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高村薫「太陽を曳く馬」(新潮社・上巻、下巻)

2002年発表の「晴子情歌」、2005年「新リア王」と続く、青森の名家、福澤一族の100年を、母と子。父と子。世代を超えた親と子の関係を中心に据え描いた三部作の最終話です。

「晴子情歌」は大正デモクラシーの息吹に育まれた近代的自我に立とうとする女性・晴子が、戦争で区切られた、2つの昭和という時代の継ぎ目にかざした「手紙」の向こう側にいると信じている、息子・彰之へ書き連ねた言葉によって、「自我」の向こう側に、語るべき相手彰之がなぜ存在するのかと、一体から、分離への運命を背負った母と子との繋がりを探り続けました。

続く「新リア王」はもう一つの昭和、すなわち高度経済成長の時代、彰之の心身を支えた、このもう一つの昭和を「創世した」と独白する政治家の父・榮と、仏道の中で自己を知ろうとする息子・彰之の対話を通じて、父の神話の崩壊とともに、その繋がりの希薄さを自覚する物語でした。

それは、膜だとか、穴だとか、高村さんが頻繁に用いる、自身が見て、感じる世界の形容の、強い自覚のようでもあり、それの指し示すところは、その自分と他者を繋ぎ、または区別する、世界の表面が自分に強いるところの絶対的な強制の不確かさなのでしょう。

そして9.11テロ後の現代を舞台とする「太陽を曳く馬」は、20世紀末と21世紀初頭に起こった2つの「人が死ぬこと」を巡る解釈の過程でありましょう。

ここでは、主体が物語を述べない。違和感を述べ立てることに終始する。因と果の順番が成り立たない。いや、もはや、「そんな話ではない」のです。

現代は、物語にはならない。懐かしい話ではない。それを物語ることは、解釈ということになるのです。

急き立てるような解釈の問いは、読む者も宙吊りにして、その心もとなさに、次なるしがみ付くべき言葉を待望させるのです。早く、白か黒か決めてくれと。。

これは、やはり、ミステリーとも言うべきでしょう。

向かう先は、同じものを見て、同じものだと答えない心の謎なのです。その謎に向かって、美術とか、理性とか、仏教とか、哲学とか、世俗の論理とかを動員して語って、語り尽くして、真実を明らかにしようとする体験をさせてくれるのです。

何がしかのリアリティは棚上げにしての前提ではありますが、内面のリアルさに肉薄しようと、高村さんが探り当てる言葉による経験。

「だからこれは小説ではあるけれども、ここに懐かしさを求めてはならないと、突き放す小説なんだ。
このシュミレーションは、この本の中の物語を透過して、存在する今を読むことを誘ってくれていたのだ」

読み終えた自分が、伝い歩いていた福澤の物語の出口にいたことに気づき、しばし感嘆しました。

この作品が「新潮」に連載されていた時、感じたのはもっと物語が欲しかった点です。

しかし、書籍を読み終えて、そこで身体なるものの繋がりが疼いたのだと。彰之の息子であり、この「死」をめぐる当事者である、秋道との身体と感応したのだと。理性の果てに、炎立つ、生の意思の震えだったと。理解しました。

現代の先は、この震える体をかかえながら、ただ一歩一歩歩くのでしょう。

刑事・合田を主人公とした「レディ・ジョーカー」の閉塞した世界の不条理への失望は、行為する者の能動の意思表明に変わったとも読めます。

「太陽を曳く馬」で、再び合田の視点で、この物語の主体であるはずの彰之の存在を描いたことは、私を私から私と言うでなく、他者が私を見て私と言う、同じ私が眼に写る像の違いを際立たせています。

もう表も裏もない、存在する私。

しかしそのため人物は、それぞれ痕跡のようになり、主人公は、行為の解釈を行うマシンと化し、未来などという飛躍を語る主体では無くなったようです。

次なる小説を高村さんはどう構想されているのか。またもや注目し続けることになるでしょう。ありがとうございました。

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