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バイブルメッセージ(新約)

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マタイによる福音書21章―祈りの家と呼ばれるべき所

心がなごむバイブルメッセージVol.971



【マタイによる福音書21章】
21:12 それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。
21:13 そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしている。」


イエス様がエレサレムに入城されたとき、人々は大歓迎でイエス様を迎えました。ところが、当のイエス様は、そんな歓迎を喜ぶどころか、神殿の境内に入ると、そこで売り買いしていた人々を追い出し始めたのです。そして、深い憤りをもってこう言われました。「『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしている。」

当時、神殿には、礼拝で献げる動物を売る商売人たちが大勢いて、境内の中は、物を売り買いする人々の声が響き渡っていました。献げ物の動物を売ることは、もともと遠方から神殿礼拝にやって来る人々の便宜を図るために許可されていたものでしたが、それが次第に本筋からずれ、暴利をむさぼる商売人や、境内の利権を持つ祭司たちの格好の金儲けの手段と化していたのです。

本来、神様を礼拝する喜びと賛美の声に満ちているはずの神殿が、人々が物を売り買いする喧騒の場とされてしまっている。神様との静かな交わりと祈りの場であるはずの神殿が、商売人や祭司たちの金儲けの場とされている。イエス様の深い憤りの理由はそこにありました。真実な礼拝が妨げられるとき、イエス様は深い悲しみを覚えられるのです。そして、礼拝を妨げているものを激しい憤りをもって追い出されるのです。

そして、もう一つ、イエス様の悲しみと憤りには大切な理由がありました。それは、14節のイエス様の行動の中に見ることができます。

21:14 境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた。

礼拝などそっちのけで商売に走る商売人たちや、そんな状況を知りながら、我が物顔で神殿を支配する祭司たちの影で、貧しい人々、弱さの中にある人々は、いつも脇に追いやられ、忘れ去られている…。イエス様の激しい憤りの理由はまさにそこにあったに違いありません。

「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである」…私たちの家、私たちの生活、私たちの教会は、「祈りの家」と呼ばれるにふさわしいものとなっているでしょうか?

主の恵みと平和が豊かにありますように!
平塚修久

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マタイによる福音書20章―先の者が後になり

心がなごむバイブルメッセージVol.970



【マタイによる福音書20章】
20:1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。…


「ぶどう園の労働者」のたとえを読むと、“謎かけ”のような思いがする人も少なくないのではないでしょうか。

明け方早くから雇われた人も、9時、12時、午後3時、午後5時に雇われた人も、皆同じ賃金だったと言うのですから、確かに「えっー?」という気分になるのも不思議ではないことでしょう。しかも、一番遅く雇われた人から賃金が支払われたというのです。何となく割り切れない気持ちがしても不思議ではありません。おまけに、たとえ話の締めくくりの言葉が、「このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」(16節)というのですから、分かるような分からないような不思議な話です。

でも、それもそのはず。イエス様が「天の国は次のようにたとえられる」(1節)と言われたように、このたとえは「天の国」について教えているのです。それゆえ、この世の価値観や常識からは受け入れられなくても仕方ありません。

実は、このたとえ話のテーマは、前章の金持ちの青年の話と同じです。それは、最後に「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」(19:30)と言われていることからも分かります。金持ちの青年の話では、永遠の命は、人間の真面目さや努力によって得られるのではなく、神様の恵みによることが教えられていましたが、この「ぶどう園の労働者」のたとえでも、永遠の命は、人の努力や働きによるものではなく、ただ神様の恵みによって与えられるものであることが教えられています。ですから、その“恵み”に気づかずに、“報酬”にばかり目が向いていると、どうしても割り切れなくなってしまうのです。

私たちが救われたのは、ただ神様の恵みによるのです。それゆえ、誰が偉いとか偉くないとか、どっちが多いとか少ないとかはまったく関係ありません。神様の前では、すべての人が同じ罪人なのです。そして、すべての人がただキリストの十字架の恵みによって赦され救われるのです。それゆえ、誰も誇ることはできません(コリント一1:29)。

このように、天の国とは、神様の恵みの世界であり、救いはこの恵みによって始まり、恵みによって全うされるのです。そして、この恵みの世界に入るために必要な条件はただ一つ、主の御前にへりくだることです。

主の恵みと平和が豊かにありますように!
平塚修久

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マタイによる福音書19章―永遠の命を得るには?

心がなごむバイブルメッセージVol.969



【マタイによる福音書19章】
19:16 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」


これは、一人の金持ちの青年がイエス様に尋ねた質問です。とても真面目な質問であり、この青年が真剣に生きようとしていたことがよく分かります。

しかし、真面目であればすべてOKかと言えば、そうではありません。実は、この青年が永遠の命を得るには、いくつかの問題あったのです。その問題は、まず第一に、彼の問いかけそのものの中に見ることができます。彼は、「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と問いました。善いことをすれば、永遠の命を得ることができると彼は考えていたのです。これこそまさに“律法主義”。彼は自分の真面目な努力によって、救いを得ようとしていたのです。

と言うと、「真面目に努力することのどこがいけないんだ?」と疑問を持つ人がいるかも知れません。もちろん、真面目も、努力も、決していけないことではなく、素晴らしいことです。しかし、“救い”に関して言えば、人間はどんなに真面目に努力しても、神の御前で完全な義を得ることは不可能なのです。それほど人間の罪は根深く深刻な問題なのです。

律法主義者は、そのことを悟ろうとも認めようともしません。なぜなら、自分の努力で、善い行いをすれば救いを得ることができると信じているからです。こういう信仰の問題点は、いつの間にか、自分は正しい、自分はやっている、という自己満足と高ぶりに陥ってしまうことです。

この青年もそうでした。イエス様が、「もし命を得たいなら、掟を守りなさい」と言うと、彼は、「そういうことはみな守ってきました」と自信をもって答えたのです。このとき、青年に欠けていたのは、謙虚さと罪の自覚だったのです。

イエス様は、それをちゃんと見抜いていました。それで彼にこう言ったのです。

19:21 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
19:22 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。

イエス様は、彼がそうできないことを分かっていて、あえてこう言われたのではないでしょうか。そうすることで、彼を、善い行いによる義ではなく恵みによる義、律法による義ではなく信仰による義に生きる者とさせるために。

あなたはどちらの義に生きているでしょうか。善い行いによる義ですか。それとも恵みによる義でしょうか。

主の恵みと平和が豊かにありますように!
平塚修久

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マタイによる福音書18章―だれが一番偉い?

心がなごむバイブルメッセージVol.968



【マタイによる福音書18章】
18:1 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。


これが、この時点での弟子たちのもっぱらの関心でした。弟子たちは、地上の価値観を天の国にも持ち込んで考えていたのです。

「そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。『はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。』」(18:2〜5)

これがイエス様の答えです。当時の世界では、子供は最も取るに足りない者でした。「偉い」ということからすれば、子供は最も低い者と見なされていたのです。しかし、イエス様は、「自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」と言われました。つまり、天の国では、自分を低くすること、すなわち謙虚であることが最も価値あることなのです。

謙虚さは、自由をもたらします。この世における身分や業績によって自分の価値をはかるのではなく、神様に愛され受け入れられていることに、自分の価値の基盤を置いているからです。この基盤は、イエス様の十字架の御業のゆえに、永遠に揺らぐことがありません。すなわち、私たちは、100%赦され、愛される者とされているのです。

それゆえ、天の国に生きる者は、自分を偉くしようとする必要がありません。なぜなら、神様の愛によって絶対的に愛されているからです。そして、そのような神様の愛に包まれ満たされるからこそ、他の人々も愛と平安をもって受け入れることができるのです。

本章には、小さな者をつまずかせる罪への警告(6〜9節)、迷い出た羊のたとえ(10〜14節)、罪に陥った兄弟への忠告(15〜20節)、そして「兄弟を赦さない家来」のたとえ(21〜35節)などの教えが続きますが、これらはすべて、神様の御前に謙虚であることによって可能となると言ってよいでしょう。

「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。」(3〜4節)

あなたは、このイエス様の教えの重要性を確信しているでしょうか。

主の恵みと平和が豊かにありますように!
平塚修久

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マタイによる福音書17章―栄光の主イエス様に出会う

心がなごむバイブルメッセージVol.967



【マタイによる福音書17章】
17:1 六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
17:2 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。


ペトロが主イエス様に信仰を言い表して6日の後、イエス様は、ペトロとヤコブとヨハネの三人を連れて高い山に登られました。すると突然、弟子たちの目の前で、イエス様の姿が変わり、「顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」(2節)のです! しかも、「見ると、モーセとエリヤが現れて、イエスと語り合って」(3節)いるではありませんか!

こんな時、いつも真っ先に動き出すのがペトロです。この時も「ペトロが口をはさんでイエスに」(4節)言いました。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」

ビックリするやら、嬉しいやらで、ペトロは自分が何をしたらよいのか分からなかったに違いありません。

それにしても、どうしてこんな出来事が起こったのでしょうか。なぜイエス様は、わざわざ高い山に登って、弟子たちの目の前で栄光の御姿を現わされたのでしょうか。

一つ言えることは、この体験によって、弟子たちのイエス様への信仰は確実に深まったに違いないということです。つまりこの出来事は、「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰を言い表したペトロたちに、本来のイエス様、天の栄光に輝くイエス様の御姿を見せることで、イエス様への信仰の確信を持たせるためであったということです。

このように、イエス様を救い主と信じる人は誰でも、栄光の主イエス様に出会い、イエス様の栄光を見るという体験が必要なのではないでしょうか。もちろん、誰もが弟子たちと同じ体験をするということではありません。信仰は、単なる信条ではなく、生けるまことの神様との出会いであり、へりくだって神と共に生きることだからです。

では、いったいどうすれば、栄光のイエス様に出会い、イエス様の栄光を見ることができるのでしょうか?

御言葉と祈りと礼拝によって、私たちは、日々生けるまことの神様と出会い、交わり、共に歩むことができるのです。そういう神様との出会いを、あなたは日々体験していらっしゃるでしょうか。

主の恵みと平和が豊かにありますように!
平塚修久

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