■その日のまえに/重松清
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「その日のまえに」からの3編は、主人公が同じ連作。 それと同時に、それまでの4編のエピソードも添えられており、 この作品集は、連作であり、かつ、ひとつのテーマをおった長編ともとれる。 どれも、「その日」=「死という別れ」について書かれた作品であるが、 一番印象に残ったのは「朝日のあたる家」だった。 主人公のぷくちゃんは、8年前に夫を「虚血性心不全」で突然亡くした42歳の高校教師。 一人娘も成長し、中学生となった今、 夫を亡くした悲しみを忘れたわけではないが、「夫のいない生活」が普通のものとなっている。 通勤前の早朝ジョギング中に、かつての教え子に偶然出会い、 別の教え子が同じマンションに住んでいることを知る。 その晩に訪ねてきたもうひとりの教え子は、ある問題を抱えていた・・・。 他の作品と大きく違うところは、 作中の登場人物の誰もが、誰か(もしくは自分)の死に直面していないこと。 そして、かつて大切なひととの別れを経験したぷくちゃんの目線から、 「それでも生き続ける今」の辛さと大切さを描いているところだ。 大きな問題を起こした、「既に大人」の教え子ふたりに彼女は言う。
そして、ラストシーンで 日課の「早朝ジョギング」をしながら、彼女はこう自分にエールを送る。
この本は、図書館のポスターによると、 今年の夏、高校生向けの「推薦図書」となっていたようだ(私の住む地域だけかもしれないが)。 自分やひとの命を軽く考えてしまいがちな年頃の彼らには、何かしら得るところのある作品だと思う。 死は望むと望まざるとに関わらず、突然やってくる。 時期はひとそれぞれだが、「死なないひとはいない」という意味においては、 誰にでも等しくやってくるものだ。 それが突然の事故であったり、病気であったり、老衰であるかは分からない。 「生きたくても生きられないひとがいる。だから、あなたは自分から死を選んではいけない」 とは、私は思わない。 ひとは、ひとのためでなく、自分のために生きるものだと私は思っている。 「ひとのため」という感情も、結局は「自分のため」のものであると思うから。 だから、そんな押し付けがましいことは言いたくないし、言われたくもない。 (身内になると話は変わってくるが、偉そうに見知らぬ誰かに説教をするつもりはない) ひとはそれぞれの状況にあり、それぞれに楽しいことや辛いことを経験するのだから、 そんな無責任な一般論は無意味だ。 けれど、自分がなぜ今、生きているのか。 生き続けているのか。 それを考えることは大切だと思う。 ひとはひとりで生きていくものだと私は思うが、 たくさんのひとの愛情や優しさを受けて今があるものだし、 それが未来に繋がっている。 生きるも死ぬも、自分次第。それに良いも悪いもないだろう。 けれど、「生き続けること」だって、偉いのだ。 そのことを、忘れずにいたいと思うし、誰もに知っていてほしいと思う。
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2006/11/7(火) 午前 0:17 [ 映画な日々。読書な日々。 ]
その日のまえに
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2008/11/30(日) 午後 6:07 [ ケントのたそがれ劇場 ]





