マタイによる福音書21章―祈りの家と呼ばれるべき所
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【マタイによる福音書21章】 21:12 それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。
21:13 そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしている。」 イエス様がエレサレムに入城されたとき、人々は大歓迎でイエス様を迎えました。ところが、当のイエス様は、そんな歓迎を喜ぶどころか、神殿の境内に入ると、そこで売り買いしていた人々を追い出し始めたのです。そして、深い憤りをもってこう言われました。「『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしている。」 当時、神殿には、礼拝で献げる動物を売る商売人たちが大勢いて、境内の中は、物を売り買いする人々の声が響き渡っていました。献げ物の動物を売ることは、もともと遠方から神殿礼拝にやって来る人々の便宜を図るために許可されていたものでしたが、それが次第に本筋からずれ、暴利をむさぼる商売人や、境内の利権を持つ祭司たちの格好の金儲けの手段と化していたのです。 本来、神様を礼拝する喜びと賛美の声に満ちているはずの神殿が、人々が物を売り買いする喧騒の場とされてしまっている。神様との静かな交わりと祈りの場であるはずの神殿が、商売人や祭司たちの金儲けの場とされている。イエス様の深い憤りの理由はそこにありました。真実な礼拝が妨げられるとき、イエス様は深い悲しみを覚えられるのです。そして、礼拝を妨げているものを激しい憤りをもって追い出されるのです。 そして、もう一つ、イエス様の悲しみと憤りには大切な理由がありました。それは、14節のイエス様の行動の中に見ることができます。 21:14 境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた。 礼拝などそっちのけで商売に走る商売人たちや、そんな状況を知りながら、我が物顔で神殿を支配する祭司たちの影で、貧しい人々、弱さの中にある人々は、いつも脇に追いやられ、忘れ去られている…。イエス様の激しい憤りの理由はまさにそこにあったに違いありません。 「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである」…私たちの家、私たちの生活、私たちの教会は、「祈りの家」と呼ばれるにふさわしいものとなっているでしょうか? 主の恵みと平和が豊かにありますように!
平塚修久 |
