虎ときどき牛(奥の間)

「食うことばっかり考えて生きてるだろ」と言われても、否定できない私です。

2010延吉留学日記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 次のページ ]

延吉留学日記・第五週(4):終

20100824 火曜日 曇り

朝は8時前に目を覚ます。今日は金浦空港を16時前に出る飛行機で日本に帰る。時間は比較的余裕があるので、朝から急ぐ必要もない。ゆっくり支度をする。

しかし今日の予定は、上司への土産を買う以外には何も決めていなかった。候補は二つ、二村(イチョン)にある国立中央博物館に行くか、果川(クワチョン)の競馬公園の近くにあるらしい国立現代美術館に行くか。後者には行ったことがないので行きたいのだが、この美術館がある果川市は、ソウルの南隣の街である。泊まっている場所がソウル中心部でも北寄りの鍾閣(チョンガク)駅の近くなので、この美術館まで行こうと思うとソウル市を縦断する必要があり、時間がかかってしまう。そこで、今回は中央博物館に行くことにした。

9時半頃に宿を出て、鍾路(チョンノ)という大通りを歩く。適当に屋台で何か買ってつまもうか、と思っていたのだが、出勤時間を過ぎていたので屋台も減っており、何も見つからないうちに鍾閣駅に到着。地下鉄1号線に乗り、ソウル駅で4号線に乗り換えて、二村駅で降りる。そこから15分ほど歩くと、博物館に着く。今回の目当ては、つい最近オープンしたらしい朝鮮室(=李氏朝鮮王朝時代を扱った展示室)と、前に見ることができなかった工芸室・陶磁室である。
イメージ 1

1階の朝鮮室は5室あり、それらを順に見ていくことによって、14世紀末の王朝成立から、20世紀初頭(いまからちょうど100年前)の韓国併合までの歴史を概観することができるようになっている。オープンしたばかりの展示室ということで、内容はまだまだ充実させていく余地がありそうだ。しかし、もともと旧朝鮮総督府の建物を使っていたこの博物館が、建物の撤去に伴って現在地に移転してから5年、これでようやく、この博物館のメイン展示が古朝鮮から近代までつながってきたわけである。今後の博物館のさらなる成長が楽しみである。

朝鮮室を出て、次は3階に上がる。仏教美術、金属工芸、青磁、粉青沙器(<日本でいうところの「三島」などの陶磁器)、白磁という5つの展示室を順に見て回る。仏教美術室では、日本の京都・太秦にある広隆寺の半跏思惟像と酷似していることでも有名な、金銅の半跏思惟像が特別室を設けて展示されていた。1993年に初めて韓国を訪れたときに見て以来だから、17年ぶりだ。やはり美しい仏像だ(ちなみにこの博物館では、フラッシュや三脚を使わなければ、写真撮影は禁止されていない)。
イメージ 2

のんびりしているうちに時間が少なくなってきたので、最後は少々駆け足だった。それにしても朝鮮の民画や白磁の絵付けに出てくる魚は、とてもユーモラスで味があるし、なによりおいしそうに描かれている。数々の絵のモチーフの中でも、朝鮮では魚がもっとも秀逸だと思う。
イメージ 3
イメージ 4

最後にミュージアムショップに立ち寄って、少しだけ土産物を買い、博物館を後にした。もう12時を回っているので、上司への土産物を買いに行かないと間に合わない。再び二村駅に戻り、4号線で漢江を渡って、次の銅雀(トンジャク)駅で9号線に乗り換える。そして3つ目の高速ターミナル駅で下車。ここはソウル市内でも有数のショッピングスポットである。前回の韓国訪問時に、ここのデパ地下で買った菓子がおいしかったので、それを上司への土産物にすることにしたわけだ。

脇目もふらずにデパ地下に向かって菓子を3箱買い求め、もう一度9号線に戻る。この9号線には、高速ターミナル駅と金浦空港を結ぶ急行列車が走っているので、今回はそれに乗ってみることにした。10分ほど待ってやって来た急行列車に乗ると、座席はすでにほぼ埋まっていた。扉の横に立って乗っていったのだが、列車は30分ほどで金浦空港駅に到着。バスなら1時間ほどかかる(昼間は渋滞でもっとかかることもある)場所だから、これは非常に快適だ。今後も使ってみたいと思う列車だった。

けっきょく昼食抜きで金浦空港に到着。飛行機に乗れば機内食もあることだし、昼食はラウンジで簡単に何か食べる程度でよいか、と考えた。預けていたスーツケースを受け取り、荷物を整えて、搭乗手続きを済ませる。昨日本を10kgほど抜き出して送ったにもかかわらず、ほかのバッグの荷物をさらに詰め込んだりしたので、スーツケースの重さは34kgもあった。もう一つ預けたバッグがたぶん10kgくらいはあるだろうから、今日は45kgほども預けたことになる。うーん。

手続きを済ませて、ラウンジへ。金浦空港のラウンジは、出国審査よりも手前にある(だから、搭乗時刻ギリギリまで粘ることはできない)。窓際の席に座って外を見ていると、ターミナルビルの増築工事をやっていた。ちょうどコンクリートを流し込む作業をしているところだ。もちろん、ちゃんとした機械を使ってやっている。先日の私たちのような手作業なんかではやっていない。やっぱ土木工事ってこうよなあ、と思いながら眺めた。

ラウンジではおきまりのカップ辛ラーメンとタンムジ(韓国版たくわん)、ついでにサンドウィッチとカステラとカフェラテ、という強引な昼食。この際、それぞれがそこそこにおいしければ、組み合わせは何でもよいのである。
イメージ 5

それらを食べ終えて、PCを取り出して作業する。昨日の日記をブログにアップしようとするが、5000字というヤフブロの字数制限をオーバーしていて書き込めない。しゃあない、再編集するか、と思っているうちにバッテリーが音を上げる。なにぶん6年も使っているマシンなので、もうバッテリーがダメダメなのである。ACアダプタはあるものの、韓国のプラグに差し込むためのアダプタは、あいにく先ほど預けたバッグの中に入れてしまっていた。というわけで、ブログの更新もできずに作業を終了。30分ほど、ぼーっと窓の外を眺めて過ごす。

その後、保安検査や出国審査を経て搭乗口へ。延吉空港とは比較にならないほどのスムーズさだ。搭乗口前で30分ほど待って、機内に入る。隣には日本人のバックパッカー男性、前には韓国人の髪の長いオバチャン。離陸すると、このオバチャンが目一杯座席を倒してくるので、狭くて仕方ない。しかし、機内食の時にアテンダントのお姉さんがオバチャンに注意してくれたので、ようやく人並みのスペースを確保することができた。この金浦〜羽田便の機内食は、これまで何度も食べてきたものだが、不思議と懐かしい気がする。
イメージ 6

いつものようにロールパンをナイフで開き、コチュジャンを塗りたくって、おかずを挟んで食べる。韓国人もやらないと思われる、およそ行儀のよろしくない食べ方だが、これが妙にビールに合ってうまいのである。いつぞやなどは、隣に座っていた日本人のお姉ちゃんにひそひそと指差されてしまったこともあるのだが。

んで、機内食の片づけが終わると、オバチャンは再びシートを倒してくる。腹が立ったので、「あのねえ、あんまり後ろにもたれて来ないでくださいよ」と言ってやった。何か言われたらもっと言ってやるつもりで文句もいくつか考えていたが、それには至らず、オバチャンは黙ってシートを起こした。それにしても「すみません」くらい言ったらどうなんだ。なめとんのか、このオバハンは。

などといったことがあるうちに、遠くに富士山が見えてきた。下は一面に雲が広がっていて、地面はまったく見えない。南アルプスなどの山は入道雲に覆われているのだが、富士山だけはぽかっと顔を出していた。1ヶ月ぶりの富士山だ、懐かしい。
イメージ 7

そして飛行機は18時過ぎに羽田空港に着陸。たまたま滑走路から到着ゲートまでの距離が非常に近く、さらに飛行機を降りた後も、混雑し始める前に窓口をすべて通過できたので、19時10分頃には品川駅に着くことができた。国際線の帰りとしてはかなり早い。しかし新幹線の接続が悪く、自宅に着いたのは21時前だった。

それにしても、日本は蒸し暑い。からっと涼しい延吉から来たところなので、ムシムシして汗が止まらない。ところが、羽田に着陸して、国際線ターミナルから移動するバスの中で耳にした最初の世間話が、「最近涼しくなりましたねえ」「そうですねえ、秋みたいですね」というものだったのである。参った。もう東京以西の日本は亜熱帯認定でいいんじゃないか、と思った。

(終)

閉じる コメント(4)

閉じる トラックバック(0)

延吉留学日記・第五週(3)-2

20100823 月曜日
《前記事からのつづき》

寄宿舎の玄関には、すでに王さんが来ていた。そして日本人学生のMTくん、KDくん、SKくんも来てくれている。タクシーで出発することにし、みんなで延大正門まで歩いて移動した。正門のところでタクシーを拾い、これから街に出かけるというKDくんを残して、ほかの3人プラス私で空港に行くことになった。タクシー代の交渉は面倒そうだなあ、と心配していたので、王さんにお願いできたのはとても助かった(次に延吉に来るときには、タクシーの運ちゃんにも文句を言えるくらいになっておきたいものだ)。乗ったタクシーは、プルハトン河沿いのバイパスを100kmほどの猛スピードでぶっ飛ばす。おかげで早く着くことはできたのだが、かなりマッドな運転で、少々はらはらした。料金はメーター通りで15元ほどを払っていたようだ。

空港の建物の中に入ってみると、昨年と同様に、見送りの人間が山ほど固まって入り口を取り巻いている。授業のテキストで「里三層外三層(=内に三重、外に三重)」という表現を習ったのだが、これはまさにそういう状態だろう。私はすでに昨年経験したことなので、ひるまずパスポートチェックの警備員をめがけて突進していった。最後の境目のところで見送りの皆さんに別れの挨拶をして、ここはあっさりクリア。続く荷物チェックも、中を開けさせられることなく、そのままクリア。そして航空会社のチェックインカウンターに並ぶわけだが、この列が壁際一杯まで存分に伸びきるまで、航空会社の手続きは始まらない。航空会社の服務員が荷物を載せる台で体重を量っていたりして、(それは善意に解釈すれば機器の動作チェックなのかもしれないが)腹立たしい。

もうこれ以上列が伸びたらヤバいやろ、というゴチャゴチャ状態になってくると、ようやく手続き開始。列はすでに乱れ気味なので、随所で列の数が増えたり減ったりしているし、それにかこつけて割り込みするヤツも出てくる。これまた昨年も同じ経験をしたとはいえ、並ばされ慣れている日本人としては、こういうのが本当に腹が立つ。自分の身近で見かけたら怒鳴り散らしてやろうと思っていたのだが、幸か不幸か(<まあ前者ですかね)その機会はなかった。

私の番が回ってきて、荷物を台に乗せると、スーツケースひとつなのに重さはなんと39.8kg。大辞典をはじめとして本ばかりが入っているからなのだが、異常な重さである。当然ながら重量オーバーだと言われたのだが、スタアラ・ゴールド様の神通力で通過(ただし、それもあと0.2kgしか余裕がなかったのだが)。次は出国審査。これが動線がおかしく、出国審査の列と搭乗手続きの列が必ずぶつかるような構造になっている。なので、ここでもどさくさに紛れて割り込むヤツが出てくる。一人、あまりにも無茶苦茶な割り込みをして、中国人の出国審査官にたしなめられているアホな韓国人のオバチャンがいた。それはともかく、ここもクリア。続いて二階に上がり、セキュリティ・チェック。ここではライターがすべて没収されるので、喫煙者は要注意である。私は非喫煙者なので、たいした問題もなくクリア(<バッグを入れ子状態にしていたので、取り出してチェックをさせられたくらい)。

これでようやく、搭乗待合室に到着だ。並んでいる時間が長かったので、すでに本来の搭乗予定時刻(=出発の30分前)になってしまった。しかし、まだ搭乗は始まっていないらしい。そこで免税店を軽くのぞく。取り立てて見るべきものはないが、パンダの付いたキモかわいい子ども用スリッパや、パンダの付いたキモかわいいハンドバッグなどには、かなり心が動いた(本当に買おうかと思いかけたが、自制した)。

まだ時間があるようなので、次はラウンジに行った。と言っても、ここの空港のラウンジはひと昔前の家の応接間みたいなもので、ただ壁沿いに安っぽいソファが並んでいて、冷蔵庫に飲み物が何種類か置かれているだけのものである。思いっきりショボいのだが、ここに到達するまでには数々の行列に並ばなければならないわけで(<よほどのVIPでない限り)、ラウンジの滞在時間は必然的に短くなるので、これで十分に用が足りてしまうのであろう。私も15分ほど座っただけで、すぐに出て行った。

搭乗待合室に出てみると、もう搭乗が始まっていた。ここでもまた列に並び、搭乗する。32列目と、ずいぶん後方の席だ。飛行機はブリッジを離れてからもしばらく管制の指示を待って、13時頃にようやく離陸した。延吉空港は、延吉市街地の西にある。そして飛行機は西に向かって離陸したので、離陸時に街は見えなかった。その後、右に大きく旋回したときに、一瞬だけプルハトン河沿いの街並みが見えたが、すぐに雲に遮られてしまった。その後、機内食。
イメージ 1

食後、シートにもたれて目をつぶる。延吉(Yanji)を飛び立った飛行機は、北朝鮮上空を避けて飛ぶために、いったん西に向かって長春(Changchun)へ、そこから南西に向きを変えて瀋陽(Shenyang)を経由して、大連(Dalian)の手前で南東に向きを変えて韓国の西海上へ、というルートで飛んでいく。直線距離ではわずかだが、迂回するので2時間半もかかる。
イメージ 2

仁川空港には、16時過ぎに到着した。手荷物を受け取り、税関検査を経て、両替をすませて外に出る。延吉を離れるのは名残惜しかったのだが、韓国まで来るとやはりほっとする。ここまでくれば勝手がわかる、と思えるのだ。

まず仁川空港では、スーツケースの中のとくに重い本をいくつか取り出し、それを段ボールで包んでもらう。そして、それを郵便局に持ち込んで、日本の自宅宛に発送した。最初は、「韓国の住所がないと発送できない、泊まるホテルとかソウルの友人とかの住所はないのか」と言われたのだが、「泊まる場所はこれから探すところだし、今すぐにわかる友人の住所などない、送れないなどと言われても困る」と言い張り、差出人の欄にも宛先と同じ住所を書いて無理矢理に発送させた(電話番号も記入したのだし、とにかく日本までたどり着いてくれれば、多少の記入ミスがあっても、そこから先はどうにかなるだろう)。年を取るとしだいにこうやって無茶をする方法を覚えていくのだろうな、と思った。いや、とりあえず主張しないと始まらない中国生活の経験もあるのだろうか……?

これで、荷物を少しだけ軽くすることができた。改めて荷物をまとめなおし、空港鉄道に乗って金浦空港に向かう。そして、金浦空港でスーツケースを預かってもらった。「韓国語がうまいねえ」「いや、ちょっとだけです、まだまだですよ」「でもそれだけ話せれば、どこでも生活できるよ」などと話しているうちに、アジョシに料金を負けてもらった。まだソウルでもこういうことってあったんだなあ。

この時点で、もう18時を回っていた。地下鉄5号線で市内に向かい、光化門駅に着いたのは19時前。小雨が降っている。書店2軒をハシゴし、本を2冊買っていたら、もう20時過ぎになってしまった。夕食はいつもの清進屋でヘジャングク。
イメージ 3
イメージ 4

胃腸の調子がまだ十分に回復しきっていない状態なので、内臓料理が効いてくれるといいのだが、と半分期待しながら食べる。これは何度食べてもうまい。しかし6000ウォンという値段が、ソウルの物価水準からすれば十分に安いのだが、やはり中国帰りの身には厳しく見える。延大の学食なら5回は食えるからなあ……。

食べ終えて外に出ると、雨がかなり強くなっていた。宿探しが面倒になってきたので、建物を出てすぐに見えた旅館に泊まることにした。日本のガイドブックなどにも載っている美都(ミド)旅館である。一泊40000ウォン。設備は十分にきれいで、寄宿舎の部屋より快適である(笑)。

いったん荷物を置いて、コンビニで水などを買ってくる。あとは風呂に入って日記をつけた。しかし今日の日記は長くなったなあ。書くのにえらく時間がかかったぞ。もう1時になってしまった。寝なければ。

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

延吉留学日記・第五週(3)-1

20100823 月曜日 晴れ/雨

いよいよ延吉を離れる日が来た。本当に名残惜しい。昨日は雨がかなり強く降っていたが、今日は一転してよい天気だ。

体調は一晩寝てかなり回復し、昨日ほど腰の痛みを感じることもなくなった。朝は7時過ぎに起き、顔を洗って食事に行く。食堂のアジュンマに、今日出発するのでこれが最後の食事だ、と伝えたら、おまけしてくれて5元で食べさせてくれた。しかもスイカのおまけ付き。1ヶ月間で数えるほどしか外食をしていないから、ここのアジュンマには本当によくお世話になった。次に延吉に来る時はおそらく観光旅行だと思うが、それでもここに食事をしに来てもよいと思うくらいだ。
イメージ 1

食後、最後の荷造りを進める。1ヶ月お世話になったこの部屋ともお別れだ。最初はがらんどうで何もない部屋だと思っていたが、住んでみるとやはり愛着がわいてくるものだ。

8時半、いったん留学生管理課に出向き、今日の12時15分の飛行機に乗る予定であることを伝えに行く。すでに2人の人に予定を伝えてあるのだが、これまでの経験から、この大学の人たちは相互の情報共有がまるでできていないことがわかっているので、改めて伝えに行ったわけだ(するとやはり、私の出国予定を把握できていなかったことが判明した)。その場で空港までの移動について相談し、延大の学生さんに空港まで同行してもらうことになった。その学生さんは王さんという漢族の人だが、朝鮮語が専攻とのことで、朝鮮語を非常に上手に話す(ぜったい私よりもうまい)。なので私はずっと朝鮮語でやりとりをしており、会話をする機会も多かった人だ。その王さんが、10時半に寄宿舎前まで迎えに来てくれるということになった。

出発時刻が固まったので、これで出発までの段取りを考えられるようになった。部屋に戻って、昨日の日記をつける。いろいろあったので長くなってしまい、意外に時間がかかってしまった。とりあえず文章だけをブログにアップロードし、PCを閉じて片づける。これで荷造りはすべて完了、ということになる。

10時を回った。出発予定をまだ話していなかったSKさんに挨拶に行く。彼女はずっと同じクラスで勉強してきたわけだが、私が老師の指示をちゃんと聞き取れなかったときに助け船を出してくれたりして、いろいろとヘルプしてもらった。それだけではない。ともすればだらけがちなクラスの雰囲気の中で、私一人だけでまじめに予復習を続けられたかどうかは、非常に怪しい。私よりも明らかに高い実力を持っている彼女がきちんと予復習をしていて、学習した表現を会話の中できちんと使いこなしているのを聞いて、「実力がある人があれだけやっているんやから、オレはもっとやらんと」と、常々思わされていたのだ。それがあったからこそ、1ヶ月間のハードな勉強も続けられたのではないかと思う。だから、彼女には本当に感謝している。

というわけで、挨拶に行って感謝の意を伝えてきたわけだが、彼女は40%くらい中国語混じりでの会話であった。私はとっさの中国語が出るレベルには到達できていないので、すべて日本語である。不思議な会話であった。

続いて、今度はSKくんの部屋に行く。彼は、日本の大学の夏休みがまだ1ヶ月残っているということで、もうしばらく延大に居残る予定である。そこで、私が使い残した洗剤や、1ヶ月使っただけで捨てるほかない湯沸かし器、ドライヤーなどを彼に譲ろうと思い、それらをとりまとめて持って行ったのである。

で、部屋に行ってみて、驚いた。SKくんは韓国人のサンギ(@イケメン)と同室だったのだが、部屋の使い方について折り合いが悪くなり、サンギとまったく口をきかなくなってしまったらしい、とは聞いていた。サンギは昨日の朝に韓国に帰って行ったので、部屋はSKくん一人のものになったわけだ。そして部屋をのぞいてみたところ、サンギが口をきかなくなった理由が非常によくわかった。

部屋には、二つのベッドがそれぞれ壁沿いに置いてある。そして、その中間地点に、本来は机の上に置く棚が据え置かれていて、これが間仕切りになっている。その間仕切りを境にして部屋の半分だけが、本当に誇張抜きに、足の踏み場もなくものが散らばっている。いったい何が散らかっているのかもよくわからないくらい、あらゆるものが右に左に、上に下にと重なり合いつつ広がっているのである。だからSKくんは、昨夜からサンギが使っていたベッドで寝ているというのである。しかもそのベッドの上にも、すでにいくつかのものが散らばっていた。この「散らかし力」はすごいと思う。少なくとも私には真似ができない。聞くところによると、サンギは非常に几帳面な男だということだから、こらえかねたのだろう。間仕切りも、何日目かにサンギが置いたものらしい。そんな部屋にさらにモノを置いてくるのはアレな気もしたが、ほかに譲るあてもないので仕方ない(それにしても、あの部屋が1ヶ月後はどうなるのか、非常に興味がある)。

SKくんにも最後の挨拶のつもりで行ったのだが、話をしているうちに、彼も私を見送ってくれるという話になった。ありがたいことである。

いったん自室に戻り、荷物を持ち出して、いよいよ出発である。部屋の鍵を管理人のアジョシに預け、別れの挨拶をする。アジョシには、最後の最後で夜中に玄関を開けてもらって、迷惑をかけた(そのことには触れなかったが)。

《→→→つづきます》

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

延吉留学日記・第五週(2)

20100822 日曜日 雨

ゆうべひどく遊びすぎたせいで、体調がきわめて悪い。8時過ぎに起きて食堂に行ったが、二日酔いでとても食事をできる状態ではない。レモンジュースと水だけを買ってくる。
イメージ 1

今日は、大邱科学大をはじめ、ほとんどの韓国人学生が帰国する日だ。12時頃の飛行機に乗るということだったから、出発は10時頃だろうと考えて、それまでの間に昨日の日記をつける。昨日は本当にいろいろあった一日なので、書いているうちにどんどん時間が過ぎていく。

10時前、廊下が騒がしくなってきたので、部屋から出てみる。韓国人学生たちがうろついているので、何時に出発なのかを尋ねてみたら、11時だとのこと。国際便に乗るというのに、ずいぶんとのんびりした話だ。廊下で何となく立ち話をしていると、世話役をしている延大の学生さんが、昨日撮影した記念写真を配りに来た。大きく引き伸ばされていて、とてもよい記念になりそうな写真だ。

時間の余裕があるので、もう一度部屋に戻り、日記の続きをつける。10時50分頃、また廊下が騒がしくなってきたので、部屋から出る。バスがやってきて、いよいよ出発のようだ。とくに親しくしていた数人の韓国人学生と、別れの挨拶をする。メールアドレスを教えてくれ、と言われて教えた(のだが、ドメイン名を間違って教えてしまった。痛恨である)。

彼らの出発を見送り、また部屋に戻る。日記をブログにアップロードして、昼食だ。しかし、そもそも食欲がないところに、ごはんが饐えてしまって妙なにおいがするので、とても食べられない。アジュンマに頼んでごはんを取り替えてもらったが、やはり饐えたにおいがする(話を聞くと、昨夜の私たちの宴会の影響で、せっかく炊いたごはんが大量に余ってしまったから、ということらしい。つまりこれは、昨夜炊いたごはんだったのである)。汁物とトマトだけの昼食となった。
イメージ 2

昼食後、体調が思わしくないので横になる。身体が重いし、腰が痛い。昨日のアホな遊具の影響が来ているらしい。1時間半ほど休む。

しかし、このまま横になるだけで一日を終えたくなかったので、外に出る。今日は私にとっての延吉最後の夜になるので、日本人学生仲間で「北レス(<北朝鮮が経営しているレストラン)」に行こう、という話にしている。しかし店の正確な場所がわからないので、それを探しに行かなければならない。

寄宿舎を出て、延大正門前から4路のバスに乗り、西市場で降りる。そこから市場の外周を回るように、東→北と歩き、人民路を渡る。昨年来たときには改装中だった柳京飯店をのぞいてみることにした。

柳京飯店は、西市場からみて北のほう、考世茂飯店(コスモホテル)の北隣にある。小ぎれいなビルである。ここもホテルなので、中に入るとフロントがある。フロントのお姉さんに、レストランで朝鮮の歌や踊りなどを見ることができるか、と尋ねてみると、夕方6時半から30分間ほどの公演がある、とのこと。それを見るには2階で予約してほしい、ということだったので、2階に行ってみた。中に入ると、薄緑色のチョゴリにピンクのチマをつけた店員が数名いた。みな美人さん揃いである。そこで、今日の夕方6時半から、ということで予約をした。フロントのお姉さんも店員のお姉さんも、全般に非常に言葉がきれいで聞き取りやすいし、対応が非常に丁寧である。非常によい印象を抱いた。

予約を終えて、次は新華書店へ。「家有児女」というタイトルの、ホームドラマを通じて中国語を学ぶ教材を買うことにした。3巻あり、それぞれDVDが2〜3枚ついている。見て学習する機会を確保できるかどうかわからないが、日本で買おうとすると非常に高くなるので、こちらで買って持ち帰ることにする。CDやDVDが荷物に入っていると空港で厳しくチェックされるらしい、という話も聞いているので、多少面倒そうではあるが。

その教材だけを買って、新華書店を出る。腰が痛いので、街歩きをする元気もない。西市場の前のバス停から37路のバスに乗り、延大に帰る。日本人学生仲間それぞれに、今晩の出発予定時刻を知らせた後は、部屋で横になって休んだ。

1時間ほど休んでいたが、荷造りがまだ完了していなかったので、仕方なく荷造りを始める。本を詰め、服を詰め、とやっていると、おきまりのことだがスーツケースが閉まらない。上着は手持ちにしようとか、この土産は手提げでぶら下げていこうとか、いろいろやって、全体重をかけながら圧縮してようやくロックできた。空港で開けさせられたら後が大変だ。DVDが入っているから不安だが……。

何とか荷造りを完了させ、シャワーを浴びて、出かける準備をする。18時に寄宿舎の前に集合し、タクシーで出発。「柳京飯店」と告げるだけで行ってくれた。

建物の中に入り、レストランの中に入ると、先ほど予約を受け付けてくれたお姉さんが会釈してくれた。1号卓に来てくれ、と言われていたのでその机に行くと、すでに食器がセッティングされている。手拭きがなぜかキャセイパシフィックのロゴ入りだったりするところがナゾだが、それはともかく、店内は非常に清潔である。円卓が10卓ほどあって、一番奥にステージがあり、キーボード(<CASIO製だった)と伽耶琴が置いてある。

座席に着いて、注文をする。キムチ盛り合わせと鍋物、「柳京チヂム」という3品とビールを頼んだ。最初に出てきたのは、キムチ盛り合わせ。ペチュギムチ(白菜キムチ)、ヤンベチュギムチ(キャベツキムチ)、チョンガクキムチ(小さな大根のキムチ)、カクトゥギ(大根の角切りキムチ)の4種類である。キムチはだいたいにおいて南に行くほど塩辛く、味が濃いのだが、ここで出てきたキムチは平壌らしく、さっぱり味である。食べやすく、非常においしい。
イメージ 3

次に出てきたのは、「柳京チヂム」。これはなんと大阪風お好み焼きそのまんまであった。上にカツオ節までかかっている(朝鮮ではカツオはほとんど食べないはずだ)。ただしキャベツの切り方が多少粗っぽく、大阪で食べるお好み焼きよりもキャベツが口に当たる感じではある。おいしいのだが、これはなんだかビミョー。
イメージ 4

これらを食べていると、ステージで公演が始まった。最初は、「お誕生日おめでとう」の歌から。隣の卓では、4世代くらいの家族が集まって盛大に食事が行われていたのだが、そのいちばん上のひいおばあちゃんらしき方の誕生日らしい。ステージのお姉さんから花束が贈呈されていた。続いて、「パンガプスムニダ(<お会いできてうれしいです)」などなどの曲が次々と続く。
イメージ 5

注文を取っているお姉さんたちが入れ替わりでステージに上り、驚異的な歌唱力を披露していく。すごいステージだ。途中、「アリラン」の時には、隣の卓のおじさんやおばさんが立ち上がって踊り始める。それを見て、最近はダンスにハマっているというKMくんがウズウズしてダンスに加わった。

公演が終わり、鍋物をつついて、腹がふくれたところで冷麺をひとつ注文する。
イメージ 6

冷麺の麺にはソバ粉が入っているので、ソバアレルギーの私は食べられないのだが、平壌の名物なのでほかの日本人諸君に食べてもらうことにした。しかし腹がふくれていたのか口に合わなかったのか、残念ながら完食とはいかなかったのだが。

てなことをやっているうちに、2回目の公演が始まった。曲目はさきほどと少し違っていた。せっかくなのでこの公演が終わるまで見てから、勘定をして外に出た。私は体調のせいでほとんど飲み食いできなかったのだが、それでも楽しかったし、味も悪くなかったと思う。次はもっと体調のよいときに来たいものだ。

外はまだ雨が降っている。タクシーに乗って延大まで帰る。部屋でしばらくKDくんにパソコンを貸している間、『魯迅文集』を読み進めた。23時半頃に就寝。夜が明けたら、いよいよ延吉を離れる日が来る。

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

延吉留学日記・第五週(1)

20100821 土曜日 曇り

いつものように7時前に起きる。今日は土曜日なので、食堂は8時からの営業だ。まだ時間があるので、洗濯をして顔を洗う。洗濯物を干し終えて、少し調べものをして時間をつぶした。8時半頃に食堂に行くと、今日は辛ラーメンだという。ごはんとキムチを少々つけてもらう。
イメージ 1

今日は、夕方に修了式があり、その後に送別宴会があるというほかは、何も予定がない。何をしようか、と思っているうちに眠くなってきたので、またしても横になって休む。10時半頃になって、さすがに寝ているだけではイカンな、と思い直し、『漢語口語習慣用語教程』の復習を1時間弱やった。

12時前、昼食。食堂に行ってみると、早くもおかずがほとんど品切れ状態だった。牛肉とシシトウの煮付け、エゴマの葉と、シラギクク(白菜の干し葉の汁物)。関係ないが、シラギはソウルあたりではシレギと呼んでいるはずなので、これもひとつの方言だろう。アジュンマは、「トウガラシは辛くない? 大丈夫? 韓国語が上手だからトウガラシもたくさん食べれるわよね」などと訳のわからないことを言って、今日もたくさん盛りつけてくれた。
イメージ 2

昼からは『魯迅文集』を読み進める。魯迅の生い立ちを記した『朝花夕拾』という作品を読んでいるところだ。その中の、日本人にはウケのよい「藤野先生」にさしかかった。これは、魯迅が仙台医専(いまの東北大医学部の前身)に留学していたときのエピソードである。日露戦争後、日本にやってきた魯迅は、題名の藤野先生という教授からとくに親しく指導を受けた、という話である。しかし魯迅は、藤野先生の指導によって試験問題を事前に教えてもらっているのではないかと、日本人学生たちに疑われてしまう。対外「進出」を求めるうわついた熱気が充満する日本で、そのほかにもいろいろな差別を受け続けた魯迅は、医専を中退して仙台を離れてしまう。魯迅は藤野先生に深く感謝しつつも、結局は自身の不安定な状況のために、藤野先生にその後の消息を伝えられずにいる、という内容で文章は締めくくられる。藤野先生という良心的な教師の存在を、日本の対外侵略の免罪符にしてはならないと思うのだが、それにしてもやはり、何度読んでも感動的な話である。

読みながら、コーヒーを入れる。途中からちびちびとケチりながら飲んでいたので、コーヒーは今日まで持たせることができた。修了式の日に飲むこの一杯が、最後の一杯である。ちょっと感慨深い。
イメージ 3

15時頃から身支度を始め、15時40分に寄宿舎前に集合。開講式を行った総合楼7階のセミナー室に向かう。
イメージ 4

ちょっとだけめかし込んでいったのだが、ほかの学生たちは普段着通りのTシャツにサンダルなどで参加しているので、なんだか浮いているような気もするが、代表で発表もするのだし、と気を取り直して向かう。

修了式は1時間ほどで終了。立派な修了証書をもらった。肝心の発表は、ところどころ詰まってしまったのだが、なんとかこなす。私以外に3人の学生が発表したのだが、皆それぞれスムーズにこなしていたので、気分的にはビミョーなところだが、まあ仕方なかろう。中国語での発表の最後に、少しだけ朝鮮語で感謝の辞を述べておいた。

続いて、寄宿舎の食堂に移動し、送別宴会。同じクラスで勉強した学生や老師を中心に集まって卓を囲んだ。
イメージ 5

宴会を終えて、さらに二次会である。今度は日本人学生が集まって、プルハトン河沿いの遊園地に行こう、という話になった。先日のホームステイの時に、チンダルレ広場に向かう車中で通り過ぎただけだったので、存在は気になっていた。延大から歩いて15分ほどだろうか。夜にもかかわらず、たくさんの人が来て遊んでいる。

最初は、MTくん熱烈推奨のアトラクションへ。見たところ、外周沿いに椅子をしつらえた大きな円盤がぐるぐる回るだけの遊具、というように思える。
イメージ 6

ところが、この円盤の下には、円盤を持ち上げる装置が付いており、それを操作員(「DJ」と書かれたボックスの中にいる)が任意で作動させるのである。円盤は相当な勢いで動くので、乗っている客は背後の柵をよほどしっかりとつかんでいなければ、跳ね飛ばされてしまう。とくに非力な女性客などは、よく座席からはじき出されて円盤の床にしりもちをついている。そしてDJは、そういう様子を見て「はい、そこのお姉さんスカートの中が丸見えですよ」「(髪を振り乱してしがみついている女性に)いいねえ、もっと頭を振っていこう」などと、中国語・朝鮮語併用でちゃかしながら、さらに激しく円盤を動かすのである。こんな危険なアトラクション、日本だったら絶対禁止だよなあ、と思う。

というわけで、円盤に乗ってみる。懸命に柵にしがみついてがんばるのだが、私の座っているあたりはとくに男性ばかりが固まっていたので、とりわけ激しく揺さぶられ、何度も腰が宙に浮く(本気で危険である)。しかも周りの中国人男性たちは、それを非常に喜んでいるのである。エラいものに乗ってしまった。

日本の遊園地だと、規定の時間があって、その間だけがんばればよい、というのがほとんどだろう。ところがここは、DJの気分次第で操作されているので、いつ円盤が止まるのかがわからない。DJは、ひとしきり揺さぶった後で、中国人男性たちに「要不要?」と尋ねる。もちろん客は「要!」と返す。そこでさらに揺さぶりが続く、という状態である。最後に円盤が停止し、「じゃあ皆さん出口はこちらです、バイバイ」と言って皆が立ち上がった頃合いに、さらに何度か揺さぶったりする。乗っている方は大変だ。

こんな感じでフラフラになって、ようやく降りることができた。メチャクチャ大変だ。我々が降りた後、すこし遅刻してやってきたSKくんが、一人でこのアトラクションに乗った。彼は、運悪く遊園地のスタッフの横に乗り合わせてしまう。そのスタッフは、激しく揺れる円盤の上で立って歩いたり、ジャンプしたりという芸を見せてくれる。そのため、SKくんは他の客にもまして揺さぶられて大変そうだった。他人事だから楽しく見させてもらったが(笑)。

次に行ったアトラクションは、「空中飛人」という名前のもの。プルハトン河の上を渡したワイヤーに一人乗りの滑車がついていて、それに乗って川を渡っていくというものだ。十津川温泉の「飛猿」という乗り物(<未経験だが)に傾斜がついて滑降していく、という感じである。チケット売り場に荷物を預け、スタート地点のヤグラをどんどん上っていく。ビルの4〜5階くらいの高さはあるだろうか。眺めはよいが、少々ドキドキする。
イメージ 7

私が先陣を切って行くことになったのだが、出発前に写真を撮りたいと思い、係のオッサン・オバチャンに、「写真を撮りたいからちょっと待ってほしい」と伝えると、「なんだ、朝鮮語が話せるのか? どこで勉強したんだ? 何年くらい?」などと質問攻めにあってしまう。以前は韓国でもこういう質問をよくされたものだが、こちらでは未だにこうして珍獣扱いを受ける。

そしていよいよ滑降。革靴を履いてきてしまったので、川に落としてしまわないように気をつけていると、あまり景色を見回すこともできないままに対岸に着いてしまった。しかし楽しい。

その後、スタート地点の岸までモーターボートで送ってもらい、荷物を受け取って出て行く。途中、ジャイアントスイングのようなアトラクションがあり、これまた操作員が客をおちょくりながら操作していた。真っ逆さまの状態で静止して明日の天気を尋ねたりとか、他人事としてみている分にはかなりおもしろい。

こんな感じで、この遊園地は「探偵! ナイトスクープ」に「パラダイス」として調査依頼をしたくなるような、たまらない遊園地であった。本当に依頼出そうかな。

遊園地を堪能したので、次は三次会。韓国人学生たちがカラオケ屋で待っている、というので合流した。しかし、我々が着いたときには満室状態で、空きを待っているところだった。そこで私たちは、道の向かいにある店でビールを飲みながら待つことにした。つまみには地三鮮を注文したのだが、これが味付けをどう間違えたのか、以上に甘ったるい。MTくんがクレームをつけて作り直させたがまともな味にならないので、白菜木耳(白菜と木耳の炒め物)に変更。これはそこそこの味だった。

食べ終わると、部屋が空いたらしく、ほかの学生たちはすでに入室していた。しかし、韓国人たちのカラオケはハードである。そして、自分たちにしかわからない歌を平気で歌い続けるので辟易した。私たち日本人チームはすでに遊園地で疲れていたこともあり、途中で退席した。寄宿舎に戻るとすでに鍵がかかっていて締め出されてしまったので、管理人のアジョシを起こして開けてもらった。部屋ではシャワーを浴びる元気もなく、そのまま寝てしまった。

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 次のページ ]


.
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

人気度

ヘルプ

Yahoo Image

メンテナンス中

  今日 全体
メンテナンス中 - -
メンテナンス中 - -
メンテナンス中 - -
メンテナンス中 - -

開設日: 2005/3/12(土)


プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2012 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.