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志賀直哉が26年かけて書き上げた暗夜行路。前篇を1921年に発表した以後、万歴赤絵を発表する1933年まで12年の間暗夜行路の後編をコツコツ書いていたのであろう。それ以外の短編の発表するのを差し控えていたようだ。

その間志賀は何をしていたのか。彼にとっては小説は趣味である。趣味だからこそ、徹底して追求できた。彼の追及とは研究ではなく感覚で判断するものである。日常さまざまな多くの情報を得て彼の中に醸成しひとつの結論が出るまで待つのだ。待つということも仕事のひとつである。小説にとりかかるエネルギーが身体に満ちるまで待つ。

「池川で

 釣り針つけず

 さかな釣り」(のべるわんでい作)

釣り針をつけずに魚を釣る行為は滑稽である。が、これは世の中を静観し、必要なときに釣り針をつけるまでの無駄な行為をしないということである。その間、うだうだグチャグチャ逡巡し、考え続けている。それを志賀は雑記に書き留めている。そのグチャグチャ度は彼の全集量が物語っている。



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『志賀直哉全集 全16巻』岩波文庫 総重量23キログラム




自分は読んだ。読み飛ばしているところも多々ある。豪華本だ。たぶん在庫がだぶついているのかもしれない。世の好事家が読むくらいだから。重たいしでかいし、場所とるし。

・・・・・・アホみたいにグチャグチャいろんなものが書かれているが、おもしろい。全集の中で彼が書いた小説の類はわずか2、3巻。暗夜行路長編1本とその他短編だけだが、それほど短編が多いわけではない。あとは本稿に至るま

での草稿や雑記所感がほとんどである。あとは論評の類か。全部残しているのである。。信じられない。。はっはっは

。全集は志賀がご健在のときに発表されているので、志賀に全集を作るよう勧めた出版社のご苦労がしのばれる。
彼の研究をするには、この全集は外せない。他にも多くの彼の弟子が志賀のことを書いた本を出しているが、本人が書いた本を読むのが一番だろうと思う。今昔を問わず世の作家の目標のひとつには、全集を出すということもあろう。つまり、作品として表に出ていない自分のことを記したものを後世に残しておくという意味で。


今の時代は、電子出版が主流になりつつあるから、紙媒体の重要性が少なくなりつつある。人間好きな読者ならば、いろいろ知りたくなるものだが、今の時代作家自身に興味を持つ人が少ないと思う。


余談が過ぎた。12年の長きに渡り沈黙を保ってきた志賀が万を持して発表した短編「万歴赤絵」を解説するときは、無論その期間の思考の積載を考慮すべきだろうと思う。だが一見すると、なんじゃこりゃ?と思えるような日記と思うかもしれない。12年の間、いろいろ考えることがあったろうに、なんだこの作品は!という代物に思える。

「万歴赤絵」の内容を簡単にまとめると、志賀直哉が美術館に行って万歴赤絵を買うかどうか迷って、けっきょく犬を買ってくる話。どうでもいい内容だと一見思える。志賀は犬好きだが飽きっぽい性格。せっかく飼ってきた犬のめんどうを家族に見させることを繰り返していた。面倒を見るのが面倒なのだろう。

彼自身面倒くさがりなのだろう。あとがきにもある。
作品を書いたあと夏目漱石からあとがきを本人が書くようにと勧められ、志賀は短編を発表するたびに自分の作品の感想をつけくわえていた。


『「万歴赤絵」(昭和8年作)書かれた事は事実だが、私は最初これを「矢島柳堂」の連作の一つとするつもりで書き、しかし前に柳堂を書いた時から大分年月が経っていたために、柳堂のポーズに自分はなりきれず、何度も書き損じをした。しまいに、面倒くさくなり、地金で書きかえてしまったが、一度柳堂で書いたものだけに、今度は地金のなかに柳堂が残って、そういう意味で少し中途半端になってしまった。(原文ママ)』

このあとがきは志賀自身が書いたものだが、「矢島柳堂」の短編は「白藤」「赤い帯」「鷭(ばん)」「百舌」の短編の連作として日本画家矢島柳堂を主人公にした日常を描いたものである。自分は「百舌」が好きだ。本人も「百舌」が一番気に入っているとあとがきにある。

『「矢島柳堂」(大正14年作)これは「白藤」「赤い帯」「鷭」と「百舌」を集めてひとつにした。「鷭」と「百舌」だけに愛着がある。(原文ママ)』

自分は「鷭」の志賀の扱いが非常に適当で腹が立った。志賀直哉は生き物を飼育する資格がまったくない! 適当も適当。適当に餌をやって翌日死んでいた鷭に対して興ざめしている志賀に自分は興ざめした。もうちょっと研究しろと思うのだが、設定が日本画家だからか。画家は動物を描くがその飼育には興味がないというわけか。


「万歴赤絵の」犬に関しても同じだ。動物を描くのが好きな割に、きちんど面倒をみないのである。家族が喜ぶだろうと思って買ってきた子犬が我儘だから興味を失う。あとは家族に子犬の世話をさせる。彼は飼育する動物の生態を知らずに動物を眺めるのが好きなのだろう。


世のブリーダーが志賀直哉の動物絡みの短編に遭遇すると、あきれ返るかもしれない。


しかしここで書きたいことは、志賀の動物見観のことではなく、美術に対する鋭い指摘をしているところであり、これが「万歴赤絵」が評価されるべき内容になるのだろう。


まず「万歴赤絵」とは何かである。


万歴赤絵とは、中国の明の万暦年間に景徳鎮で作られた陶磁器で、色絵の白磁のことである。これは日本での用語であり、中国では万暦五彩という。明は中国版豊臣秀吉に相当する朱元璋が中国を支配したときの時代であり14世紀から17世紀に渡る。

これが非常に高価であり、大金持ちの志賀直哉ですら、ちょっと手が出にくいほど。万歴赤絵にたいへん興味を持っていたようだ。陶磁器に貼られた値段にしょげてしまうのは志賀だけではなく、それを入手したい彼の袖を引っ張るのが奥方。「・・・・・・ちょっと高すぎるからやめて」と牽制した。

彼が京都の国立博物館に行ったときのこと。

『五彩竜方尊(万歴赤絵)という紙札のついたのに二ついいのがあった。一つは高さ一尺六寸、もうひとつは一尺二寸八分であとの方のが形は整っていた。紙札の裏を返してみると金壱万円とある。』

昭和8年の1万円を今に換算すると、16800000円。

うん。でも彼ならポンと買えると思うが。家より安い。

たかだが1千万円ちょいでしょ? 2つあわせても3千万円。

でも、彼は眺めるだけ。欲しいけど高すぎるというわけだ。


そもそも陶磁器ごときにこんな高い値段を貼る料簡はいったいどこから出てくるのだろうか。0が余計だから桁5つ落としたら良いとおもう。本物には歴史的価値というものがあり、それが上乗せされるのだろう。また歴史的価値だけではなく、今の時代でも作れないような精妙さを持っているから高いのだろうと思う。

そもそも不思議に思うのだが、博物館展示品に値段があるというのはどういうことか。笑



この小説で一番重要だと思われる部分を抜粋する。

康熙帝、乾隆時代の博物館の第一室の展示品を次々と眺める志賀の感想である。

西洋人がひどく珍重するという古月軒の鉢があった。―これは武英殿ではなくこの展観の話だが―梅の一枝を描き、それに賛がしてある。絵がうまいだけに、絵として見るべきか、陶器として見るべきかどっちつかずだ。陶器として見るなら、もっと陶器らしい絵の方がよく、絵として見るなら、紙に描いた方がよく思われる。要するに紙に描いたように陶器に描いたように陶器に描いてあるという点を珍重すべきだろうが、その事に興味がないと、これははなはだ無意味なものになる。そんな事は一つの芸当に過ぎないからだ。(原文ママ)』

ま、これは美術に対する基本姿勢を指摘していると思われる。絵師と陶芸家が異なる場合に、それが競合してしまうと

どうなるか。志賀の指摘どおりとなる。

絵が単体として独立した歴史は非常に浅い。本来は、物との関係性が絵と密着しているのであり、物が主体であって、それを補うのが絵である。その絵が付帯する物よりもでしゃばると、この作品は絵が主眼なのか、物品が主眼なのかがよくわからないなる。


これは言い換えると、絵が絵として独立するなら、作者の自由な意図がそこに込められていることが前提であり、それがないとむしろ絵としては弱くなってしまうのである。
キャラクターの絵を描くなら、それは映像のキャラクターから単体の絵として独立させてしまうと絵が弱くなるということである。絵を見るとき、絵の背景に何をひきずっているのかを注意深くみないといけない。
絵本の場合は、文章の縛りがある。これは絵本は商品であり美術品ではないからだ。ただ絵本には思想というものがあり、それは画家が実行するものであるから、絵本は画家が描かねばならない。

デザインとはそれに付する物の縛りを受ける。絵画はキャンバスの縛りを受けるはずもない。板でも石でも構わない。

本来は。ここにデザインと絵画の大きな違いがある。

なお万歴赤絵は美術品である。
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絵のために創られた盆! 盆のために付された絵ではない。だから美術品である。まず絵があって、それに見合う盆を選定する。これはたまたま盆なだけである。


現在仕事に忙しく、週末竹紙をつくれない。今週末にずれる。

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