吉田秀和さんを悼む
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朝日新聞に、この1週間ほどで掲載された追悼の文章のうち、吉田秀和のことを的確に述べたものをピックアップする。いずれも部分のみ抜粋。
5月29日・夕刊 丸谷才一「われわれは吉田秀和に創られた」から(その評論に対して)
とにかく文章がうまかつた。内容があつて新味のある意見、知的で清新で論理的な文章を、情理兼ね備わつた形で書くことにかけては、近代日本の評論家中、随一だつたのではないか。わたしはもちろん、いはゆる文藝評論家たちを含めた上で言つてゐる。美術や文学を論じても、文明論や都市論を主題にしてもすばらしかつた。まして音楽を扱ふときの視野の広さ、切れ味のよさは言ふまでもない。たとへばモーツァルトを取りあげても、同じ主題をめぐる文藝評論家の高名な著作が、いくら時代の差があるとは言へ、感傷的で断片的で論旨が濛々としてゐるのにくらべて、圧倒的に質が高かつた。/戦後日本の音楽は吉田秀和の作品である。もし彼がゐなかつたら、われわれの音楽文化はずつと貧しく低いものになつてゐたろう。とりわけ大事なのは、彼がその文章と談話(NHK「私の視聴室」)でわれわれを教育し育てたことである。膨大な数の人々が、彼の文体と声に魅惑されて、ベートーヴェンやリヒアルト・シュトラウスの世界に参入した。われわれクラシック音楽の愛好者は彼によって創られた。
5月28日・朝刊 堀江敏幸「ユーモアと冷えた理性と」
音楽家であれ画家であれ作家であれ、吉田さんが発する固有名詞は空っぽの張り子にならず、息を吹き込まれ、血の通った像を結ぶ。どれほど精緻な分析がほどこされていても、その文章から香気が消えることはない。とくに1980年代の一連の絵画論は、理知が身体感覚と結びついた小説的な散文の、稀有な達成だった。(中略)海の見えるレストランでの最初の会食は、いまも忘れられない。予約席は二階だった。吉田さんは足元を案ずる女性陣を先に行かせてから、しっかりした足取りで息も乱さず階段をあがり、席に着くやいなや給仕に向って、こう言ったのである。「《音》をもう少し小さくしてくれませんか。ぼくは音楽が嫌いなんです」/私は思わず笑った。そして、しかるのちに厳粛な気持ちになった。自分にとって、音楽とはなにか。場を和ませつつ、ゆるんだ空気をほんのひと言で締め直してみせた間合いは、まさしく吉田さんの批評そのものだったのである。/飾らず、おごらず、包み込むようなやさしさやユーモアをもって相手の問いに応じながら、ここぞという時には、冷えた理性の匕首をすっと差し出す。言葉はつねに明晰で曇りのないのに、全体としてはとてもあたたかくなる独特の声のふるまいがあって、それは文章に感じられる息づかいと同質のものだった。/驚くべきは、90歳を超えてから、吉田さんの文章がさらに進化していったことである。たとえば『永遠の故郷』四部作の世界を、どう定義したらいいのだろう。すべての言葉が粒立って若々しく官能的な光を放っている作品群は、詩文どころかもう、年齢も性別も超えたアリアにしか聞こえない。/あの最晩年の声を、もっともっと聞いていたかった。瑞々しい言葉を、いつまでも読んでいたかった。
作品は、「スペイン(水彩)」
「洋画家 仲村一男」のホームページ http://www.nakamura-kazuo.jp |