☆夢のつづき☆

一言メッセージ :人の悪を言わず、己の善を語らず

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道標

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静かな幕明け

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この正月は静かな幕明けだった。       2009/01/09
2009年の幕明けは年中行事のご来光の礼拝らいはいからスタートした。
今年は水平線に雲海が厚く漂っていたが、それでも7時23分には雲の切れ目から、同46分には見事なご来光が拝めた。風も穏やかで気温もそんなに低くない静かな幕明けであった。
ただし、当家では起き掛けに少しのハプニングがあった。それは近くのお寺の鐘が鳴ったと妻が勘違いして(9日過ぎた今でも確かに聞こえたと言っているので、本当に鳴ったのかも知れない)4時過ぎに起こされたことだ。そして準備万端、手袋をはめて、さあ出発!と、今一度時計を確認するとなんと、なんと、まだ4時過ぎではないか。二度寝するにはなんとも中途半端な時間帯。だが、もちろん怒る事はしなかった。何しろめでたい年の初めだから・・・・!
結局、スポーツウエアを着たままカーペットの上に丸まって仮眠、貴重なひと時を過した。
礼拝らいはい後は7Kmのジョギングをこなし、途中、知人からいただいたワンカップを手に、夫婦揃って元旦の“書初め”ならぬ、“走り初め”がめでたく終了したのだった。
いま振り返ってみると、この正月は事の他平凡に過ぎたと思うが、この“平凡“に過ぎたことが実は奇跡のように有難く、感謝いっぱいの出来事なのだ。
巷では、マスメディアが相も変わらず、不況の、不景気の、多発する事件の、常軌を逸する犯罪の、政治不信の、環境問題のと、あおりにあおって、事実、問題も山積しているが、それもこれもみんな人間がつくったもの、人間が心を入れ替えない限り解決しない問題だ。


経営の神様といわれた松下幸之助翁の言葉に:この世の中というものは、お互い人間がつくりあげているもので、従って景気不景気というものは全くの人為現象で、自然現象ではありません。ですから好不況というものは、本来あり得ないものだということになるのですが、それでも現実に不景気ということが起こります。
商売をしている身にとっては、これはなかなか大変な事で、大いに心配されるところです。しかし、不景気にはまた不景気に対処する道がおのずからあると思うのです。
たとえば、“不景気もまたよし、不景気だからこそオモシロイんだ”という考え方が、一面できないものでしょうか。
“世間が不景気だから、自分の店が不景気になるのも仕方がない”とあきらめたり、あるいは“困ったことだ”と右往左往すればお店はその予想通りになりましょう。しかし、不景気だからこそオモシロイんだ、こんな時こそ自分の実力がものを言うのだと考えて、さらに商売に励むならば、そこには発展、繁栄する道がいくらでもあると思うのです。
たとえば、昨年は忙しくて放っておいたアフターサービスを、この際徹底的にやろうとか、お店の整備を積極的に図ろうかとか、いわゆる甘い経営を排していろいろの方策を考える。それも、他力に依存することなく、自分がこれまでに貯えた力によって一つ一つ着実に実施していく。そうすれば、その歩みはたとえ一歩一歩のゆっくりしたものでも、他のお店が不景気で停滞しているのですから、まあ、相当のスピードということになりましょう。そういうことを考えてみますと、不景気こそ発展の千歳一遇の好機であるといういことにもなりましょう。私は、商売というものは、このように考え方一つ、やり方一つでどうにでもなるものだと思うのです。言うなればお互い何をなすべきかということを、寝てもさめても考えねばならない時ではないでしょうか。


私は自営業者だから、特にその骨子は比較的理解しやすいが、この上記の言葉は巷の「問題提供者もんだいていきょうしゃ」達にもそっくり当てはまるのではないだろうか?

さるお人からの今年の年賀状に、こんな文言が書かれてあった。
外国の格言でAn old ox makes a straight furrow丑年にちなんでのproverbであり、尚且つ私が放送大学で外国語を選科にしている事を知っている女性からだが、訳としては「老いた牛は、真っ直ぐに鋤く」=年齢を重ね、経験を積むことで良い仕事をするようになる。――――誠にありがたい箴言しんげんである。と同時にこんな人格を目指して今後生きてゆきたいと誓った。

写真上は:7時23分、雲の切れ目から顔を出した“初日の出”
写真中上は:7時46分、ジョギング中にすっかり上がった初日の出。
写真中下は:1月4日のハーバーランドの借景。
写真下は:丑年にちなんで、プロムナードに並んだカラフルな牛のフイギュア。

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思いやりの心

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他人を思いやる心が乏しいのは己の心が貧しいからである

最近、自分のことだけ考え、他人のことなど全く考えようとはしない風潮がますます強くなってきているように思われます。世の中を自分本位の生活態度や理屈だけで処理していくとしたら、なんと味気ない殺伐さつばつとした住みにくい社会になるでしょう。他人への思いやりといった心遣いは、人間関係において潤滑油のような役割を果たしていると言え、思いやりのある言葉や行為がどれほど人の心をなごませ、救いとなっているかを知っておくべきです。現在の己の心の貧しさの度合いを知るためには、頭で考えるのではなく、日頃の自分の言葉や行動の中に発見する意外にありません。冷たい言葉を吐いてはいないだろうか、思いやりのない行為をしてはいないだろうか、と常に振り返り、反省を怠らないことが大切です。お金の蓄えがなくてはいざというとき困るのと同様に、心の豊かさの蓄えが・・・・・・・・・なければ、ここぞというときに他人を本気で思いやる心は生まれてはこないのです。

最近、私たち夫婦共通の知人である女性が悩み事を抱えてやってきた。普段、それはそれは明るい女性で、ある意味私たちの憧れでもあったお人だ。その悩みと言うのは、近所に住む同い年の仲の良い友達に少し認知症が出てきて、しかも被害妄想ひがいもうそうがあるのか、人のものを盗ったとか、部屋の物が無くなったとか、勝手に入って電気のスイッチを切ったとか、挙句の果ては、それらの事を110番までしているのだ。しかも一番仲がよかったハズの私がやっていると言っている、とのこと。もちろん、その人の家族や、役所の福祉の係、果ては警察まで相談に行ったけれども、どこへ行っても手の打ちようがないのか、通り一遍とおりいっぺんの答えしか返って来ない。さすがに天性の明るさも何処へやら、大変ふさぎ込んで悩みを打ち明けに来たのだ。そして、一人になった時に、くやしくて、悲しくてどうしようもなく落ち込む事があるとの事。私たちも妙案が有るわけではなく、話を聞いてあげて慰めるしか出来ないのだが・・・、高齢化社会の弊害へいがいがこんな所にも波及しているのだ。

こんな言葉を思い出した。
“たった一言が人の心を傷つけ、たった一言が人の心をうるおす”

住みにくい世の中にしているのは結局、私たち自身ではないのだろうか・・・平素から積善、利他を心掛け、社会にお返しの気持ちで生活してゆけば人に迷惑をかける度合いが少しは減るかも知れない、と思った次第。
人は一人では生きてゆけない、お互い助け合って、人生を楽しく生き通したいものだ。

写真上は:愛読書 “致知” 道徳心を学べる。
写真下は:自然の“恵” 秋にふさわしいマテリアルを選んだ。

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掃除は心をも美しくする

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掃除は心をも美しくする          2008年10月7日

今日は生ゴミ収集の日。粗ゴミ、生ゴミ、缶やビンと、月に十回以上収集日があるが、いつのころからか、ゴミステーションの収集後の清掃をするようになった。最初の頃は当番に当たった家がすべきだがなぁ〜、お互い責任と義務を果たさねば・・・、などと思っていたが、会社へ通勤する人はその時間帯には出られない方もいるだろう。また、夏場は収集後出来るだけ早く掃除をしないと不快な臭いが立ちこめる。結局、店のすぐ横に集積所がある私のところが掃除するようになった。

自分の住む地域を美しくする事はなにもきらいなことではない。現にその他さらに公園の清掃が月に2〜3回ある。しかし、特に公園の清掃をしていて思うのは、子供や少年達が遊んだ後、食べたものや紙くず、飲んだものや缶ビンを平気で捨てて帰っているのである。「捨てる人は掃除しない人」「掃除する人は捨てない人」という不文律がそこかしこであるようだ。
近年それが段々ひどくなってきている様に思うのは、やはり「教育」のせいだろう。昔の日本人には道徳心があった。マナーやモラルは「家庭教育」で済んでいた。現在は子供を育てるべき親自体が、もはやその教育を受けていない(学んでいない、そういう学習割り自体がない)のだ。教育界に猛省を促したい。結局「自分でまいた種は自分で刈り取らねばなぬ」だろうから。

しか〜し、掃除について最近うれしいことに出会っている。そう現在進行形なのだ。それは、名前も住所も知らない30代くらいの女性が、何処からともなくやってきて、道路や側溝を掃除していかれるのだ。きょうもまた、スニーカーを履き、手には軍手をはめ、ゴミ袋と挟み具を持ってタバコの吸殻やゴミを拾いながら道路を下っていった。こちらが気付いた時は「お早うございます」とか「ご苦労様」とか声をかけるが・・・近所の人に聞くと、ここから200mくらい離れた小学校の校門周辺まで掃除しているのだそうだ。良く見かける人だとも言っていた。(善行を)知っている人は知っているのだ。それにしても立派な行為ではないだろうか。

若かりし頃はだれしもそうであった様に思うが、私もまた「無神論者」だったように思う。「神様」がいるなら一度会わせて!?そしたら信用するから!!とうそぶいていた時があった。
今は、もちろん違う。ただし、〜教とか〜会の信者でもない。
あえて言うなら、そして目指しているのは「道徳心者どうとくしんじゃ
と、自己満足で言っておこうか。

先日、NHKテレビ番組「プロフェッショナル」で、ホスピスという人生の終末医療しゅうまついりょうに携わつているある女性が出演されていたが、まさに神様の化身かみさまのけしんだと思ったものだ。くだんの“掃除”の女性もまた神様の化身・・・・・だろう。それまでにも私の人生において「神様にお会い出来ている・・・・・・・・・・・」と有難く感じる事柄は幾度いくたびかあった。「神様」は人や物、また自然や宇宙などと、時には形を変えて「久しく続く人間社会の生き方について」時において、私たちを導いてくださっているのだ。

写真は:わが店の「ネコの額」より小さい庭いっぱいに咲くアンデスの乙女。可鱗に咲く姿が、いとうれし。

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季節外れの入学式

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季節外れの入学式

昨日9月28日は入学式だった。えっ、今頃に?誰の?・・・
28日は下の孫の、小学生最後の運動会の日だった。例年なら応援に行っていただろう。ところが、入学式とかち合ったのだ。孫には夕飯で一緒しようと約束した。


入学式・・・
そうそれは、ひょんなことから一大?決意し、大学にチャレンジした私の入学式だったのだ。とは言っても、仕事を持つ身、もちろん昼間の大学ではない。夜間の大学でもない。
通信制の「放送大学」と言う所で、大卒の資格が取れるれっきとした大学なのだ。
ただし、卒業出来れば・・・・の話だが・・・
私は生まれてこのかたウン十年、いつの間にか、そしてあっと言う間に(ある意味で)人生の区切りを迎える年齢がそこに来ていた。そこで何かにチャレンジしたい衝動に駆られて選んだのがこの放送大学である。

神戸大学構内の一角にある「兵庫学習センター」が私の学ぶホームグラウンドになる。昨日はそこで卒業式と入学式を合同で開催したのだ。新規入学者は50〜60人位か、式に参加していない(事情で参加出来ない)人たちもいただろう。年齢層も幅広く、20代から上は恐らく70代の老若男女の「同級生」が出来た事は確かだ。
働きながら学ぶのは大変だ。それは若き頃の夜間高校で体験済みだが、さて、どうなることやら・・・!

式の後、同窓会が開かれた。いきなり同窓会とはおかしな話だが、参加は自由との事で、私はこれも経験と、まったく初対面の“生徒”達と交流を深めた。こんな時は不思議とすぐに“学友”と打ち解けられるものだ。お互い「自分探しの旅」の旅人同士だからなのだろう。会場は大変盛り上がり、うたごえサークル主導で歌の合唱まで出来た事は、学生生活の明るい将来が約束できたように思った。


平素から生涯現役、生涯学習、生涯探究を標榜している関係上、今回のチャレンジも私の人生では「避けて通れない壁」なのかも知れない。
いみじくも卒業生の一人が私たちに言った「ガンバリ過ぎずに続けて下さい」と。

写真上は:私達の学び舎
写真中上は:入学式式場
写真中下は:同窓会立食パーティー
写真下は:うたごえサークル主導で歌の合唱。5曲も歌った。

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花ごころ

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向上心のある人は称賛よりも批判されることを喜ぶ

自分に対する批判を素直に受け入れることはなかなか難しいものです。
それがどんなに適切でまとを得たものであっても、私達は何かと言い訳や弁解べんかいこころみ、簡単には認めようとはしません。しかしそれは、せっかくの自分の欠点や未熟な点を改める機会を、少しばかりの自尊心を守るために、みすみす無駄にしてしまうことになるのです。また、反対に、人からめられることは大抵の人が喜び、それがお世辞に過ぎないことであっても、単純に受け入れてしまいがちです。しかし、大した努力もせず、成果の蓄積もない状態で、人からの称賛しょうさんをいたずらに望むことは、向上心にとっては最大の障害です。そんな姿勢では、自分の現状を錯覚さっかくし、油断とおごりの心が生じ、向上どころか後退していくことにさえなりかねません。常に努力すべき要点や方向を探り、真剣に向上を目指すものにとって最も有り難いものは、適切で率直な批判であることに改めて気付きたいものです。

たしかに他人からの批判ひはんや忠告は耳に不愉快なことが多い。それを喜べるようになるには、よほど人間的に成長しなければなるまい。
しかし、批判や忠告に素直になる心、自分自身を振り返る「勇気」がもてるようになったときには、自身の「人間力」が大きく上がっている時だろう。
私も妻に何か耳障みみざわりなことを言われたら、ムッとする心が先に来る。これを喜べるようになるには、あと100年くらいかかるかも知れない。
でも、しかし、やっぱし、それでも、心を向上したい、させたい!
「人間力」を高めるために今から努力しよう。何ごとも気付いた時がスタートに着いた時なのだ。ヨーイ ドン!

写真は:1昨日近所の人からいただいた「こでまり」花は無心に咲くから美しい。
花のような心になりたいものだ。

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