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神奈川に住んでいたときは、川崎にある岡本太郎美術館へたまに足を運んでいた。小田急線の藤沢に住んでいたから、新宿行きの電車で向ヶ丘遊園で下車。
そこからとことこ歩いて30分。
http://www.taromuseum.jp/useguide/access.html
半日ずっと美術館でぐるぐるまわり、家に帰る。

岡本太郎。その半生をざっと。

岡本太郎

風刺漫画の草分け岡本一平を父に、作家岡本かの子を母に持つ息子岡本太郎。
 岡本一平は大正から昭和にかけて絶大な人気を誇り「天皇の名を知らずとも一平の名は知られている」ほどの人気漫画家だった。また背丈が高く洋風好みの小作りな顔はたいへん女性にもてた。妻の岡本かの子は、幕府諸藩御用達の豪商大貫家の娘だった。生まれつき神経質で世間知らずのご令嬢だった。一平はかの子に憧れて結婚した。二人の間に太郎が生まれた。彼女は常に愛情に飢えていたところがあった。愛をほどこしほどこされることへのかの子の神経質さに一平が嫌気を差し面当てをよくするようになった。たとえば街中で知り合った女性を家に連れ込み、彼らとよく食卓を囲むようになった。さらに一平は漫画で稼いだ金を夜の街の放蕩に使った。かの子の神経質はかなり激しくなった。一平への愛が通じないかの子は小説家になりたいと志した。かの子の息子太郎への立場は、まるで母親の考えではなく知恵遅れの無邪気な姉のような視点だった。かの子は、創作の邪魔になるものは全てを排除した。息子太郎も例外ではなかった。たとへば甘える太郎を執筆の邪魔になるというので、太郎を柱にしばりつけたりした。太郎が風邪を引いて寝込んだとき、一度も太郎の寝ている部屋に寄りつきもしなかった。治った太郎がかの子をなじると、彼女は「だって、汚い太郎を見るのはいやだったんですもの」とそっけなく言った。こうした家庭で太郎は幼少期をすごした。
 父一平の太郎を見つめる目は、かの子という無邪気な女の落とし子としての汚らわしさを太郎に感じさせた。一平は自ら家族との間に壁を作っていた。まだ太郎にとって家族との距離は、無邪気な母親のほうに近かった。太郎にはごく普通の両親がいなかった。普通の家庭にあるべき父親の暖かさを一平から感じ取ることはできず、それは母親かの子との間でも同じだった。
太郎は母親のほうをより愛していた。子の母親への想いというより一種珍獣的な視点だった。
 こうした母親からか太郎は幼少時から自意識が高くなった。自ら本を読み友達とも遊ばず自然を研究した。小学校の教育方針が気に入らず六回も変わった。
「なぜオタクの息子さんはこんなに変なのですか?」
変わるたびに学校に呼び出されたかの子は、太郎が家にいると自分の創作の邪魔になるので、仕方ない顔して教師にこう言った。「それは私の息子だからでしょう」。母親も太郎を愛してはいたが、その愛はあまりに普通の母子の関係とは違う疎遠な風体をわざと作っているかのようであった。
 成長した太郎は、自分の心に抑えきれぬ芸術への魂をとりだすため、芸術への道へとつきすすんだ。東京美術学校、後の東京藝大だった。父一平がロンドンでの軍縮会議を取材するため、太郎はかの子とともに五日間の滞在日程でフランスへ逗留し、以後イタリアイギリスへとまわった。当時の美大生は芸術の都パリで勉強して日本に帰ってくるものが多かった。日本から沢山来ていた美大生らはこぞって、パリの街風景を写し取っていた。日本はまだ洋画の分野が西欧からずっと立ち遅れていた。彼らは日本に帰ればパリ帰りの美術家と認められた。それゆえ日本人は日本人同士で固まって生活をした。積極的にパリの人々や画家とは触れ合おうとしなかった。そこに太郎は疑問に思った「これが日本人というものなのか?」要は日本人とは、外国から洋画というものを形式的に輸入しようとしているだけで、何故西欧の画家達がパリにこぞって集まっているかを理解しようとしなかった。日本人は、あくまで自分達は東洋人だからという意識で洋画を見ていた。これだと、洋画が育ってきた土壌を彼らは理解することができない。土壌を理解できねば、その上に成り立つ洋画というものが理解できるはずがないではないか?太郎は彼らに言うと彼らは反駁した。「パリでは日本人は活動することなんてできやしないよ。だって彼らは私たち日本人を受け入れられのだから」これに対して太郎は反駁した。何故パリに溶け込もうとしないのかと言った。日本で活躍するためだけにパリで活動する彼らの考え方に露骨に反駁した。太郎はこういった日本人画家らと距離を置いた。積極的に西洋の生活に溶け込もうと自ら部屋を借りて西洋画家らと交流を図った。芸術を学ぶ者は、芸術の本場に染まってこそ本当のところを知ることができると彼は考えていた。彼らが日本に帰ったあと絵画自体に疑問を持った太郎は、しばらく洋画を描くのをやめパリのソルボンヌ大学に入学した。そこで当時最先端の学問「民俗学」とであった。モースから哲学や社会・民俗学などを学んだ。
その後当時流行っていた抽象絵画のグループに太郎は参加した。当時はまだほとんど認められていない最先端の絵画だった。そこにはアンドレブルトンが提唱したシュルレアリスムのグループだった。抽象画の始祖カンディンスキーがいた。抽象画草創期のアルプもモンドリアンもいた。沢山の後年20世紀を代表する巨匠たちに囲まれながら、太郎は自分よりも三十も年が離れた先輩芸術家らと激論を交わし新しい芸術の模索を図った。太郎の描いた抽象画を見たカンディンスキーは感涙した。「おまえは日本で最高の画家だろう」と激賞した。しかし、彼はまだ自分の絵画というものがなんなのかを模索しつづけた。彼らと出会い2年も経ったある日、ふと立ち寄ったパリの画廊でその後の人生を決定づける衝撃の絵と出会った。シュルレアリスムの先鋭パブロ・ピカソの絵だった。この頃のピカソは既に何度も自らの絵から脱皮を繰り返してキュビズムの境地に入りかかったところであった。そして太郎は「痛ましき腕」を描いた。屈強な男の胸に大きな赤いリボン、机に差し出した右腕に青い帯が巻いていた。皮膚が赤く剥け痛々しさに耐えている姿がそこにあった。



みたいな感じで岡本太郎の誕生を軽く書いた。


洋画を理解するには西洋で育った土壌を食べないといけないんだ。郷に入れば郷に従えということだ。

しかし岡本太郎は、自分を発見した。郷に入っただけでは自分を発見するとはできない。そこからさらなる苦悩の飛躍を遂げ、痛ましき腕を描いた。そこで太郎は、はじめて岡本太郎になった。そこには西洋の抽象芸術も西洋画家も日本画家や藝大生らなんかも関係がなかった。彼の絵や彫像をみるとき、彼の過去の経歴なんか必要ない。経歴はすべて手段に過ぎない。

今のサラリーマンの話に敷衍すると諸氏が怒るかもしれないが、相手は履歴書をみる。履歴書から、その人を判断する手がかりを得る。大手の企業は、履歴書以外の人間性、いわゆるヒューマニズムも判断資料として加味するが、個人商店や小さな企業ではなかなかそこまで観る懐がないのかもしれない。経歴とは手段にすぎないのだから丸々今の自分を出したほうがいいのだろう。
名前が山田太郎さんでこれまでずっと会社員だったとしても「職業は山田太郎です」というわけだ。
それぐらい日本というのは組織を大事にして、人間そのものを観ず、手段と目的を取り違えているのだろう。

岡本太郎。

「僕は、沢山の絵を描くが画家ではないし、沢山の文章を書くが作家でもない。僕の職業は岡本太郎なんだ」

そうゆう情熱が「芸術は爆発だ!」ということなのだろう。

昔、どっかの構成作家の馬鹿が、TVで芸術の文字を張子で作って火薬で爆破させる指示をしたらしいが、岡本太郎は真面目に朴訥にこう語ったそうだ。「芸術の爆発のさせかたが違う」番組でタモリが言った言葉だ。この構成作家はとても賢いと思った。またタモリも賢いと思った。テレビ慣れしない岡本太郎を、番組で売るために仕掛けられたネタだったんだろう。うまく扱ったものだ。

芸術の爆発とは、自らの心の目を常に解放して一瞬たりとも世間のあらゆる対象物から目を離さず真実を見つめ続けそれを引っ張り出すことだ。だからか常にどんなところにいても、岡本太郎の目は真剣そのものであり、何かをとらえるために両方の手のひらに力を込めて目を大きくした。

人生とは、こうゆうふうに生きないと、死ぬ間際に後悔してあきらめるはめになる。
太郎は死ぬまで太郎であり続けた点で、僕が最も尊敬できる人物のひとりだ。
皆も岡本太郎のマネをすれば、少なくとも、ほんの少しは、本質が見えるかもしれない。

それがそのまま本当の個性というものだ。

(岡本太郎になる方法)

[礁椶鯊腓く見開く

∧△魄っ込め息を小さく吐き続ける。このとき両目を大きく見開く

小さく前ならえするみたいに両手をひろげて力を入れない。

い修靴涜を出し切った寸前に、何かが見えてくるとき、それが真実なのだろう(笑


僕は正直そう思う。


わかる人にはすぐわかるけど、わからない人には永久にわからない。なぜか。人間には種類がいるからだ。また種類がいてもわかろうとしないからだ。わかる人はわかろうとする人でもあり、わからない人は、わかろうとしない人だから。誰でも真実の目を持っている。

そういや太郎で思い出したが、ウルトラマンタロウの替え歌を作ってみた。
阿久悠氏の詩を少しというかほとんど調子だけぱくらせていただいた。

太郎。岡トラマンナンバー1。

太郎には一平がいた。

太郎にはかの子がいた。

そして敏子がやってきた。

空を見よ。

星を見よ。

宇宙を見よ。

かなたから。迫り来る。情熱を。

芸術が太郎に見えたとき。

心の芸術が。

爆発だ。

太郎が飛び立つ。

太郎が闘う。

太郎、太郎、太郎。岡トラマン太郎。



元歌メロディを知っていれば笑うかもしれない。歌詞にある敏子とは岡本敏子さんで、岡本太郎の最大の理解者であり愛人であり後援会長でもあった方だ。父母が亡くなった直後に太郎の前に現れた女性。岡本敏子さんのお陰で、世界では知られた岡本太郎は日本において知名度をあげることができた。日本はそれぐらい芸術で立ち遅れていたし、今も変わらないだろう。悲しむべきことだ。
最近週刊ブログの、のべるわんでいでした(笑

次回は3月14日あたり更新。。

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閉じるコメント(6)

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    なるほど。芸術は爆発だ〜の人ですね〜
    作品も個性的だけれど、人間もまた個性的でしたね。

    藤中恭美

    2010/3/6(土) 午前 6:45

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    藤中さん、そうですね。彼は3つ隣接する工房を持っていて、絵を描く場所、原稿を書く場所、彫像する場所と一日中あっちこっちいったりきたりととても忙しかったようです。6時30分起床して絵を昼過ぎまで描いて、休む間もなく原稿執筆して、休まず彫像して、そのまま絵を書いて、原稿書いて、彫像して、絵を描いて、原稿書いて寝るみたいな。一日中忙しい。図書館行ったりサテンでのんびりもないしTVもみない。だから彼は一般人の普通の知識や娯楽を知らない。
    僕も今は部屋は一つしかないけど、いつか.轡淵螢を書く場所絵本を書く場所小説を書く場所と3つの部屋がほしいですね(笑。エネルギッシュじゃないとできないことです。1日中くるくるあっちいったりこっちいったりするのが理想かも。。

    novel1day

    2010/3/6(土) 午前 9:45

  • その人にとって何が幸せで、死ぬときに後悔しない生き方ができるのか。本当に難しい問いだけれど、人間はそれを追い求めて一生を終えるのかもしれないですね。
    のべるさんは、いつも熱いっ! それは印綬のなせる技なのかしら?
    …といいますか、あれ? 印綬って何? …調べてみます^^

    [ Senri ]

    2010/3/6(土) 午前 11:28

  • 顔アイコン

    ひまわりさん、それを突き止めたらあとは楽ですね(笑 人生は、こんなにも素敵なプレゼントを誰かがくれたんだと。生まれてきてよかったと思うかどうかはまさに自分次第なんでしょう。

    ははは。。熱いですか(笑
    そういえば、今週からまた冬の寒さに戻る、寒の戻りってやつがきそうです。温まりにお寄りくださいませ(笑

    印綬は、ふとおとつい無料四柱推命で、調べた自分の月柱と年柱にあったので、これなんだろうなと思って調べただけです。たぶんあんまり関係ないかと思うけど、ネットで色々あるから調べてみてください。正官というのがいいらしいですね。

    novel1day

    2010/3/7(日) 午前 6:21

  • 岡本太郎 自分も大好きです。
    千里の太陽の塔は 何度も見に行きましたがそのたび圧倒されますね〜。

    万博当時 周囲の反対を押しきって お祭り広場の大屋根をぶち破る異様な塔を建設。当時の建物はことごとく消えましたが、太陽の塔はいまだ健在です。ちなみに 部屋には 太陽の塔のフィギュアがあります。


    『芸術は爆発だ』というフレーズも素晴らしいです。一度聞いたら忘れられないインパクトがあって 短く覚えやすい。岡本太郎の生き方も 生み出した作品も このフレーズが当てはまりますもの。

    ばねぱん

    2010/3/10(水) 午後 9:31

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    ばねぱんさん、よかった。合うかな〜とか思ってたけど。
    万博のシンボルは、話によれば、デザイン依頼された芸術家や彫刻家らがみんな「シンボルなんて作ったら世界中から袋叩きにされる」首をブルブル横にふったらしい。で白羽の矢が当たったのが岡本さん。
    最初拒否したが、好きなの作ったらええといわれたから、牛乳瓶のお化けみたいなのを作ったらしいです。万博のキャッチフレーズ進歩と調和とかけはなれた存在である太陽の塔だけが今に残っているのがとっても面白い!それ以外の万博の施設は全部森になっちゃってて。
    あの太陽の塔は、万博のキャッチイメージをぶちこわすためだけに岡本太郎さんが作ったらしいが、今はそれしか残っていなくても「万博公園」の顔なんです(笑 おもろいなあ。当時の日本人ってほんまにあほやったんやと思う。

    novel1day

    2010/3/13(土) 午後 10:04

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