ここから本文です

書庫myworld

すべて表示

イメージ 1


 先見の明。


なぜ自分がジャコメッティの像に惹かれたのか。その理由がわかった。

というかもうすでに解っていたのである。

しかし今の時代は、特に書いたり口に出さないと、本当に人間はすっとぼけているのだから、きちんと理解しない。

だから過剰に表現することで、思いっきり叩きつけてやろうと思ったのだが、それ自体に虚無を感じていたからもうやめることにした。楽しいが、つまらなくなる。


足し算をやめ、引き算に変えると、今の時代がよく見えてくる。

足し算の意味をきちんと考えるとね。形を削って削って、まるで鉛筆のような人間の像にまでそぎ落としたジャコメッティのアートは、足し算をする意味がないということがわかるだろう。

幕の内弁当が好きな日本人は、一方でそぎ落とされた日本の洗練美を誉めつつ、ご都合主義に多彩なものを盛り込んだ品を喜ぶものだ。

バランスよく食品の品質と栄養を考えて注意深く摂取する。

しかし相撲観戦をしているときに、いちいち幕の内弁当のバランスを考えて、次はどれ食べようとか考えているわけではない。ふつうはね。

そもそも野球観戦をしているときは、でっかいフランクフルトをかじれば、野球に集中できるもんだ。妙な体裁を弁当につくると邪魔である。

もちろん人の好みもあるだろう。単純なフランクフルトをかじるだけがいいとか、いろいろごちゃごちゃ載った弁当がいいとか。人によりけりだ。

集中しているときに余計なものがしゃしゃり出てきて召し上がれと興味を持たせるのは、それに協力しましょうということなのか。

まあ人間は多彩なものに囲まれて忙しい。

戦後の日本は強烈な足し算主義でここまで成長したのである。

お互い協力して取り入れましょう。

これが暗黙のルールである。

子どもは多彩なものを好むものだ。

飴、お菓子などたくさんの種類があると喜ぶ。

大人も多彩なものを好むものだ。

バイキング料理が流行っているのは承知の上である。

一般が好む傾向は、ごく一部の人々は無視しているが、それでも一般はこのような多彩ぶりに惹かれてしまうものだ。

人間は足し算は得意だが、引き算になると途端に戸惑うのである。

そりゃ猿だから当然である。

猿は口の頬が膨らんでいて、口に食べ物を入れても、まだ他に手を伸ばす。常にあたりをキョロキョロ観ている。他にもっといいものがないか。

こうした人々にジャコメッティの鉛筆のような像を理解できるはずはない。

ジャコメッティは、世界的に著名な芸術家だ。知らない人は日本人ばかりなり。

何しろご都合主義だから、多彩な時代だから、好き好みだけで物事をパンパン切り分けて猿のようにあちこち走り回る。

かつて日本人がエコノミックアニマルだと世界から揶揄されても大衆は一向にお構いなしである。

これがガラ系を生み出した。

何より自分たちだけが楽しめればいい。

浮世の諦めが体臭にしみついているのである。かわいそうに。

足し算が増えるほどに人間に品がなくなり古来の日本人らしさが失われても、今の時代の人々はいっこうにかまわないのである。

かつて自分がそうであったように。合わせる必要がないのに。




本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事