかというと、現場から情報があがってこないので、上司は現場を知ることができないんですよね。そういう状況なので、「オレがやっていたころは、こうこうこうで」とか「昔はこうだった。奴らは何も分かっていねえ」などと言い出す。そして、ガンガン上から目線で押し付けていくる。「あれやれ、それやれ、何でもやれ」と。


上司と部下がそのような関係で、うまくいくと思いますか? うまくいくわけがないですよね。コミュニケーションがうまくいかないので、上司は「奴らのことは信頼しないほうがいい」「尊重しないほうがいい」と考え、性悪説のメンタリティが育まれていく。
 一方の部下はどうか。上司のことを怖く感じているので、「また何か言われるのではないか」「ちょっとしたことで怒られるのではないか」などと感じ、隣の席に座っている同僚にも情報を共有しなくなるんですよね。ネガティブな情報が上司に伝わってしまうと、また怒られるかもしれませんから。







社内で「完璧主義」がはびこる

土肥: 疑心暗鬼になって、何をやっても自分が疑われるのではないかと思うわけですね。であれば、波風が立たないように何もしなくなる。
ピョートル: そんなブラック企業で、上司に何をアピールすれば評価されるのか。評価されるのは「完璧なもの」だけ。例えば、企画書を提出しても、内容が不十分だと突っ返される。「こんなモノ使えるわけないだろっ!」と怒られる。ちょっとやそっとのことで評価されないので、社内で「完璧主義」がはびこっていく。完璧なものを目指さなければいけない、完璧なものを提出しなければいけない。そのように思い込んでしまうので、部下は「失敗してはいけない」という考えが根付いてしまうんです。
 ブラック企業をたくさん見ていると、上司が完璧なものを求めてくるから、部下は脅えて何も言えなくなっている。そんな環境では、イノベーションなんて生まれません。ましてや生産性なんて上がるはずがない。では、イケてる会社はどうか。みなさんが生き生きしています。上司は部下を信頼していて、部下は上司を尊重している。チームの人間関係がよくて、みんなが「新しいアイデアを出したい」「楽しく仕事をしたい」といった雰囲気が漂っている。
 なぜ会社って心地の悪いところでなければいけないのでしょうか。いや、なぜ心地の悪いところになってしまうのでしょうか。その根底には、やはり「コミュニケーション不足」があると思うんですよね。


土肥: 楽しくやったほうが生産性は上がりやすい。ちょっと考えてみれば、それって分かりますよね。学生時代の友だち、近所に住んでいる人たち、親戚の人たちとも仲良くやって人間関係を良好にしていれば、いろいろなことがうまく回っていく。会社でそれがなかなかうまくいかないのは、やはり金銭がからんでくるからではないでしょうか。売り上げが減少してくると、どうしてもみんなイライラしてくる。上司も不機嫌になって、「お前、使えねえ奴だなあ。売り上げが減ったんだから、訪問先を増やせよ!」などと言い出して、労働時間がどんどん長くなって生産性も悪化していく。
ピョートル: 会社なので、どうしても危機に陥るときがあります。売り上げが減ったり、赤字になったり。そうしたピンチになったときでも、社員の間に信頼関係があれば、がんばってくれるはずなんですよ。
なぜ人は「がんばる」ことができるのか
ピョートル: 『下町ロケット』(TBS)というドラマがありましたよね。主人公の男性は下町にある中小企業の社長を務めているのですが、ライバル会社から特許侵害を訴えられたり、コンペに負けたりして、資金難に陥る。倒産寸前まで追い詰められても、従業員はがんばっていました。
 なぜ、がんばることができたのか。「ロケットを打ち上げる」という大きな仕事にかかわっていたので、従業員の間にプライドがあったんですよね。意義のある仕事をしているので、自分もその仕事に携われば成長することができる。そうした従業員が多ければ多いほど、会社そして社会に貢献していくんです。
土肥: 上司と部下の間に良好な関係があったので、「ロケットを打ち上げる」ことに注力できたのかもしれません。生産性が低い会社には、なかなかできない。


ピョートル: 「人を動かす」ことは簡単のように感じるかもしれませんが、何も考えずに命令ばかりしていては、なかなか動いてくれません。例えば、上司が部下に対して「あなたはできない人だ」といった感じで、けなしてばかりいては、人は決して動いてくれません。けなすのではなくて、努力をほめることのほうが大切なんですよね。
 子どもの成績を伸ばすにはどうすればいいのか。いつも90点以上ばかりとってくる子どもに「また90点! スゴいねえ、エラいわねえ」と言い続けると、成績が落ちる傾向があるそうです。逆に、20点、30点ばかりとってくる子どもにはどのように接すればいいのか。「また30点か。お前はバカだなあ。ちゃんと勉強しろよ」といった感じで言うと、その子どもの成績は伸びにくい。
 では、このように言ったらどうでしょうか。30点をとった子どもに「30点もとったんだね、スゴいね。今度は35点とれるようにがんばってみようか」と。そして、35点とれたら「君は努力したんだね。スゴいね。じゃあ、次は38点を目指してがんばってみようか」と。このように努力をほめていくと、子どもの成績って伸びる傾向があるそうです。なぜ伸びるのか。自分が信頼されて、尊重されていることを自覚できるので、「がんばろう」という気持ちになるから。
土肥: ふむ。







部下の「価値観」を聞く

ピョートル: 「努力をほめられて、がんばってみよう」と思うのは子どもだけではないですよね。大人も同じ。売り上げが伸びない営業マンに、「またダメだったのか。もっと取引先を訪問しろよ!」と言っても、部下はなかなか動いてくれません。そうではなくて、少しでも伸びたらその部分をほめることが大切なんです。



生産性を上げるためにどうすればいいのか。やはり上司は部下とのコミュニケーションを増やして、彼ら・彼女らの価値観を聞き出さなければいけません。「価値観」というと、なんだか難しい響きのように聞こえるかもしれませんが、それほど難しいことではありません。あなたにとって何が大切ですか? いま何がほしいですか? などと聞いてみる。そして、「早く家に帰りたい」という答えが返ってきたら、そのためにどうすればいいのか、一緒に考えてみる。部下の仕事を見直して、ムダな作業があることが分かったら、それを止めてみる。そうした手を差し伸べるだけで、ものすごいパフォーマンスを発揮する人がいます。ぜひ、いろいろ実践してみてください。




転載終了





このブログでも「山本五十六さんの名言」を紹介していますが、

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。」

「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。」

「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」

とても共感できます。

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崇教真光にはとんでもない教えがあるのです。



イメージ 1

御聖言p27
神を想う教え
「汝ら神のみ子たれば、今汝等如何なる地位や仕事に就き、又貧富、幸不幸にあらんも、神の子として修行しある一段階に過ぎずして、しかも汝等が相応の理によりて汝等が再生転生中に行じて得し果なることをサトル外なき「厳粛なる果」たることは忘るる事勿れ。従いて汝、人を憎み、妬み、怒る心は、汝を一層に不幸となすべし。捨て去るべし。」




さらに崇教真光では、下記のように「死んでも感謝」と教わるのです。まるでオウム真理教のようです。

イメージ 2


「陽光子の三大徳目 感謝」p127

救い主様は私に「究極の感謝は、死しても感謝である」と仰せられました。







その上、犯罪を放置する人々にあるように犯罪被害を感謝することすら教えているのです。
ここまで来ると、犯罪組織としか言いようがない。



 植物人間の宣告を受けた時、私は内科医の医療ミスを怨み、訴えようとも考えました。
 しかし、救い主様、教え主様から賜る尊いみ光とみ教えによって、すべての原因が自らの罪穢からくることをサトらせていただいた私の心から怨みも憎しみも消させていただけたのでございます。
   
(真光328号「秋季大祭感謝御礼言上」より)




私はトラックの運転手が来たら、本当に恥ずべきことですが、怒鳴りちらしてやろうと思っていました。
 しかし、その方を見たとたん、そんなことはできず、逆に〈そうだ違うんだ。この方が悪いのではない。被害者である私の方に、何か事故になる原因があるのだ〉〈もういいんだ。こうして私は生かされている。この方に感謝しなくては……〉と思いました。
   
(真光328号「統一夏の陣体験談」より)


四月の半ば頃、娘と一緒にテレビを見ておりますと、テレビでは補導員と名乗り中学生の女の子を連れ去った事件の情報提供を呼びかけておりました。すると娘は「ママ、私、連絡入れてあげようかしら。きっとこの子はやくざに捕まっているのだと思う。もしかするともうどこかへ売られてしまっているかもしれないよ」と申します。「何故そんなことが判るの?」と聞きますと、娘は次のような話を初めました。
 その日は友達と二人で新宿に行き午後十一時頃家に帰ろうと思って歌舞伎町近くを歩いていると、中年の男性が「補導員だけどちょっと一緒に来てくれない?」と近付いて来たそうです。二人は何だか怖くなり別々に逃げたのですが〜略〜とうとう娘は捕まってしまい〜略〜車に乗せられ、手を縛られ、目隠しをされ、後部座席に座らされたそうです。〜略〜車の中では男達が「どこへ売り飛ばそうか」等と口々に喋っているのが聞こえ、きっと大変なことになる、死んでもいいからここから出るのだと娘は決心したそうです。
 段々高速道路は混雑してきたのか車はノロノロ運転になったので〈今しかない!〉と思い、まず心の中でしっかりと天津祈言を唱え、運良く少し弛みがちに縛られてある手でベンツのロックのはずし方を頭の中で描きつつはずし、思いっきりドアを押し開けて外に転げ落ちたそうです。そして二台後の若いカップルの方に助けを求め、家迄送って頂き無事だったというのです。
 この話を聞かされた私は思わずガタガタと震え身が縮む思いでした。このような大変なご守護を頂ける程、私は神様の御用は何一つ出来ておりません。それなのに娘はお救い頂けた、御守護の先取りのように感じました。
   
(真光364号「特集・神祭り」より抜粋)










災害に遭ったり理不尽な扱いをされるなど不幸現象は、過去世でかつて自分が行なってきたことが自分に返って来たのであり、不幸だということ自体が「自分はかつて散々悪いことをして来た」と書かれた看板を首から下げているのと同じだと、初級研修にて教わります。
さらに、不幸現象が起きた時に不満を持つだけで、せっかく不幸な目に遭った分消えたカルマがまた元に戻って更に不幸現象に見舞われるとされているため、イジメに遭ったらいじめる相手に「ありがとう」と思わないと更なる不幸に遭う。と組み手は脅迫されている。
不満の中でも「怒り」の想いは悪質であるとされており、人は1時間怒ると体内に80人殺せるだけの毒素を発生させると、「アメリカのエルマゲイツ博士の実験」を引き合いに出して初級研修にて教えられます。

このように理不尽な目に遭っても感謝せよ。という教義だから、人間として自然な喜怒哀楽を奪い、無表情なロボット人間を量産するのです。

崇教真光の悪質なところは、このように組み手を意志薄弱にしておきながら、自己主張が出来ないのは全て組み手本人のせいだと責任転嫁していることです。



因みに、エルマゲイツ博士の実験とは、現在は初級研修テキストから削除されて、講師が口頭で伝えています。

大まかな内容は
『怒っている人、悲しんでいる人、後悔している人。それぞれの息を液体窒素(液体空気や液体酸素など表記がバラバラなのも、信ぴょう性の低さを物語っている)で瞬間冷却すると、怒っている人は栗茶色、悲しんでいる人は水色、後悔している人は桃色の沈殿物が出来るという。
怒っている人の栗茶色の沈殿物をハツカネズミに注射したところ、わずか数秒で死んでしまった。
この栗茶色の沈殿物を分析すると、人類が今だ見たこともない猛毒であることがわかり、
毒性と発生量を計算すると、人が1時間怒り続けると80人殺せるだけの毒素を発生させることが分かった。』
というものですが、調査してもそれらしき研究結果や論文は見当たりません。
恐らくは都市伝説の一つだと思われます。


崇教真光の教義の特徴に、組み手の不安や恐怖を煽るために都市伝説的な教えが多数含まれていることです。



以下は私の推測ですが、初級研修会で教える内容にわざと都市伝説的な内容を持ち込むことで、物事を客観的に考えられる人を振るい落として、教団の実態を暴く恐れのある者が組み手にならないようにしていると考えられます。
そして、残った思考力が低い人間を教団の「カモ」としてさらにマインドコントロールを行って、上記のような「死んでも感謝」に悦びさえ感じてしまうロボットを作り出すため、他の新興宗教と違って不祥事が表面化しないのです。





おそらく、この記事が出たあと、教団は御聖言を回収して過激な教えを抜いて再編集したものを再配布するかもしれない。
最近、崇教真光では昔の古い真光誌(インターネットが普及する前に書かれたものなので、今では書籍に乗せられない過激な教えが掲載されていることが多い)を回収しているようですが、コソコソと証拠隠滅するような真似はしないでほしい。

少しは組み手に謝罪してほしい。
隠し逃げは許さない。












現在、日本会議に所属している森友学園がトカゲの尻尾切りされましたが、
次にトカゲの尻尾切りされるのは崇教真光であることを願う。

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地方は結局「若者」を排除して自ら衰退する




地方が衰退するのは、当たり前。「若者に活躍してほしい」 と言いながら、口だけに終わっているからだ

前回の記事「地方は儲からない『イベント地獄』で疲弊する」では、地方がいたずらに「やることばかり」を増加させ、「やめること」を意思決定できない無能なマネジメントによって衰退している話を解説しました。今回は、地方では人手不足などといいながら、多くの組織で有能な若い人材を排除し、自ら衰退を招いている構造について触れたいと思います。



■地方の「上の世代」は若者を積極的に受け入れていない

 そもそも「地方から若者がいなくなる」などということは、新しくも何ともありません。

 若者がいなくなる原因については、「大学も含めて、東京にはさまざまな機能が集中しているから」「地方は相対的にインフラが貧弱で不便だから」「経済力が劣っており金融面でも不利」など、構造的な要因がいくつもあります。

 しかし、それだけではないのです。従来、地方を担ってきた上の世代が、若者を積極的に受け入れてきたのかといえば、そんなことはありません。

 自分たちの言うことを聞かない若者、自分たちの理解できない感性をもっている若者をないがしろにし、多様性を排除してきた結果、地域のさまざまな組織が社会変化に対応できなくなり、衰退が加速している側面が強くあります。全国でまちの再生に携わっていると、たとえば商店街の重鎮などが「いやー、うちのまちは閉鎖的で」などと、自虐的に話しかけてきたりします。



ダメなところほど、若くて有望な人材を使えない

 しかしながら、私はかれこれ20年近く、さまざまな地域の再生にかかわっているからわかるのですが、閉鎖的でない地域など、見たことがありません。全国津々浦々の人が何気なしに「うちのまちは閉鎖的だから……」と言うとき、それは「閉鎖的なことはその地方の伝統的なもの」であり、「排除している自分たちには直接的な責任はない」と肯定しようとしているにすぎないと私は思っています。

 何よりも重要なのは、排他的な地域をこれから変えられるか否かは、「今そこにいる人達次第」ということです。もし過去からの流れをまったく変えずに、力のある若者を排除していくと、その地域の未来に必要な「リーダーシップ人材」「サポート人材」「イノベーション人材」の3つを失っていくことになります。一つひとつみていきましょう。



■「うちのまちには”いい若者”がいない」は、ウソ

 まずは、「リーダーシップ人材」です。全国各地で、地元のさまざまな組織の上役は、口をそろえてよくこう言います。「いやー、うちのまちには”いい若者”がいなくて……」と。しかしながら、本当にそうかと言われれば、大抵の場合は間違っています。

 とある、残念な地方都市の商店街に行った時のことです。「若い世代に世代交代したいが、いい若者がいない」と例のごとく言われる年配の会長さんがいらっしゃいました。「いやー、そんなことはないでしょう。ほら、地元に〇〇〇〇さんという、魅力的な居酒屋を全国区で展開している人がいるじゃないですか!  彼みたいな商売上手な人に、次の世代の商店街を担ってもらえればベストですよ」とお話すると、「アイツは俺の話を聞かない。商店街の活動にも消極的だからダメだ」と言うのです。

 そりゃあ、衰退する商店街の事業なんて、大抵は駄目な取り組みばかりで、賢い事業者ほど、かかわりません。成果の出ない取り組みを延々と繰り返しているわけですから、全国区の居酒屋のトップが、そんな人の話を聞かないのも当然です。



上から目線の「若者は我慢が足りない」はあまりに傲慢

 「地元で人気のお店を経営している」ということは、「何が地元で求められているのか」を掘り起こすマーケット感覚に優れている証拠です。さらに「多数のスタッフを雇えている」ということは、マネジメント能力に長けているということです。そのような若くて有望な人材に重要な役割や立場を与えずして、どうしてその地域が発展するのでしょうか。

 結局、上役たちが欲しいのは「地方に必要な、いい若者」ではなく、自分たちにとっての「都合のいい若者」なわけです。上役の好き嫌いではなく、有能である人材を認め、役割を渡せるかどうかが、地方の未来を分けていきます。




■「若者は『キツい仕事』を安く引き受けて当然」は傲慢

 次に「サポート人材」です。若者に、自分たちにできないことを頼むときの「頼み方」にも大きな問題があるのです。結果として、サポート人材を失っているケースが多々あります。

 よく「地方活性化のために、若者のアイデアと行動力に期待したい」と言いながら、実際は自分たちがやりたくないことを押し付け、若者に支払う報酬は自分たちよりも低く設定するのに何の躊躇もなかったりします。

 さらに、せっかく手を挙げてきた若者たちに「期待ほどではなかった」などと、「上から目線」で批判的な評価を平気で下したりします。そんなことをしているうちに、本当に誰も来なくなります。

 私が20代のころ、とある地方経営者が集まる会議において、「最近の若者は我慢が足りない」と経営者の方々が盛り上がる現場に出くわしたことがあります。そのとき、私は「従業員の我慢が足りないのではなく、むしろ従業員に不当な処遇をしているのではないですか?  この場所に『従業員の我慢に頼らない経営』を考える人はいないのですか?」と言って、場がシーンと静まり返ったのを思い出します。

 地方の経営者たちがこんな考え方では、地方に必要な業務を遂行してくれる人材層は、より恵まれた機会を求めて、別の都市へと移動していくわけです。



「年齢が若いだけの保守的な人」が残ったら、もうおしまい

 自分にできないことは年齢にかかわらず、むしろ「自分たちより高い報酬を支払ってでもやってもらう」という覚悟なくして、地方に良い人材が集まることはありません。




■若者の感性を完全否定したら、そのまちは「おしまい」

 さらに、3つ目は「イノベーション人材」の喪失です。若者が特段の迷惑をかけていないことでさえも、自分たちに理解できないことは、頭ごなしで「ダメだ」「劣化している」と決めつけがちです。匿名性の低い地方においては、そのような圧力によって、新たな芽がつぶされてしまう危険性があります。

 たとえば、北九州市の成人式などはマスコミによって、「変な格好しているヤンキー」くらいに報道されたりして、つぶされそうになったことがあります。しかし、実際には地元でまじめに働く若者たちが何十万円もかけて衣装を作ったり、レンタル衣装を借りて、自分たちの文化として発信しているのです。そもそも、それだけのおカネを持っているということは、しっかりと働き、さらに計画的に預金を積み立てているからこそ、できることです。北九州市の知人によれば最近では「同じような衣装を着て写真を撮りたい」とわざわざ北九州市に来る人さえいるそうです。

 このごろはよく「イノベーション人材を地方へ!」などという話で盛り上がりますが、そもそもイノベーションとは、従来のサービスや構造が、新しいものに置き換わることを意味します。自分たちに理解できない若者文化などを攻撃し、排除してしまっては、イノベーションもへったくれもありません。自分が理解できないことを否定しないことが、地方でイノベーションを起こす第一歩なのです。


 もし、いま挙げたような「3つの人材」を排除していくと、結果として地方には上役の言いなりになる、「年齢こそ若いものの考え方は保守的で硬直的な人たち」(まるで新興宗教の信者みたいな人)が残っていきます。その結果、どうなるかは言うまでもありません。


 今、実権を握る人はまずは役職を降り、若者に意思決定を委ね、事業報酬などはフェアに転換することが大切です。たとえば、宮城県女川町は、2011年の東日本大震災を契機に、官民のさまざまな組織で、意思決定を若い世代に委ねました。私も女川は被災前から知る地域だったため、その転換が被災後のまちづくりに大きな影響を与えるのを目の当たりにしました。過去の閉鎖性を未来につなげず、むしろ今の世代で大きく転換を果たし、若い人材に機会を与えることが求められています。

さて、4月25日(火)に「地方創生」や「日本の明日」について考える「超・生産性会議」(主催:東洋経済新報社、参加申し込み受付中)が東京・品川で開催されます。私も登壇しますので、ぜひお越しください。

木下 斉


転載終了



やはりどこの地域にも「老害」と呼ばれる年配者がいるんですねえ。
今の日本は崇教真光ほど悲惨ではありませんが、新興宗教内部みたいに権力を持った年寄りが若者を下僕として支配することが当たり前のような風潮が広がっているので心配です。
イノベーションについては、真光批判者の中にも自分が理解できないことをやる人物を「真光マニア宗教オタク妄想」だと攻撃し排除する年配者がいるので、妙に納得しました。





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