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言語は思考を制約するか?ちょっと面白そうなテーマなので自分も書いてみる。
 
たぶん、自分の結論はイエスだと思う。ただ、そこにちゃんと持っていくだけの言葉があるといいな。。
プログラム的に考えてみる。わかりづらい言葉も使うけどご容赦くださいww
 
以前書いたエントリの中で int* Self_Assesment = NULL;なんてことを書いた。ただ、これは正しくない。自己評価は必ずしも、というか常にint(整数)型ではないからだ。正確を期すならばSelfAssesment Type以外の何物でもないはずだ。floatでもStringでもない。ただ、自己評価型っていうタイプを定義しようとしたとしてもそのメンバもやっぱり整数型や浮動小数型で完全に表現できるものにはなりえない。全てのものや事象はそのものを定義するクラスを作らないといけない。
人間は周りに自分を表現するインタフェースを持っている。思考することは、つまり自分自身へのインタフェースではないかと考える。周りに表現するインタフェースと同様であれば、必ずしも言語(String型)に限定する必要はない。ただ単に、自分自身が思考すること≒String型に変換すると定義したに過ぎない。それをメロディーに乗せても、絵で表現しても自由だ。実際そういう人もいると思う。
世界に存在するすべてのなんかモヤモヤしたそのものを、多くの人が端的に共通認識できるようにしたものが言語であると思う。
モヤモヤした、そのもの以外の何物でもないものをある程度”正しく表せてないことを承知したうえで”String型(Story型というべきか)で定義している。
システムっていうのは、制限を定義することで成立していると思っている。コンピュータはある程度、こちらができそうだと思うことは何でもできるくらいに進化している。プログラミング=制限を規定することだ。何でもあり、を何でもありなままにしておくと他のものとのインタフェースの時に問題が発生するから制限する。
思考することも、何でもありな状態にしておくと自分に対してのインタフェースで問題が発生するので言語にするという制約をあえてつけているんだと思う。
 
やっぱりうまく言葉にできてない
 
好きだって気持ちは、「好きだ」って言葉では表現できてないでしょ。
つらいって気持ちは、「つらい」って言葉では表現できてないでしょ。
そのジレンマはたまに泣きたくなるほどつらいでしょ。
でも、
それは
「木」っていう言葉は「木」そのものとは違うでしょ。
ってことと同じようなもんだと思う。
 
長々と書いてみたものの、思考するってそのこと自体がいうほど大事なことだとは思わない。自分もいっぱい考えるけどね。本当に大事なものはいつでも自分の外側にあるんだよね。自分自身に対して自分自身をほじくり出すようなことをしても新しいものや、大事なものはでてこないと思う。自分に対しての興味はほどほどで「まぁ、いいか」ってしておかないと他の大事なことや楽しいことを見逃したりしちゃうよ。
 
 
参考にさせていただいたサイト、ブログ様

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