学習指導要領の改訂…その理念は浸透するのか?
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学習指導要領が改訂され、教科書が厚くなった。
「考えること」を育むためには、「知識」の量が不可欠だからだ。
巷では、脱ゆとりとか、学力重視とか言っているが、学校という学びの場が学力重視でなかった時代なんかない。
「学力をどうとらえ、どう育てるか」そのアプローチが進化しているだけだ。
教育を振り子にたとえる人がいるが、そんなことはあり得ない。「歴史は繰り返すことはない」のだ。
学びには3つの学びがある。
①文化としての学び(遊び・融解体験・たしなみ・概念・畏敬・シーケンス・スコープ) ②戦略としての学び(コンピテンシー・リテラシー・スキル) ③機能としての学び(認知機能・性向・情意)
その学びの原動力は、「問い」である。
問いを触発するよき環境と出会うことでそれらの学びは始まる。知識やスキルを身に付け、概念世界と想像世界を広げ、知・情・意を豊かに働かせる学びが触発される。
学びは、主体と環境との相互作用によってなされるから、そこで得られる知識は因果律、つまり、経験である。
しかし、この学びを経験世界にだけ押し込めているのでは、「生きる力」とはなり得ない。言語的な内的・外的リソースとの論理的、実践的、判断的交流だけの世界に押し込めてはならない。この学びとを知・徳・体に渡らせなければならない。
有用と非有用のダブルバインドを飛び越えなければならない。
分厚くなった教科書を計画通りにこなすことだけに教育現場は汲々となっていないだろうか?「何のための改訂か」を見失っていないだろうか?
「何のため」の教育かを考えるのがプロの仕事。風評に振り回されて、教科書をこなす、教科書を教えるだけの授業が日々行われたら、求める高い学力を子どもたちにつけてやることなど、とうてい無理ということになる。あげく、計算や書き取りの練習だけに明け暮れる。そして言う「覚えておきなさい。」そうなったら、子どもたちが不幸だ。日本の未来はお先真っ暗だ。「はい、それまでよ。」だ。
せめて、教科書の厚さの意味をここで考えたい。
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アキホさん、ブログへようこそ。コメント有り難うございます。ブログ、訪問させていただきますね。
2011/7/5(火) 午後 7:29 [ イチジクジャム ]
「まあれ」さん。コメントありがとうございました。
「考えるということ」を楽しみ(すぐに、答えが出ずとも知識が増えてくるとあ!と解ける瞬間が来ます。そのときまで喜びはお預けるというケースも含めて。)「自分を信じて真剣にがんばるということ」を体験し、その結果、自分の成長を実感すると言うことを味わって欲しいと願っています。
伝え方、工夫したいと思います。
2011/9/17(土) 午後 11:46 [ イチジクジャム ]