忘れるということ
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普段の生活で何気なく行っている行為。
モノを使ったり、
話しをしたり。
片づけたり。
ご飯を食べたり。
それが年齢とともに忘れ、
病気のせいで忘れ、
忘れてしまった事柄、モノを
思い出すことができなくなる。
思い出そうとする度に苦しい思いでいる。
元々、しっかり者だった母は
今まさにその苦しみと戦っている。
私はその吐き出された思いを受け止めたり、
そっと手を貸したりしている。
目の前にいる母は
私がちょっと前にいた母と明らかに違う。
2月〜3月はその辛さの中にいた。
私の心が受け止めきれず
悲しみの中にいた。
それでも母は一生懸命戦い続けている。
私は自分の心がある程度悲しめば
そこから立ち直れると信じていた。
実家からバス停までの暗い道を歩きながら
何度も自分に問いかけたり
なぐさめたりした。
そして私は気づいたことがあった。
年齢で言ったらおばあさんの年なのに
母はその年齢が不詳なほど若々しく
シャキシャキしてた。
そのシャキシャキおばあさんは
これからおばあさんとしての人生の1歩を歩き始めたと
私は思うことにした。
それは私の心の中で
何かが楽になった。
私にとって母は女親分みたいな人で
それに従う子分の私。
その関係が終わったのだ。
母は女親分を卒業して引退した。
これから第2か第3の人生、
その幕が切られたのだ。
だからもう悲しんだり、
母の以前の面影を追い求めようとは思わない。
スタートを切った母の人生にソッと手を貸してあげるだけ。
兄はそんな私を見ていて、
まだ面影を追っている、
と言うけれど
息子と娘の母への接し方は明らかに違う。
私が私らしく
明るく
母のこれからのおばあさんとして病気と戦いながら
歩んでいく道のりを
少しでも明るく照らしてあげたい。
桜が満開になる頃に
忘れてしまう思い出を作りに行こうと
今は思う。 |

