未曾有の被害をもたらした東日本大震災がら3月11日でちょうど1年経ちました。
当日の夜高田に行き現状をみて覚悟した事、ガソリンが手に入らなくて何時間も並んだ事、高田のおばさんの所に水や食料を持って何度も通った事、安置所に並べられた多くの人達、新幹線が不通で盛岡駅の夜行バスで来る親類を迎えに行ったり一関まで送り迎えした事、自衛隊警察消防各自治体の応援に感謝の気持ちで涙した事、自衛隊のねぶたの湯に入った事、警察から電話が来た時の事、お寺に迎えに行き盛岡へ連れて来て数ヶ月一緒に暮らした事、お墓に納骨した時の事。長い様で短かった1年でした。
まず心配していただき何かと助けていただいた皆様にお礼申し上げます、ありがとうございました!そしてこれからもよろしくお願いいたします。
自分の母親を含め親類を一度に6人亡くし、親友同級生も犠牲になりました。親類の内2人はまだ見つかっていません。正直、そんな現実なのですが悲しくて泣くという事はまだありません。ただ自分の帰る所、無条件に頼れる人を無くした喪失感が大きく心に大きな穴が空いた感じです。自分を育ててくれた母親、家、地元の街、親類という自分の「根」を奪われた怒りにもにた感情がありました。昨年海に釣りに結構な回数行ったのは自分の「根」を奪った海に対する仕返しのつもりだったのかもしれません。
それでも昨日見に行った高田松原は津波で松林を根こそぎ奪われ砂浜の砂も陸に流されながらも震災前と同じ潮騒と半島の眺めで私を迎えてくれました。ここに自分の「根」がまだ残っている、何も無い更地になりそこに居るはずの人はもう居ない高田だけどだしかにここに自分の「根」が残っているって気がつき感じて居る自分がいました。
一周忌の法要は先月にうちに済ませたので昨日は避難場所になっていた市民体育館に献花しお線香を上げ、お墓参りをして、県と市の合同追悼式に出席し、夕方自宅跡でお線香を上げて来ました。帰ろうと思い盛岡方面に車を走らせますが渋滞で車が繋がっているのが見えまた引き返して来て、今まで一度も行った事のなかった一本松のところへ行きました。今思えば一本松の所に戻されたんだと思います、自分の「根」が姿形はすっかり変わりもう居ない人もいるけど「根」はまだここにあるって伝える為に…。
我が故郷、我が「根」陸前高田。すっかり変わり果ててしまいましたが、陸前高田は変わらずそこにありました。育ててもらった故郷に少しでも恩返しをしたいのですが自分自身まだ半人前でたいした事は出来ませんが、出来る事をすこしづつして行こうと思います、大きな事は出世払いで。
1年という区切りの日でしたすが当事者達の心の区切りはまだまだ付きません、一生付かないかもしれません。心の区切りの前に現地には課題が山積みです、5年10年というスパンでその課題をクリアし福幸して行くまだまだその1年目とも言えるでしょう。
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