映画「J・エドガー」を見て
|
今年2作品目の映画「エドガー」を観ました。
ディカプリオが初代FBI長官エドガー・フーバーに扮して、熱演していました。
ちょうどベン・シャーンの展覧会に行った直後だったので、
フーバーが憎み、抹殺したかった社会主義や異人種であるベン・シャーンのことを
思い出しながら観ました。
フーバーにはもちろん感情移入はできなかったけれど、
彼も時代の子。大恐慌、大戦、社会主義の勃興、労働運動のまきおこる中で
「アメリカの正義」のために生きた一人の人間であったということはよく分かりました。
その正義が正しく彼が弾圧した側が悪だ、という単純な描き方でもなく、
またその逆(つまりフーバーが悪)でもない映画で、観る側の受け止め方に
ゆだねているような感じでした。
おけらは、単細胞だから、そういう作りの映画はあまり好きではないけれど、
1930年代〜70年代まで8代の大統領の弱点を握りながら、陰の実力者として
君臨したフーバーの人間そのものは、よく描けた作品だと思います。
いわゆるマザーコンプレックスの典型のようなフーバーの、その母親をジュディ・デインチが演じていて、圧倒的な存在感。
母親のあり方が男の子に与える影響の強さを再確認しました。
それにしても、フーバーとは不思議な人物です。
映画の中でドロシー・ラムーアとフーバーが結婚直前まで行ったことが語られていました。あの可愛い女優さんとフーバーはミスマッチに思いますが、
権力者に憧れる女性が多いのは昔も今もなのでしょうか。
クリント・イーストウッドは、今に続くアメリカ社会そのものを、描いたのだ、とパンフレットに書いてありました。
自分の「正義」を達成するために、権力者のスキャンダルを握ってほしいままに生きた男の、しかし孤独な生を描いた人間ドラマといったほうがあたっているのではないか、と思います。
ディカプリオもおとなになったなあ、です。フーバーという汚れ役を
よくぞ演じました。
日本でキムタクがこういう映画に出ますか?
第一こういう映画は日本では作られないですね。
|



