ゆづり葉

私の心の整理箱です 荒らすなよ!

未だ遺書ではありません

 骨髄移植をしてから6年を経て 今までGVHDとの闘いの日々であったと思いますが 命ながらえることが出来た事は本当に感謝に耐えないところです
 自分は病気になって病名を知らされてからのほうが それ以前よりも 短期 長期の目標を定めて生活・仕事がこなせていると思います
 病気に感謝する事は出来ませんが 私を助けてくださった方々には いつも感謝しております
 
 しかし まだしなければいけない事 したい事 が沢山あって 目の前の仕事に必死になっていると どうしても自分が死に直面したとき 大きい問題を残して焦りの思いが興らないか・・・ 
 それが私の今の一番の不安であり 心配な事です
 一番大きい事を 片付けるのが優先かとも思いますが 目下それは手付かずです
 自分の命の行く末が 分かるほうが良いのか→分って頑張るという方法もある
 このまま目の前の 仕事に追われ 遣り残したまま逝くのか→それは絶対イヤだ(と思うときには時間切れになるか)
 本当に私の思いは果てしなく 余命3ケ月と言われた私がこうして命ながらえていることの意味→結果だけはしっかり残したい→こうしてはいられないと最近強く思います
 

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大騒ぎの結果

 2日後 通常の血液内科の検診の予約があり 私は足をさすったり 眺めたり・・・
異常にむくんで太くなっている 出血は止まったらしいが 全然内出血の様な紫にはなってこない
なんだか ピンボケでこの前の足を見ているよう・・・ まだじわりと出血がつづいているのだろうか 不安増大
 
さあ主治医の前へ 
お元気でしたか 久しぶり 元気そうだね 
といつもの笑顔にも私は不安を隠さない
「先生! 私 皮下斑点出血になりました」「えー どれ 見せて」
ここまでは 予想のコース 
 
その後 「これは出血で無いよ」「うん全然違う」
えー そんなこんなに真っ赤なのに
「これは アレルギーです 熱が原因じゃないかなぁ」
えー ちっともかゆくないけど アレルギー???
 
「皮膚科に行って御覧なさい」「これは皮膚科の分野です」
何ぃ???
 
消化器内科 → 血液内科 とめぐって 皮膚科へ行けですって???
Drは「二次癌の方が心配だから 次回は胃カメラと検査をいくつかしますので一泊で来て下さい」って
私の足になど 全く関心を示してくださらなかった★★★
 
力が抜け 飲んだ止血剤は私の体の中で どうなったのだろうか などと思いをめぐらせ 報告の為に 携帯したら 出てくれた父から 限りなく笑われてしまった
しかし 私は エラかった
あんなブツから この顔を護ったのだから・・・
せめて そう納得しながら 未だ赤い足を抱えて家に帰った
ああ あの不安の落ち着き先が こんな形とは 一体これからどうなることやら・・・

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大騒ぎになってしまった

 この前 両足に斑点状のブツがいっぱい出て真っ赤になったので 覚悟を決めて入院支度をして 夫と病院に行った
こういう異常なことは 何故か連休に発生する(しかも夕方から夜間)
病院では 私が以前に骨髄の病気をしたということで はじめから「皮下斑点出血」を疑った
その時の医師は消化器科のDr
その斑点はだんだん足首から上へ上へと上がってゆき 膝を越え ふとももにも ブツブツが・・・
こんなに出血したら死んでしまうわーとちょっぴり半べそ そして覚悟 更にパニック(?)
すぐに採血 血小板の減少が疑われる
結果を一時間待ってほしい 
 
その間にも 胸が苦しい患者さんが2名 腸閉塞のような患者さん1名 救急車1台到着
 
なかなか私まで回らないなぁ・・・
血小板減少なら 成分輸血? 前に何回か受けたときは 血小板輸血でもブツが出来 人目にさらせないほど体中にブツガできたこと クラレチンを事前に飲んで輸血したときは大丈夫だった事 Drに言わんといかんなぁ・・・
 
など分別と パニックが頭の中で繰り返される 入院はいやだなぁ・・・とも思う
2時間近く待ったろうか 私を担当したDrが私に近づく
血小板が15万あるから理由が分からんね 休みで無い日に 血液内科を受診して・・・
出血があるのは事実なので今日は止血剤をあげます
 
帰れるんだ!ホッツ 
毎食後 処方されたとおり 私は薬を服用した
少し食欲が落ちた

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私は病気があります

 私は7年前に大きな病気を患い 今まで出来ていた事が出来なくなったり 不自由さを感じながらも 医薬や善意を受けて生きながらえております 
 そんな中でも 私らしくと思いつつも 矢張り 病気には勝てないなぁと思うことが良く有ります
 特にステロイドや免疫抑制剤を長期に服用している事で もともとの病気はよくなっているものの 副作用が強く出ているので 逆切れしてしまったり 自分にイヤ気がさしたりするものです
 正直言って 私は自分でも 口や発音に障害が出ていると自覚しています
 夫は仕事中は 良くやったと何の不満もないように見えますが 普段の会話の中で 何度も聞き返したり ラ行が分かりにくいと にこやかに「何のこと?」「これと違うか?」と細かいところを何度も突いてきます
 私は正しく発音しているつもりでも 全身の筋肉が衰えているのと同じように 声帯も筋肉の内なので 当然弱っていることは自覚しています
 しかし発病以来 7年も経てくると 周囲の状況や 夫の健康もダウンしていたり いろいろなところで 皮肉られるのは 自分の存在がつまらないものだと思えるようになり そんな自分がイヤになったり 明るく生きて生きたいと思っても夫は私に興味を持たないのは 当然です
 一緒に暮らして貰っているだけで 感謝しろというようなものですね
 こんな自分の心を押さえ込むのはきついものですね

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病気は生きる原動力

 最近 朝訳も無く 天井が回る。寝ながらあぁ回っていると思いながら一緒に回っている。まだ吐き気などの異常は無いが、メニエル氏病の前兆かも・・・と一人思っています。
 まぁ病院で先生に「考えすぎ」とか笑われるのが、せいぜいなので、そんな風だと取り越し苦労だったと終われるのでいいと思います。
 最近胃が痛く胃カメラを飲みましたが、異常なしでした。ただ胃痛の症状があるので、この際ダイエットでも兼ねて食事制限してみようかと思っておりますが、本当に胃が突っ張られるような感覚があって痛いのですが、これも私の痛みでしかないのだからと、他人のせいにも出来ず頑張るのみです。
 しかし色々次々と起こってくるので、私らしく生きるということはこんなに大変なんだと思います。

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久しぶりに更新です

 このところ自分のブログにも来ないで過ごしておりましたが、プレドニンの量を0に向けて徐々に下げようとしたら たちまちに口や目に痛みやかゆみ そして骨の痛みが発生し やっぱり私にこのブログが必要になりました
 何だか 目の奥に痛みもあり パソコンがキツイ!←凄く悲しい プレドニンから離脱できると希望を持ったけどこれではまた量が一気に増えてしまうのでは・・・という恐怖と闘わなければならなくなりました
 本当に骨髄移植は夢のような方法だと思っていましたが そうである人とそうでない人が居て 本当に自分が元気な時を知っているだけにくやしい気持ちです
 しかし まだまだ苦しむ人やキャンディーズのスーちゃんのような人も数限りなく居るのだから まだまだ感謝しなければとも思う
 本当にGVHDとはイヤなものを内在させていると思う
 

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頑張らないけど〜

昨日は検診で県外へ。足を怪我したので片足を引きずるような感じで病院へ。そして杖を買いました。
親切な店員さんが長さ調節やアイテムの装着をしてくれて使い勝手の良い杖がもらえて嬉しかったです。
この一年以上プレドニンを飲んでいたのでかなり体重を増やしてしまいましたが、こうなってみると痩せていたほうが良かったと思います。
そのような気持ちもあって朝食後のプレドニンを飲む事を拒否してしまった・・・

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ひさしぶりに来ました

 何だかすごく久しぶりで、最近書く事が面倒くさくなっていました。病状は変化が色々ありましたが、悪いながらも落ち着いています。

 最近腎臓移植のGVHDに対する免疫抑制剤が骨髄移植の人にも使えるようになったとかで、私も年末よりセルセプト1000ミリより始めて今では1500ミリになりプレドニンは10ミリから減らそうかというところです。

 もう目や口については辛いけれど、痛いけれどもこれは直らないということも承知し、ただ耐えながら仕事もしています。

 何で引っ込んでいないのかと自分でも思いますが、どんな人も生きる限り働くんだという姿を見せたい人がいるのです。

 なかなか キツイけれども出来るだけ頑張っていたい! 本当にキツイけれど・・・

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お参りは覚悟

 昔のハッピィウエディング6 

 枡酒の後、その家の嫁としての一歩が刻まれる。先ず行う嫁としての務めはお仏壇参りである。

 その家の先祖に先ずご挨拶して、嫁としての許しを乞うのである。お参りは嫁→嫁の父→嫁の母 と続くこの行事は当地が仏教王国と呼ばれるところであることが影響していると思われる。

 限定的な我が地区だけでなく、県下一円で行われている。

 最近式場を使って行われる結婚式であっても、早朝嫁ぎ先へ出向き当然の事として行っているものである。皆受け入れているのである。

 昔に比べて結婚式は様変わりした。しかし変わらないものがあるとしたらこのお仏壇参りではないかと思う。

 自分もこの家の先祖になります。同じお仏壇に入ります(入れてもらいます)という事を最初に行う。最初が肝心というがこれは嫁ぎ先が要求しているのか、嫁側の自発的行為か、双方か・・・

 いずれにしても当たり前のようにして今でもほとんどの家で行われている。

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無事 割れますように

 昔のハッピーウエディング 5

 嫁ぎ先の家では花婿をはじめ両親・親類たちが、花嫁行列の到着を今や遅しと待っている。座敷に席を構え、それこそ立ったり座ったり・・・

 そうこうしているうちに、花嫁行列は吸い込まれるように嫁ぎ先の玄関に至る。玄関にはいわゆる小姑になる人が待ちうけ、一升枡を差し出す。中には湯呑みに酒が少し入っている。どこでも準備をしながら「余り飲まさないであげて」などと早くも嫁、姑などの問題ありか?との思いを笑いで交わしているものである。

 花嫁は一升枡ごとこれを受け、介添えもついて酒に口をつけた後、渡してくれた小姑にこれを返す。やいなや小姑は枡の中の湯呑みをとって、地面にたたきつけて割ってしまう。

 これは枡酒といわれる儀式で、一升枡は「いっしょういます」の意味。湯呑みを割るのはもう二度と他家には嫁ぎません。二度と余所の枡酒は飲みませんという意味である。

 かくしてここまでしずしずと進んできた花嫁行列であったが「ガッシャーン」という派手な音はいかにも似つかわしくない音かもしれない。割れてこそ成就するものという言われからである。

 確かに地面に投げつけられた湯呑みが転がっただけではシャレにもならない。小姑はそそうがないように丈夫な湯呑みより簡単に割れそうな薄い物を探したりする。

 万が一、転がってしまってももう一度拾い上げて、必ず割ってしまってはじめてメデタシとなるのである。

 枡酒とは決して踏み絵ではない。新しい家に迎え入れる節目の儀式でこれがあったから大丈夫というものではないかもしれないが、こういうことをひとつひとつこなしていくのは大変だという意識を植え付け、それにより周囲にお世話になったという感謝。この家の嫁になったというと自覚。結婚式とは大変なことであるという意識を植え付けるという思いがあると母から聞いたことがある。

 親や先祖から伝わった習慣に一理あるかもと思えるものであるが、最近は式場のみの結婚や、親から独立しての新居生活が始まる等の理由によりとんと見られなくなっている。

 また花嫁さんには気遣って水、養子さんには酒をという家もある。

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