日記
もうひとつの故郷、カンボジア(14)私の授業ではないのですが、ビジネス日本語専攻では「観光学」という 科目があり、その研修旅行に付き添いました。 カンボジアの観光ガイドの社会的地位は高く、旅行代理店に 観光ガイドとしての就職を希望する学生がいます。 大卒初任給(事務職)が200〜300ドルの中、英語と日本語が堪能の ガイドであれば仕事も多く、600〜800ドル以上稼ぐ人がいます。 ポルポト時代の「負の遺産」と表現されますが、 思えば、わずか30〜37年前のことです。 当時の人口の30%、200万人以上の人々が犠牲になりました。 ここ、チュンエクのキリング・フィールドは1975〜78年の間に 約2万人が虐殺された刑場跡です。刑場は全土にありましたが、プノンペン郊外 15㎞にあるチュンエクは、市内のS21(トゥール・スレン)拘置所(現虐殺博物館)に付属した刑場として残され、現在も公開されている場所です。 キリング・フィールドの入り口にある犠牲者の慰霊塔です。 1980年から遺体が埋められた穴を掘り、86の穴と8,958の遺体が 見つかっています。しかし、他に43の穴があり、1万人以上の犠牲者が 眠っていることが確認されています。 写真には写っていませんが慰霊塔のガラス窓の中は9,000の頭蓋骨が 積み上げられ、犠牲者の衣服、履物などが置かれています。 焼香の煙が絶えることはありません。 ”何故”という問いに歴史的事実に基づいて的確に答えられる人はいません。 中国の文化大革命を徹底的にやってしまったのがポルポトだと言う人もいます。 また、虐殺の事実をも否定する人がいます。 アメリカとベトナムによる捏造だと言うのです。私には、分かりません。 今では、野球場ほどあるキリング・フィールドも歩道が付けれられ 見学しやすくなっていますが、その歩道も少し掘り返せば、 犠牲者の遺骨や衣服が出てきます。 頭を棍棒で叩いたり、刃物で刺したり、固いとげのあるヤシの枝で 喉を掻き切ったり・・・・銃を使わない、音の出ない方法で処刑されたのは、 当時、ここが秘密の場所であったためだと言われています。 生きた子どもを打ちつけて殺した”キリング・ツリ―”や 首つりを行った大木も残されています。 子どもと親は離され別々に共同生活するよう強いられ、集団見合いによって 家族もクメール・ルージュの管理下に置かれるよう画策されました。 しかし、わずかな不平や批判でも処刑の対象とされますから、 組織的に抵抗できなかったのです。前政権下で働いていた 医師、教師など知識人、伝統文化継承者、宗教関係者は反革命として 虐殺されましたが、犠牲者のほとんどは無実で善良な農民たちでした。 プノンペン市内には想像を絶する拷問が行われた S21(トゥール・スレン)拘置所をそのまま虐殺博物館にした施設があります。 日本から友だちが来る度に案内するので、4回も行きましたが、 建物の中に入るといつも、しぃーんと冷たい空気を感じる場所です。 |

