瓜割(うりわり)の滝
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天徳寺(福井県若狭町)境内奥の森から湧き出している滝。 天徳寺の開基「泰澄(たいちょう)大師」が、地の神の霊験により見出したとされる神泉で、五穀成熟諸病退散の効力があると伝えられ、環境省選定「名水百選」にも数えられている。 境内には、馬頭観世音菩薩(馬頭観音)を祀る御堂や、弘法大師空海が佐渡の石工に彫らせたと伝えられる「四国八十八ヶ所石仏」などがある。 |
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天徳寺(福井県若狭町)境内奥の森から湧き出している滝。 天徳寺の開基「泰澄(たいちょう)大師」が、地の神の霊験により見出したとされる神泉で、五穀成熟諸病退散の効力があると伝えられ、環境省選定「名水百選」にも数えられている。 境内には、馬頭観世音菩薩(馬頭観音)を祀る御堂や、弘法大師空海が佐渡の石工に彫らせたと伝えられる「四国八十八ヶ所石仏」などがある。 |
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「姫路城大天守 三の丸広場より」
Canon IXY-DIGITAL500使用 2010年4月6日 Tamlin撮影 「大天守と小天守」
Canon IXY-DIGITAL500使用 2010年4月6日 Tamlin撮影 5重6層の「大天守」と、3つの小天守(西小天守・乾小天守・東小天守)からなる、「連立式天守閣」。
写真手前から、「大天守」、「西小天守」、「乾小天守」の順に並んでいる。
「大天守と桜」
Canon IXY-DIGITAL500使用 2010年4月6日 Tamlin撮影 「石垣」
Canon IXY-DIGITAL500使用 2010年4月6日 Tamlin撮影 美しい曲線を持つ輪郭をなぞりながら、大小様々な形の石が、精巧かつ堅固に組まれている。
石垣の上には櫓があり、この石垣をよじ登って内部に攻め入ることは、鉄砲の集中砲火の的となることを意味し、ここから攻め込むことは、ほぼ不可能だっただろう。
人は死んでも、人が積み上げた石垣は、数百年経った現代にも生きている。
「東側から見た大天守」
Canon IXY-DIGITAL500使用 2010年4月6日 Tamlin撮影 城の外装は、「白漆喰総塗籠造(しろしっくいそうぬりごめつくり)」によるもので、「白鷺城(はくろじょう、または、しらさぎじょう)」の別名を持つ所以となっている。
「改装工事用のクレーンと足場」
Canon IXY-DIGITAL500使用 2010年4月6日 Tamlin撮影 平成22年から26年ごろまで、約5年の歳月をかけて、「姫路城大天守保存修理工事」が行われるため、大天守を含めた一部の区域への立ち入りができなくなる。(大天守の登閣は、平成23年ごろから可能予定)
平成22年現在は、写真のように、工事のための巨大なクレーンと足場が据え付けられている。
「中庭にて」
Canon IXY-DIGITAL500使用 2010年4月6日 Tamlin撮影 奥のベンチの近くに、一羽の「キジバト」がいた。
「シロトピア記念公園から大天守を臨む」
Canon IXY-DIGITAL500使用 2010年4月6日 Tamlin撮影 「内堀」
Canon IXY-DIGITAL500使用 2010年4月6日 Tamlin撮影 「姫路城内堀 南勢隠門付近」
Canon IXY-DIGITAL500使用 2010年4月6日 Tamlin撮影 姫路城の堀は、城の北を基点にした左巻きの「螺旋状」の三重構造になっており、このような縄張(なわばり)を持つ城は、将軍のいた「江戸城」と、この「姫路城」のみである。
内堀・中堀・外堀に分かれ、外堀の南端は、城から南へ2kmほど離れた「JR姫路駅」付近にまで達していた。
「土鳩」
Canon IXY-DIGITAL500使用 2010年4月6日 Tamlin撮影 内堀にいた、ペアと思しき「土鳩(ドバト)」。
街中や公園などで、ごく一般的に見られるのが、この「ハト」である。
「キジバト」との違いは、体色と鳴き声で容易に区別できる。
これだけ近寄っても逃げないところをみると、ご多分に漏れず、人には馴れているらしい。
「姫路城中堀(船場川)」 Canon IXY-DIGITAL500使用 2010年4月6日 Tamlin撮影 姫路城の北西を流れる「船場川」を、そのまま城の「中堀」として利用していた。
「鯉」
Canon IXY-DIGITAL500使用 2010年4月6日 Tamlin撮影 城近辺の船場川の水深は、ご覧のごとく、大人の足首ほどの浅さで、背びれを出した二匹の「マゴイ」が、円形に連なった涼しげな水紋を水面に描きながら、川の流れに逆らうように、こちらに向かって悠然と泳いできた。
おそらく、観光客たちから餌でも貰っているのだろう。
「小利木町」
Canon IXY-DIGITAL500使用 2010年4月6日 Tamlin撮影 かつての城下町の古い面影が、建物のつくりなどに見られる。
「姫路城西御屋敷跡(好古園)」
Canon IXY-DIGITAL500使用 2010年4月6日 Tamlin撮影 姫路藩初代藩主「本多忠政」」の西御屋敷、家臣たちの武家屋敷などがあった場所。
現在は、江戸幕府最後の姫路藩主「酒井家」が設立した藩校の名に因んだ日本庭園、「好古園」となっている。
「姫路城内掘 西の丸〜大手門付近」
Canon IXY-DIGITAL500使用 2010年4月6日 Tamlin撮影 城の西側から「桜門(大手門)」方面を臨む。
遠くに見えるのが桜門。
このあたりは、内堀の中でも最大規模で、堀の幅が40m〜50mほどもある。
<あとがき>
平成22年から26年にかけて、姫路城の大天守をはじめとする天守閣の大改修工事が行われることになり、「姫路城と桜」という絶好の光景が見られるのも、工事が完了するまでのしばらくの間、「おあずけ」になってしまうことを、ニュースで知った。
桜の季節は、毎年、多数の観光客や花見客で賑わっている。
「見納め」となる今年は、それ以上の人手が見込まれることくらい、頭の回らない私でも容易に想像できた。
休日を回避し、平日の朝一番に城へ着くことができれば、城内へも容易く入ることができるだろうという、私の甘い目論みは、4月4日当日、脆くも崩れ去った。
平日の早朝にも関わらず、城近辺の駐車場は、普段、見かけることのない他県ナンバーの観光バスで埋め尽くされ、それらから吐き出される大量の団体客が、大挙して大手門前の道をやってくるのが見えた。
普段、人気もまばらな交差点は、渋谷のスクランブル交差点かと見紛うほどの「人」で溢れかえっていた。
私は、車から降りる気力も失せ、そのまま大手門前を通り過ぎて、家に帰った。
二日目も同じ光景だった。
三日目。
『今日だめだったら、もうあきらめよう』
午前7時30分。
私は、「あきらめた」。
まだ開門30分前だというのに、城内への入場口である「菱の門」前には、すでに長蛇の列ができていた。
車からは降りてはみたものの、「人ごみ」と「並ぶこと」と「団体行動」が大嫌いな私は、よっぽど引き返そうかと思ったが、三日も連続で姫路までやってきて、このまま帰るのも、やっぱり腹が立つ。
お金を払って内部に入場することは断念し、私は、大手門から反時計回りに内堀沿いを歩いて撮影を行うことにした。
余談だが、毎年の桜の季節をはじめ、特別な催しごとが行われる時期に合わせて、普段は一般公開されていない「小天守」や、天守閣内の「雪隠(せっちん)」、妖怪退治の伝説で知られる「宮本武蔵」が隠匿していたという「開かずの間」などが、特別公開されることがある。
その昔。
剣豪「宮本武蔵」が、素性を隠して、播磨国の姫路で足軽奉公を行っていたときのこと。
姫路城の天守閣に、夜な夜な「妖怪」が出ると噂され、妖怪を恐れて、夜の天守閣に近づく者はだれもいなかった。
ただひとり、妖怪に挑もうという剛の者がいた。
後の世に、「剣聖」として謳われ、その名を残すことになる、若き日の「宮本武蔵」である。
豪胆な武蔵は、たった一つの提灯と刀を携えて、ただ独り、真夜中の天守閣に登った。
聞きしに及んだ噂どおり、もののけの類と思われる奇怪な現象に何度か遭遇した武蔵は、少しも動じず、一歩も退かず、愛刀に手をかけると、瞬く間に妖怪は消え去った。
天守閣の最上階に登って一晩を過ごした武蔵の元に、明け方、冷たい朝の澄んだ空気を匂わせるような、透き通るほどに白い肌をした女性が現れた。
姫路城の守護神「刑部(おさかべ)明神」だった。
刑部姫は、天守閣に巣食っていた妖怪を退治した武蔵に感謝の言葉を告げ、名工「郷義弘(ごうのよしひろ)」が打った名刀を授けたという。
現在でも、大天守の最上階には、刑部姫を祀った「刑部神社」が鎮座されている。
その他にも、「播州皿屋敷」で有名な「お菊井戸」などもあり、西の丸や天守閣の内部を撮影することができなかったのは非常に残念だったが、「姫路城と桜」の写真を撮るという、当初の目的は達成できたので、それでもう、十分だった。
5年後。
また、撮影すればいい。
ここには、いつでも来れるのだから。
人、
人、
人…。 |
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