



この正月は静かな幕明けだった。 2009/01/09
2009年の幕明けは年中行事のご来光の礼拝からスタートした。
今年は水平線に雲海が厚く漂っていたが、それでも7時23分には雲の切れ目から、同46分には見事なご来光が拝めた。風も穏やかで気温もそんなに低くない静かな幕明けであった。
ただし、当家では起き掛けに少しのハプニングがあった。それは近くのお寺の鐘が鳴ったと妻が勘違いして(9日過ぎた今でも確かに聞こえたと言っているので、本当に鳴ったのかも知れない)4時過ぎに起こされたことだ。そして準備万端、手袋をはめて、さあ出発!と、今一度時計を確認するとなんと、なんと、まだ4時過ぎではないか。二度寝するにはなんとも中途半端な時間帯。だが、もちろん怒る事はしなかった。何しろめでたい年の初めだから・・・・!
結局、スポーツウエアを着たままカーペットの上に丸まって仮眠、貴重なひと時を過した。
礼拝後は7Kmのジョギングをこなし、途中、知人からいただいたワンカップを手に、夫婦揃って元旦の“書初め”ならぬ、“走り初め”がめでたく終了したのだった。
いま振り返ってみると、この正月は事の他平凡に過ぎたと思うが、この“平凡“に過ぎたことが実は奇跡のように有難く、感謝いっぱいの出来事なのだ。
巷では、マスメディアが相も変わらず、不況の、不景気の、多発する事件の、常軌を逸する犯罪の、政治不信の、環境問題のと、煽りに煽って、事実、問題も山積しているが、それもこれもみんな人間がつくったもの、人間が心を入れ替えない限り解決しない問題だ。
経営の神様といわれた松下幸之助翁の言葉に:この世の中というものは、お互い人間がつくりあげているもので、従って景気不景気というものは全くの人為現象で、自然現象ではありません。ですから好不況というものは、本来あり得ないものだということになるのですが、それでも現実に不景気ということが起こります。
商売をしている身にとっては、これはなかなか大変な事で、大いに心配されるところです。しかし、不景気にはまた不景気に対処する道がおのずからあると思うのです。
たとえば、“不景気もまたよし、不景気だからこそオモシロイんだ”という考え方が、一面できないものでしょうか。
“世間が不景気だから、自分の店が不景気になるのも仕方がない”とあきらめたり、あるいは“困ったことだ”と右往左往すればお店はその予想通りになりましょう。しかし、不景気だからこそオモシロイんだ、こんな時こそ自分の実力がものを言うのだと考えて、さらに商売に励むならば、そこには発展、繁栄する道がいくらでもあると思うのです。
たとえば、昨年は忙しくて放っておいたアフターサービスを、この際徹底的にやろうとか、お店の整備を積極的に図ろうかとか、いわゆる甘い経営を排していろいろの方策を考える。それも、他力に依存することなく、自分がこれまでに貯えた力によって一つ一つ着実に実施していく。そうすれば、その歩みはたとえ一歩一歩のゆっくりしたものでも、他のお店が不景気で停滞しているのですから、まあ、相当のスピードということになりましょう。そういうことを考えてみますと、不景気こそ発展の千歳一遇の好機であるといういことにもなりましょう。私は、商売というものは、このように考え方一つ、やり方一つでどうにでもなるものだと思うのです。言うなればお互い何をなすべきかということを、寝てもさめても考えねばならない時ではないでしょうか。
私は自営業者だから、特にその骨子は比較的理解しやすいが、この上記の言葉は巷の「問題提供者」達にもそっくり当てはまるのではないだろうか?
さるお人からの今年の年賀状に、こんな文言が書かれてあった。
外国の格言で「An old ox makes a straight furrow」丑年にちなんでのproverbであり、尚且つ私が放送大学で外国語を選科にしている事を知っている女性からだが、訳としては「老いた牛は、真っ直ぐに鋤く」=年齢を重ね、経験を積むことで良い仕事をするようになる。――――誠にありがたい箴言である。と同時にこんな人格を目指して今後生きてゆきたいと誓った。
写真上は:7時23分、雲の切れ目から顔を出した“初日の出”
写真中上は:7時46分、ジョギング中にすっかり上がった初日の出。
写真中下は:1月4日のハーバーランドの借景。
写真下は:丑年にちなんで、プロムナードに並んだカラフルな牛のフイギュア。
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