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LIZとさよならランチ

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帰国まで1週間。
おかげさまで皆さんに送別会をしていただき、それ以外はキッチンも使わないことにして、粗食に甘んじつつ荷物の片づけをしている今日この頃です。

今日は2回のロンドン生活を通してお世話になってきたLIZと最後にもう一度会いました。セルフリッジのネスプレッソで待ち合わせ、それから彼女が万年筆の調子が悪いのでみてもらいたいからと、バーリントンアーケードの万年筆屋さんへ。亡くなったご主人にお誕生日に買ってもらって長年使っているという万年筆をお店できれいにしてもらい、ペンは無事復活しました。ご主人は専門家が一つの商品にこだわって取り扱い、その商品のことに精通しているような店が大好きだったのだそうです。
「昔はセカンダリースクールに入るときに万年筆を買ってもらう、というのがbig presentだったものよ」と聞いて、そういえば中学に入るときに万年筆と腕時計を買ってもらって、大人になったような気分がしたな、と思い出しました。今は、そういう特別なお祝いってあるのかしら。物があふれすぎていると、「特別なお祝い」なんてなくなってつまらない。

それから中華街に行ってお昼を食べようということになり、行きつけのJOY KING LAUへ。そこでいろいろな話をしました。PINK SCARF GROUPの遠足が楽しかったこと、みんな素敵な女性たちだったこと。私はお客様で、行くたびにみんなにこやかに楽しい話をしてくれていたけど、その会がどんなふうに出来上がって行ったか、メンバーとどうやって知り合っていったかなどを聞いていくうちに、それぞれの人にいろいろな人生のドラマがあったことを知りました。

ちょうど、ご主人の妹さんが心臓の発作で倒れ入院していることもあって、それから話はLIZのご主人が亡くなったときの話になりました。以前の滞在時、帰国するときには家の前で手を振ってくれたLIZとPETERでしたが、それから7年後、PETERはがんで亡くなりました。
イギリスにはマリー・キュリー・カンサーケアという団体があり、家で看取るために毎晩無料で寝ずの番をしてくれる看護師さんを派遣してくれるそうです。彼女たちは特別に訓練されたナースで、毎晩10時ごろに患者の家に来て、家族が休んだ後も夜通し付き添い、何かあったら起こしてくれるのだそうです。LIZは彼女たちはそのときが近づくとわかるんだと思う、と言っていました。明け方、そっと起こされて部屋に行ってみると、ご主人はまさに息を引き取るところでした。

「ノリコ、誰かが亡くなる瞬間を見たことある?それは美しいのよ。何かに包まれて安心しているみたいになって、苦しみは消えて、微笑さえ浮かんでいたの。それまではカトリック信者として『神様を信じる』と言っていたけど、ピーターが見せてくれた最期の顔を見て、私は本当に神様を信じる、ってこういうことだとわかったの。本当に信じられるの。大丈夫なのよ。昔は多くの人が家で息を引き取ったから、人々はこういうことをちゃんと知っていたんだと思う。スコットランドでは誰かが亡くなると、その家はカーテンを全部閉めるのでわかったの。棺が通ると、女性は十字を切り、男性は帽子を取って挨拶したのよ。」

イースターの頃、黄色いラッパ水仙のバッヂをつけた人をよく見かけましたが、それはこのマリー・キュリー・カンサーケアのバッヂでした。今から60年ほど前に、ハムステッドにあったマリー・キュリー病院がNHSの病院に変わる際に、その名を残そうという意味もあって一部の人々ががん患者のためのターミナルケアのボランティア組織を立ち上げました。その最初の基金は、エンゲージリングの寄付が元になっていて、その売り上げから成っていたそうです。

イギリスは日本人から見るといい加減な人や仕事が多いように見えますが、こういうところは本当に素晴らしい。本当に必要なことのためには惜しげなく寄付をします。また、それをきちんと運営していける社会なのです。寄付金を募るための楽しいイベントを考えるのも上手。今後ますます老人社会になっていく日本で、最期を家で迎えたいと考える人たちのために、夜中安心して病人を任せられる看護師さんがいてくれたら、それも無料で、なんて、そんなことが可能なこの国はすごい。

別れ際に、しっかりとハグしてくれて、「これからもしかしたらいろんなことがあるかもしれないけど、sense of humourを忘れないで。連絡を取り合いましょう。ノリコのために祈るからね。」と言ってくれたLIZ。こんな遠い国で出遭った、こんなにも近しい魂。彼女と出会い、彼女と話したことで、私はきっとこれから日本に帰ってもがんばれる、と思った。ありがとう、LIZ。

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アントキノワタシ

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思い出されて仕方がないので、ちょっと昔の話をします。

夫と結婚するとき、夫が転勤族だったこともあったし、昔だったので奥さんになるというのがひとつのゴールみたいだったこともあったのか、「イラストレーターになる、という夢はこれでおしまい」と、自分で思い込んでしまった。

子供も生まれてくるし、引越しもするし、思ってもいなかった海外転勤の話がきて、なんだかわーっと毎日が過ぎていったのでした。そんなとき、甲状腺の病気にもなったりした。それもまあひどくならずに済んだのですが、大きな病院の地下の放射線を扱う古くて暗い病棟に降りていくエレベーターが、どこまでも深い場所へ下りていくような気持ちがしたことをなぜかはっきりと覚えています。

ロンドンに着いてからは、そこに根付くまでが大変で、子供にかかりきり。夫は仕事仕事でけんかばかりでした。今にして思えば、お互いに余裕がなかったんだな。3年くらい過ぎて、子供たちも学校に慣れ、ホッとしたら、急に一人の時間ができました。ほんの短い間だけれど、自分に戻る時間。その自分と、お母さんや奥さんである自分との間にものすごく距離があった。お母さんや奥さんの顔が外側にあるのだけれど、その内側のずっと奥のほうに本当の自分がいる。その二つはまったく交わらなくて、パラレルな世界で、その間にある頼りないはしごを行ったり来たりするような感じにちょっと疲れました。

そのうちに、自分のそばに男か女かわからない、すごくきれいな天使みたいな人がいて、自分を慰めたり、励ましてくれる、という妄想にとりつかれてしまいました。あぶないなー。そんなに淋しかったのかなー。

そんなときに、ユング心理学の勉強会と、銅版画に出会いました。
他の奥様たちが刺繍とか、手芸とか、フラワーアレンジメントとか、シャドウボックスとかをやっていても私はどうしてもなじめず、何をしていいかわからなかった。そんなある日、リバティで一枚のエッチングを買ってから、こういうものを自分も作ってみたい、と思ったのが始まりでした。アートスクールを教えてもらってそこを訪ね、花瓶に挿した花の絵を描きました。それを刷ったときの歓び!

ユング心理学は、ロンドンではほんのきっかけで、日本に帰ってから本を読みまくりました。これまた、これだ!と思い、スポンジのように吸収しました。
私に話しかけていたのは、アニムスだということまで、ちゃんとユングの本には書いてあり、それが多くの場合、男か女かわからない、神性を持った美しい人の姿をとって現れ、その人の魂を活気づけ、その人本来の生き方に導く存在、と書いてありました。

私はあのとき、確かに自分の中のアニムスに助けられ、導かれたのだと思います。絵を描き始めてからは、その人はもう姿を現しません。そして、絵を描き始めてから、袋をぐるりと裏返したように、自分の内面が外に出て、それから乖離していた外側の顔と内側の自分が一つになり、永遠に交わらないと思っていたパラレルな世界が一つになりました。

今でも、昔の写真を見ると、自分ではないような気がすることがあります。喉のところにある甲状腺の病気になったのも、喉のところには表現をつかさどるチャクラがあるとされていて、本当は表現しなければいけない私なのに、そこに蓋をしてしまった状態だったわけで、ある意味納得。

版画を始めたころ、友達に「素敵じゃない。自分で描いた絵を部屋に飾ってお茶を飲むなんていいじゃない。」と言われ、それもいいな、と思ったけど、どこかでそれだけじゃダメ、とも思っていた。
そうだ。それから、夫に「版画はすごくおもしろい。とことんまでやってみたい。」とも言ったっけ。あの頃、怒ってばっかりいた夫だったけど、「やればいいじゃない」って言ってくれたんだった。ありがとね。

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そろそろ・・・

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なかなかゆっくりとものを考えたり、書いたりする時間がなく、つい手軽なfacebookばかりになっていました。
お正月明けにロンドンに戻ってきて、ロンドン通信もちゃんと書こうと思ったのに。

2年間の夫の赴任が終わり、5月3日に帰国することとなりました。成田に着くのは翌日です。

まさかもう一度、ロンドンで暮らすことになるとは夢にも思っていなかったのに、再びこの街へやってきて、「住むところなんてあるんですか?」と聞かれるような街のまんなかのアパートで、以前とはまた少し違った経験をしました。

そしてもう一つ、帰る間際になって思いがけないことがありました。
3月の初めに見知らぬ方からメールが来たと思ったら、東京の出版社の方からで、梨木香歩さんの新作の表紙に私の絵を使いたいというお話でした。4年前に、青山のギャラリーハウスMAYAさんで装画を描くコンペティションに出品し、ブックデザイナー名久井直子さんの賞をいただいたのがご縁で、名久井さんが選んでくださったのでした。

大好きな梨木さんの作品の表紙とは、大変光栄なことです。

締め切りは3月末ということでした。原稿がロンドンに届いたのがすでに9日。日本で通っていた工房と違い、こちらでは週に1日しか行けないのでどうしたものかと焦りました。アートスクールに掛け合い、他の曜日にも作業させてもらうことにし、先生もどうしても間に合わなければ先生のスタジオを使ってもいいと言ってくださり、ありがたいことでした。

メールでラフを送って描き直したり、連絡を取り合う。時差も8時間あるので大変でしたが、時間も場所も越えて、こうして仕事ができるとは、なんと素晴らしいことでしょう。

梨木さんの作品は、なぜか私の身の回りにいる人々の境遇にとてもよく似た内容の物語でした。人生は、思い通りに行かないことがたくさんあるけれど、過去を変えることはできないけれど、その過去のためにたとえ自分がパーフェクトでなくても、重いものを背負っていたとしても、それでも前に進んで行こう、少しでも光の射す方に。
そんな物語だと思いました。

賞をいただいた翌年、MAYAさんで個展をしたときに出品した『アネモネ』の少女を梨木さんが主人公のイメージにぴったりと言ってくださったそうで、メインの絵はそれをそのまま使うことになり、そのほかに内容と関係のあるモノの絵を数点描きました。

時間がないので、手彩色でというつもりでしたが、「やっぱり色も版画で」ということになり、アクアチントの版を重ねることになりました。水彩とも違う、均一なマットな着彩とも違う、アクアチントの色の入り方。微妙ですがやっぱり違うのです。それでまた工房へ。おかげで今まで話したことのない先生とも話ができたりして、それも楽しかったのでした。

3月の終わりに何とかすべての絵を東京に送りました。もうすぐその本が出版されます。
以前ロンドンに住んでいたときに始めた銅版画。
銅版画に巡り会うまでの出口のないトンネルのような気持ちが、今日はなぜか思い出されて仕方がありませんでした。
私もまた、いろいろなものを引きずりながら、光の方へと歩いてきたのかなあ、と思いました。

写真はお籠りしていた3月のリビング。ドアにはってある絵は没になったのだけど、作品としては完成させるつもり。

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If you could have lived in another historical period, which period would you choose?という英語のトピックで、とっさに思い浮かんだのがこの前訪ねたレイトンハウスとヴィクトリア時代でした。

明治時代が現代日本の源だとすると、現代イギリスの源はヴィクトリア時代ということになるでしょう。ヴィクトリア女王が即位した1819年から1901年に没するまでの時代で、江戸時代末期から明治時代とほぼ重なります。ロンドンに留学していた夏目漱石は下宿屋の主人に肩車してもらって、ハイドパーク周辺でヴィクトリア女王の葬列を見たそうです。

1700年代後半からの産業革命で、中産階級が裕福になったことと、帝国主義が発展して植民地が原料の供給地であるとともに、市場ともなったことによって、19世紀のイギリスはまさに大英帝国として世界に君臨し、世界中の富が集まってきたのです。

ロンドンの街中には美しいヴィクトリアン様式の建物が立ち並び、gentleman scholar、gentleman scientistと呼ばれる仕事をせずに好きな研究に没頭できる身分の人々が現れ、文化を築いていきました。その一方で、イーストエンドには貧民窟があり、重労働に子供がこき使われたり、犯罪も多発していました。道路はぬかるみ馬糞だらけ、石炭を燃やすので街は煙っていました。

レイトンハウスのフレデリック=レイトン氏は、裕福な医師の家庭に生まれたアーティストで、アラブの美に心酔していきました。彼の家のアラブホールは、その玄関に置かれた孔雀の剥製が象徴するような、光沢のある美しい青緑色のタイルで覆われています。アルジェリアから持ち帰った、アラブ風の窓飾りや、噴水、陶磁器など、異国趣味が取り入れられたその家にはベッドルームが一つしかないため、彼の死後も買い取り手がつかなかったのだそうです。

前にご紹介したヘンリー=ウェルカム氏もほぼ同時代の人で、医学的な見地から、世界中を旅して医療器具や絵画を集めました。写真や交通手段の発展により、そんな探険家、冒険写真家なども登場。なんともワクワクするような時代だったに違いありません。人々は公会堂などに集まり、そんなgentleman scholarの講義を聴いていたようです。

お茶を飲むのが中産階級の人々の間で流行したのもこの時代。東洋の陶器も流行でした。壁紙はもちろんウィリアム=モリスです。

世紀末、ロンドンの街を震撼させた切り裂きジャックはついに捕まらず、そんな頃にコナン=ドイルはシャーロック=ホームズシリーズで人気作家となります。

そんなわけで、rich gentlemanとして、ヴィクトリア時代に生まれたなら、どんなに楽しかったことだろうなどと想像しました。
ロンドンには当時の街並みが今も残り、当時から続いている老舗もたくさんあります。外壁を残して建て替えたり、昔の技術も受け継がれているので、今も同じ材質で修理することが可能なのです。
今やすっかり老紳士となったイギリスですが、華やかなヴィクトリア時代、大英帝国の面影をしのびながら街を歩くのがロンドンの何よりの楽しみです。

写真はレイトンハウスのアラブホール。

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冬の陽ざしの

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東京の友達から一篇の詩が送られてきました。

お正月に、赤坂の元料亭を改装した素敵な懐石料理屋さんに連れて行ってくれた友達。そのときに話しきれないこともあったようで、そのことを控えめに書いて、それとともにこの詩を送ってきてくれた。
多くを語らなくても、彼女の気持ちが伝わってきました。

前を向いて行こう、と気持ちを切り替えたとき、それまで見えていなかった扉がすっと開いて、次に進める。そこで人は何かに出会い、また生きていく勇気が湧いてくるのでしょう。

詩は、人のどうしようもない気持ちや、それでも生きていくということに、「ちゃんとわかっているから」と言ってそっと寄り添ってくれるみたい。
そういうことが、この頃やっと少しだけわかってきて、ことばがしみじみと心に入ってきます。
大人になるって、こういうこと?





冬の陽ざしの     吉野弘



冬の陽ざしのおだやかな

明るい海の波打ち際

瀬戸やガラスが

くりかえし

しずかにもまれて居りました。



水際に

ほっそり丸い青い石

実はガラスでありました。

洗われて高雅にやせたかけらでした。



かけらにも

することがあったなんて。



そういえば

とんがった

若い気鋭のかけらたちも

美を専念の声をあげて

波にもまれて居りました。



かけらでおしまいになれないなんて

それでおやすみできないなんて。

こわれるとすぐに

未来がふりあてられ

すぐに未来に引き渡されて

またすることがあるなんて。

 

へんに倫理的な浪や風から

慰撫され彫琢され

気遠い美をそそのかされ。



こわされても

こわされても そのたびに

かけらには

新しい未来がふりあてられ



おだやかな冬の陽ざしが また

こぼれ落ちてくるなんて。




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