顕正会から日蓮正宗法華講へ移ったブログ

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ひさしぶりに国立戒壇シリーズの続きを書きます

国立戒壇シリーズ❗

http://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/folder/480612.html


「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」の、「その他の国立戒壇否定の僻論」の中の、


「大聖人の仏法の救済対象は国家ではない」

についてです



本題に入る前に、ちょっと酷いのが、

写真1枚目(「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」198〜199ページ)、


こちらに自分が丸で囲った4箇所は、正確には「(中略)」と書かなければいけない部分です
(また、文意が変わるほどではないながらも、少し勝手な変更もあります。)


まあせいぜい、「…」はともかくとしても、3つ目は「、(読点)」のみで多くの文章を略しております

写真5枚目は「、」で略された部分です



で、まず…

最初の「…」で略された部分では、写真にはしませんでしたが、阿部教学部長は、
(「悪書?」こと「本門事の戒壇の本義」において、)

「大聖人の仏法は一閻浮提広宣流布であるからその対象は全人類であり、日本一国の枠内に限られるものではない」

と言われ、その後、撰時抄の、

「一閻浮提の内・八万の国あり、その国国に八万の王あり、王王ごとに臣下並びに万民までも…」

の御文を挙げられました


これは、今回のテーマ「救済対象は国家か個人か?」とは少し外れるものの、

「国立戒壇」を叫び、「日本の広宣流布」を強調したい浅井会長にとっては、見せたくなかったのでしょうね



で、ここからが今回のテーマと関わってくるのですが…


写真2枚目(「大白法」昭和51年4月16日号、“本門事の戒壇の本義 ”)は、

写真1枚目で2番目に「…」で略された部分です


こちらでは、
諸法実相抄の、
「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり」
(写真2枚目の右端)

と、撰時抄の、
「法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるものならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし」
(写真2枚目の左側)

を挙げ、主旨として、

「上からの天下り的圧力でなく、つまり権力等によるものではなく、地から湧き出ずるように、社会の一般民衆より流布する実相を説き給うた。」
(写真2枚目の諸法実相抄のあと)

とされました


実はこれは、浅井会長も同じことを言っているのです


写真3枚目は、「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」の191ページ


こちらにおいて浅井会長は、

「国立戒壇とは、国家権力による強制をも意味しない。信仰は強制によってなし得るものではない。あくまで一対一の折伏により全国民が三大秘法を受持する時が広宣流布」



阿部教学部長と同じことを言っているでしょう


これ、かなり重要です

なぜなら浅井会長は、写真1枚目の部分の後では、
写真1枚目の傍線部分について、


「大聖人が国家を諌暁あそばされたのは“国家を弘教に利用する目的ではない”などとは云うも愚か…」


と始まり、そこから長々と批判をしておりますが…


そもそも阿部教学部長の傍線部分の発言は、
写真2枚目の部分、浅井会長も同意見の部分を踏まえた、その後のことですから、


浅井会長の批判はおかしいというわけです



そしてこの項の最後では、写真4枚目(「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」202ページ)のように、

「国主は一個人」

とでも、阿部教学部長が言っているかのような論理展開をしておりますが、

これは大きな間違いです


写真5枚目(同じく「本門事の戒壇の本義」)は、
始めのほうで述べたごとく、写真1枚目の丸で囲った3番目の「、」で略された部分ですが、


こちらで阿部教学部長は、国主を「単なる一個人」としては扱わず、

「国政の担当者、権力者、国主としての人格」
(写真5枚目上段左側)

と述べ、さらに、

「為政者の信仰の正邪がその人間性およびそれによって醸し出すもろもろの因縁の上に、或いは三災七難となり、或いは安国安穏の世となって表れる。かかる原理にもとづいて国主、天皇をも正法に帰依せしめんとされたのである」

と言っているのです


決して、国主を「私人・個人」(写真5枚目)とは捉えていませんよね


さらに、写真1枚目の最後の「…」で略された部分には、


「その社会的影響が強いだけに、国主の行為が人間性の変革によって是正されることにより広汎な範囲の変革が可能となる」

とも仰られております


これを見ても、「国主は一個人」などとは捉えてはおりませんよね



写真1枚目で略した4つの部分、全てが重要でしたね



最後にまとめますと…


浅井会長は要するに、

「悪意の切り文」
「悪意の捉え方」
「悪意の挙げ足とり」

をした


そういうことですね



では、何のためにそんなことをあえてしたのか???



もちろん、


このシリーズでさんざん取り上げてきた、

「国立戒壇」

を、

「名称として正しい」
「国立戒壇こそが御遺命」

としたいからでしょうね



浅井会長の巧みなたばかりと、その正体に、全顕正会員が気付いてほしいです

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