ナイロビで一泊したら、いよいよ、サンブルのロッジへ移動だ。ドライバーはマイケルさん、奥さんと二人の子どもさんがいて、埼玉県に留学していた経験をお持ちだそうだ。それで、日本語が少し話せる。ここから、しばらく日本語と英語が入り乱れた旅になる。
ロッジまでは車で6,7時間。始めのうちは舗装された道路を走っていたが、だんだん舗装されていない道を走る。メーターが壊れているのでどれくらい速度が出ているのかは分からなかったが、かなりの速度で走っていた。(ちょっと怖い。)ときどき、住宅街を通ると車が速く走れないように道路を盛り上げてある場所がある。途中、そこで転んでしまって警官に助けられている現地の人を見る。どきどきした。
混載車という話だったが、客は僕たち二人だけ。まるで、専属ドライバー。
途中、休憩にドライブイン、ガソリンスタンドに立ち寄る。これが、とっても苦痛となった。
まず、土産物屋によった。そこで、土産物を見ていると、店員が「何が欲しい?これはどう?僕が作ったんだ。」とバナナの皮の壁掛けを見せた。
別に興味はなかったのだが、それをこちらに向けて真剣なまなざしでこちらをじっと見ている。こんな目で人に物を売る店員は日本では見たことがない。(ちなみに、私も営業マンだったこともあるけれども、もちろん、そんな目で売り込んだことはない。)
「60ドル」「いや10ドル」「そんなことしたら首になってしまう。30ドルでどう?」欲しくはなかったけれども、あのまなざしに負けた。まあ、ぼられてあげることも思い出だと思って買うことにした。(あのボンベイの一夜のおかげで、ずいぶんと度胸が座ってきた。)買ってあげると、何故か店員、10ドルを自分のポケットに入れた、自分の取り分だという。めちゃくちゃだなあと思った。
さらに、ここからが参るのだが、立ち寄る先、立ち寄る先で土産物売りがそばによってきた。
車の窓越しに「手首飾りはどう?3つで10ドル」ううん。これをいっぱい買っていったら、見た目のいいし、高そうに見えるからお土産配るのに、安く付いていいなあ。迷っていると、ここからが大変だ。次々に人だかりになった。みんな同じ手首飾りを見せて、「こちらは、4つで10ドル」とかなんとか言い出す。そのうち、一番始めに来た売り子の男性が「いいかい、一番始めに声を掛けたのは僕だ。一番始めに声を掛けたよね。」と騒ぎ出す。
その対応に疲れてしまった。結局、買う気も失せてしまった。
道路の料金所みたいところに止まると、子どもが出てきた「ボールペン持っていない?」「ごめん。持っていないよ。」「じゃあ、お菓子ない?」ううん。こういうことは想定していなかったので何も持っていない。「ごめんね。ないよ。」そうしたら、隣の車の欧米人がその子にボールペンを渡した。そのこは「やった〜!」って本当にうれしそうな顔をした。
すると、それをどこで見ていたのだろう?どこからともなく、子どもたちが20人、30人とまたたくまに集まってきて大騒ぎになった。欧米人はキャンディーをばらまいていた。
まるで、戦後の「ギミーチョコレート」の世界を見ているようだった。
旅行の案内には、おみやげという記述があったが、ロッジやホテルでお世話になる人たちへのお土産は考えていたが、こんなことなら、鉛筆とノートをたくさんもってくればよかったと思った。それをあげたら、きっと勉強したんだろうあって思った。失敗だ。次に行くときは、持って行こう。
当時、ケニアでは、高収入という人でも月収1万円から1万5千円だと聞いた。それで、子どもを育て、学校にもやり・・・、本当にすごいと思った。
このパワー、このがむしゃらさで私も営業をやっていたら、営業マンとしてももっと成功していたのかもしれないと思った。この前も書いたが、日本人、がんばらないと先進国だなんてのんきにしていると、あっというまにとって変わられると思った。今、それは現実になりつつある。
ロッジに着くと、とても広い部屋が用意されていた。リビング、寝室、バスルーム、ウオークインクローゼット、これはスイートルームだ!(実は、この時期はこのロッジがなかなかとれずにいたので、道祖神の方がこの部屋をやむを得ず押さえてくれたのだ。もちろん、通常料金で。すごい!!)
ここで、私が怖かったのはツェツェバエに刺されること。そこで、日本から蠅用の蚊取り線香を持って行った。パートナーに叱られまくったけれども、とにかく炊いた。すると、部屋は煙もくもく、虫がばたばたと落ちた。すげ〜。
ロッジで、一息入れたら夕方のゲームサファリ、(動物が動くのは朝と夕、夜だけ。昼はほとんど見られなくなるので昼はロッジでごろごろ読書タイム!)
サンブル族の皆さんと、インパラが迎えてくれた。
次回は、サンブル公園で出会った動物たちの写真を紹介します。
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