■「子供を持たない」という生き方/吉田あゆみ
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図書館の返本台にあり、タイトルに惹かれて読んでみることに。 著者がインタビューした「子どもを持たないひと」は大きく分けて2パターンあり、 ひとつは「持ちたかったけれど持てなかったひと」、 もうひとつは「あえて持たない、持たなかったひと」である。 前者は、夫婦どちらかの体の事情で、子どもが欲しいにも関わらず持てなかった、 もしくは、自然に任せていたら、持てないままきてしまった、というひとたち。 熱烈に希望していた人もいれば、ぼんやりと希望していた人もいる。 けれど、共通しているのは 「持てなかったのだから仕方がない。あとは夫婦で楽しく人生を過ごさなくては!」 と、前向きな意見にたどり着いているところだ。 後者は、「自分のことだけで精一杯で、子どもをもつ余裕がない」というひとたち。 余裕は経済的なものよりも、むしろ「心の余裕」である。 中には「今の世の中に子どもを産み落とすことは罪悪だ」とまでいう意見もあるが、 それは「自分がすすんで苦労を背負い込みたくない」ことの詭弁に聞こえる。 後者の意見には、「そんな自分勝手なことでいいのか?」とも思うが、 私たちの世代(20・30歳代)は、自分の老後の面倒を子どもにかけるつもりはないが、 自分の親世代は、自分たちを頼ってくる世代である。 つまり、年老いた親の面倒をみつつ、 自分たちは「見返りを期待しないで」子どもを育てる世代であると思う。 親の面倒を見るのも、子どもを育てるのも、当たり前のことだろう。 けれど、それを両立させようとなると、それなりの経済力と精神力が必要になり、 結果、女性側も仕事を手放すことが出来ず、子どもを持つことを躊躇う・・・。 その気持ちは、私もとてもよく分かる。 私も「身勝手なひと」の一員だ。 また、女性の体には「子どもを産む」特殊能力が備わっているがゆえに、 妊娠・出産、そしてその後の子育ての比重がどうしても、男性よりずっしりと重くのしかかってくる。 自分の力量を考えて、「私には無理です」と思ってしまうことを、 一概に「身勝手」であるとも言い切れないと思うのだ。 いろいろと考えさせられる本だが、「子どものことを考える本」であるにも関わらず、 常に「子ども」を「子供」と表記しているところが気になる。 仮にも著者は活字を仕事として用いるジャーナリストだ。 子は親の「供」ではない。 少なくとも、「幼児教育」の分野では、 今、「子供」ではなく「子ども」「こども」と表記されるのが一般的である。 既にかなりの年数が経っている作品であるが、 少なくとも執筆・発刊当時には 著者が、子どもを「自分の持ち物・一部として欲しいと願っていた」心が現われているのではないだろうか?
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