無題
「親鸞」について
yahooのカテゴリー設定、問題ではありませんか。これ投稿する側に任せるようにできないんですかね。困ってしまいます。
親鸞の(正確に言えば弟子の唯圓による聞き書き帳)『歎異抄』でいつも問題になるのは、「悪人正機」の解釈をめぐってである。第三節に次のようにある。「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なほ往生す。いかにいはんや悪人をや」。現代語訳は「善人でさえ浄土に生まれることができる。まして悪人が浄土に生まれないわけはない。ところが世間のひとはつねに、悪人でさえ浄土に生まれるのだから、まして善人が生まれるのはいうまでもない、と言っている」。だがこの考えは他力の趣旨に背いていると親鸞(唯圓)は言うわけである。自分の力で善行を積んで往生したいと願うのは、阿弥陀の力に任せる気持ちに欠けている。だか
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町田 康『人間の屑』
2012/5/15(火) 午前 6:13
いったい文学とはなんなのだろうか。つくづく考えさせられてしまった。新しい言文一致体の文章の誕生というべきか。そして新しい文学の誕生というべきか。でもこの人たちも何年かすると若気の至りでとか何とかぬかして普通の文章を書き始めるのだろうか。
それにしても内面の描写などなにもない小説を文学などといえるのだろうか。
あほらしいか
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町田康『夫婦茶碗』
2012/5/3(木) 午後 9:19
なぜか、またもや町田康である。諧謔的にして自虐的なこの小説のもつ意味は何かなどということは考えないほうがいいようである。ゲラゲラ笑っていればいいのである。こういう小説にありがちな悲哀感というか哀切感などはもとめないほうがいいと思う。うらぶれた町やそこに住む人々も登場するのだが、町田の手にかかると悲哀とは全く違った感覚で描かれるのである。
ところでこ
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小川洋子『やさしい訴え』
2012/5/2(水) 午後 8:03
こういう小説を書く意義とはなんだろうか。何を訴えたくて小川洋子というもの書きはこの小説を書いたのだろうか。何もみえてこないのである。やさしい愛の物語なのだろうか。たしかに登場人物は誰も彼もが優しいのである。夫に浮気をされて別荘に逃げてくる瑠璃子さんは決してそのことで取り乱しはしない。別荘を持てるほどのセレブな階級に属しているからであろうか。別荘地に越してき
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