浮世離れの世迷言

主語はいつだって ワ タ シ です。

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画像と内容が今日も一致しない話

友人夫婦の双子の息子たちが個展を開いていて、ワタシも酒を飲みに…、いや、賑わいにもなろうかという枯れ木になりに行っている。

ワタシはこういう性質だから、せっかくの個展で酒なんぞ飲んで若い者の迷惑になりたくないと思っているが、双子の父親とか、双子の父親の同級生とか、それはつまりワタシの同級生であったりするのだけれど、そういう連中がさねも当たり前にコップ酒なんぞを飲んでいると、ワタシは憤慨して大いに眉をひそめている。

ひそめているが、どうした弾みか当の双子や、双子の仲間や、友人夫婦の婦の方の昔の同級生やその昔の同級生の娘たちが飲んでいるのを見ると、飲まないということが罪悪のように思われるタイミングというのが確かにあって、それで個の精神は衆の雰囲気に棹差して流されてしまうのである。



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もちろんその罰は確実にあって、直近の二度の個展の次の日、ワタシは大いに二日酔いを苦しみ、そのために反省していまや酒を一切飲んでいない。
禁煙禁女は久しいが、そこに禁酒まで入ったのでは一体何のためにお前は生きているのか、と問われもしようが、最近はさらに節制を始めて禁甘いものも追加した。ざまぁ観ろ、だ。

ワタシの毎日の食事はこうである。
朝は食パン1枚にマーマレードを塗って、それにバナナ1本。
昼はおにぎり二個に時々微妙に甘いパン、たとえばアンパンとかを一つ追加するときもある。
夜は温野菜と根っこの野菜と漬物とご飯軽く一膳と味噌汁。あれほどオレは魚肉は食わない、と宣言しているのに、肉や魚がお膳に載っているので、半分くらい食べたりベランダから投げ捨てたりしている。

そのせいか、このところ事務所でコーヒーを飲むときに、砂糖を入れてしまう。
餓鬼のようなものである。
そしてそのたびにたいへん後悔している。


休みの日は悲惨である。

何もすることが無いと腹が減って泣きたくなる。
そこいらにあるものを食べたら良いようなものだが、穿いたジーンズがなんとなくずり落ちてくるような気がして嬉しくてたまらないので我慢する。
が、我慢するのは悲しい。
休みの日によく寝るのは、あれは疲れているのだと思っていたけれど、もしかしたら栄養失調かもしれない。



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双子のうちのS平と書く方の、せっかくのイラストをこんな駄文のカット風に扱ってしまって申し訳ないが、思わず知らずこんな内容になってしまったので諦めてもらうしかない。

双子のもう一人もS平なのであって、ゆくゆくは面白い話の三つや四つは転がり出るかもしれないが、そういうのは年寄りの僻みみたいなものだからやめておく。


友人の中には、ワタシが数年前に精神に異常をきたしたのは過度なダイエットに起因すると言う者もいる。
というのは Some friends said なになにという、中学校のときにスージーが言っていたあれだけれど、むにゃむにゃの言うことを聞かなかったから天罰が当たったのだ、と洗脳だか強弁だかこけおどしだか恐喝だかをするのと同じような気がしないでもないけれど、まあ、それに比較するほど酷いことでは無い。

しかしああいうのは本当にもう二度と御免で、だからそうならない程度に節制というのがまた匙加減が難しい。
モノというものは何事も極端に振ってから修正すべきであって、そうでもなければ張り合いが無いだろう。



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若い者は張り合いがあるようで羨ましい、じゃ無くておめでたい。


S平は毎日1作は描くというので驚いたら、そんなのは苦でもありません、と言う。
偉いものだと感心した。

ワタシは自分に課した仕事が終わらなくても帰宅してしまう。
情けない。



偉い若者はたくさんいるのである。

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未乗線

つい先週、京王電鉄競馬場線に乗って、未乗線は動物園線だけになった。

いつかは乗ってやろうと思う。
思うが、そんな機会はなかなか来ないだろうと思った。



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携帯カメラなので酷い手振れだかピンぼけなのだけれど、さっきコレを観て、おおいにぶっ魂消た。
んーー、と、ここは多摩地区だよな?

大沢悠里じゃないけれど、

まぁじすかっ

と思わず声に出る。



高幡不動駅は多磨動物公園に行く京王動物園線と多磨都市モノレールの乗換駅で、本線の特急も停まるから大きな駅だとは思っていたけれど、まさか名前の由来であるところの高幡不動尊というのがこんなに大きな寺であるとは思いもよらなかった。

無知は恥ずかしいものだ。

ムチムチ太もも。





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しかし、車だったので動物園線は乗らず、相変わらず未乗線のままである。
いつか高幡不動参詣と併せて、ついでにこれも行ったことの無い多摩動物公園見物も一緒に、全部一発でクリアしてやろうと思うのである。


このジャーマンアイリスは高幡不動とは全く関係無い。





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今日は電車に縁がある日で、先に多摩川線の話をしたばかりだけれど、また是政に行ったので、ちゃんとカメラを持っていった。
相変わらずなかなか上手に写せないのである。


ちょいと疲れた。
明日はもっと疲れそうである。






草臥れたときのカンファー。

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ドラム缶

テレビの話。
カシミールのポーターのこと。
ドラム缶に入ったガソリンを3人がかりで運び上げて1回100円だったか、それを3往復して300円がその日の収入という。
容量200リットルとして重量およそ150キログラム。3連背負子を使い一人当たり50キログラム。もちろん坂と階段を登る、ワタシなぞ想像できない重労働である。
それを毎日繰り返し、金を貯めて二〜三ヵ月に一度家族が住む家に帰る。
普段はポーターの共同生活で切り詰め切り詰め暮らして、持って帰る金は数千円だったろうか。

小銭の詰まった袋を奥さんに渡したら、まぁ、こんな大金、どうやって稼いだの?、と言われるほどの稼ぎと言うことらしい。もちろん、つましい喜びであろう、感嘆であろう。
息子は大学に入れて、ポーターじゃない人生を歩ませたいんだ、とポーターがテレビに答えている。
この地域の人々は教育を受ける機会が無いためにそのような肉体を酷使する賃労働しか就労機会が無い、らしい。


どこの国でも、庶民が這い上がるための有効な手段は教育である。
カシミールだけじゃない、たぶん日本だって、彼我の生活水準が違うだけで、内側で約分したら同じことだろう。
親が子どもの教育に必死になるのは、そういう側面が大きい。
今得たものを維持するため、これから得るものを確実にするため。
ずいぶん違うように思えるけれど、実はさほど変わらないのではないか。


親の心子知らず。
オレの心を子どもが知らない、という話じゃない。
オレが知らない、ということを、そのテレビ番組を観ながら、反芻しただけだ。
何度もそれを思う機会はあったけれど、ここでまた反芻する。







いろいろあって、いま、酒は飲まない。
残り時間に勝つか負けるか、どうなのか、というときに、自ら滅ぼす暇なんか無い。
だから、我慢する。

我慢するけど、嫌いじゃないから時々はこんな歌を聴いて反問し続ける。
どうせダメなのに、楽しみを抛り投げる?
そんなたいそうなもんじゃないだろ、人生なんて。


だけど、希望は捨てられない、ってことだ。







世の中というのは酷いものだと思う。
どうして芽を摘むのだろう?
どうしてこれからの時間が多い人間を、これからの時間が少ない人間が行く手を塞ぐのだろう?

どうして馬鹿は馬鹿なりに一生懸命生きようとしている者どもから希望を奪うのだろう?







その、馬鹿どもの希望を奪っているかに見える者共もまた、より強い者共に行く手を塞がれ手足を縛られ、懸命にもがいていることはワタシにだってよく解る。


ダースベイダーがアナキンスカイウォーカーに戻った話の、本当の意味はも一つめくった場所にあった、と言えなくも無いが、ま、そんなのは穿ち過ぎというやつだろう。




今はただ、負けるな、としか言えない。
いや、口に出しては詮無い詮無い、というやつか。

鬼平だな。

そういや天袋に全集が仕舞ってあったのをこないだ見つけた。




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今日もいてくれて、嬉しい。

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珍しく幸運

金環日蝕を観ることができて本当に嬉しかった。
観たから地球が赤色太陽に飲み込まれることが無くなるわけではないけれど、観られた幸運に感謝する。

幸運に感謝するのか幸運を感謝するのか、本当は幸運を「神に」感謝すると書くべきなのだろうけれど、幸運に感謝した方が万事好都合だからそうしておく。



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巡りあわせ、というのは確かにあるのだろう。
天下を統一した家康だって金環蝕には縁が無かったわけで、天上天下唯我独損のワタシが金環蝕に縁があったなんてのは、そういう巡りあわせだったと言う以外のなにものでもない。
明日何か悪いことが起こりそうな気配すら感じる。


今日、事務所の軒先にツバメが来た。
去年は来るや否や眼が合ってしまい、そうしたらそのままどこかに行ってしまってたいへん後悔したのだけれど、今年も懲りずに来てくれた。
ぎゃあぎゃぁうるさいので気付いたので、だからまるっきり関心が無い振りをして、パソコンの画面を見ながら横目でちらちら観ていた。
たぶん、明日行ってもいると思う。

鳥にしてみれば、そもそも益鳥も害鳥もみんな人間の自分勝手な分類に過ぎないわけで、そんなの余計なお世話だろうけれど、現実に人間に近しい鳥とそうでない鳥がいるし、人間が好む鳥と嫌う鳥がいるし、仕方ない。
人がどう思おうが、ワタシはやっぱりツバメは好きでカラスは大嫌いである。

こないだ上野の清水堂の木の、ワタシの頭よりちょっとだけ高い枝に止まったハシブトカラスをしげしげと眺めて、憎憎しいと思った。
今日、一部が赤い、意外に円い顔を見て、好もしく思った。

仕方ない。




東松山市に行って、ちょっとだけ線路の近くで時間が空いたので東武東上線の電車の写真を撮ったら、8000系が来た。

ツバメといい、8000系といい、もしかしたら天岩戸が開いた幸運のお裾分けがあったのかもしれない。




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どうせ雨だろうから

昨日ラシャ紙を買いに歩いたわけは、これである。



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もうだいぶ以前に、それでも間違いなく正楽襲名後に新宿末廣亭でもらえたもの。
突然出てきたので、今度は見失わないように一生懸命歩いたのであった。


林家正楽の正楽襲名興行ってのはたしかに豪華だった。
テレビで人気の噺家の襲名に較べたらそりゃ地味だけど、そんなのとはちょっと線が違うからね。
というのはあれだ、寄席好きのやっかみと衒学趣味と通振りと半可通振りとのブレンド思考だろうけど。


手許にメモがある。
ワタシが行った襲名興行は新宿末廣亭で、おお、まだ圓彌が生きていた。おくやみ、である。
この人はほんとに上手だった。さらっとしていて口跡が好くて。
姿も好くて、正札附がしっくりくる人だった。生きていれば、この人こそ圓生を継ぐ人だったろう。

正楽襲名の口上は扇橋と圓蔵と文楽。正楽の出し物は美空ひばりの影絵物語だった。

へえぇ、メモってのもたまには役に立つもんだ。



この切り絵は襲名の日ではなくって、でもやっぱり新宿末廣亭で貰ったもので、というのはやっぱり新宿が構造上いちばん貰いやすかったからである。
お題じゃなくて挨拶代わりの一枚というやつである。
傘を差されて嬉しいけれど、今日のこのタイミングはちと困る。



あーあ、そにしても寄席ぐらい行きたいものだ。

なんて言いながら、今日もだらだらと寝てばかり。
心に思っていたこともできず、まったくもって情けないことこのうえなし。

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開設日: 2006/7/18(火)


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