「ホロシリ乗馬クラブ」での乗馬
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5月といえども、北海道の春は、兵庫県の晩冬並みに寒い。
日中の気温も暖かい日で15度ほどしか上がらず、朝晩は小さなストーブを焚き、夜は分厚い毛布に包まって寒さに耐えながら眠った。
北海道の育成牧場に就職して半年。
2年前の春。
いっこうに上達しない「乗り役」としての自分の技量と職場での人間関係に夜も眠れないほど悩んでいた私は、「うつ状態」と診断されて、大量の精神安定剤と睡眠薬を服用するほどに落ち込んでいた。
友人もおらず、恋人とも別れ、父は死に、私はたった独り、故郷からはるか遠く離れた北の大地で苦しんでいた。
だがそれも、「夢」を追いかけてやってきた結果だった。
5月下旬に開催される「トレーニングセール」では、本番前の調教で「札幌競馬場」のダートコースを走ることになっていた。
私の騎乗する馬は、「コスモプルミエ2006」(父=イーグルカフェ)。
牧場で生まれた牝馬である。
乗馬で300鞍の経験があるといっても、駈歩もままならない程度のレベルで、ましてや、人も乗せたこともない若馬や、現役の競走馬に跨ったことなど一度もなかった。
それでも、お金をもらって働いているかぎりは乗らなければならない。
「育成牧場」は「乗馬クラブ」ではないので、従業員のたくさんいる大きな牧場でもないかぎり、経験がない人間でもいちいち教育している余裕などない。
ベテランの騎乗員と併せ馬や追い切りなどを行い、見よう見まねで、自分で「乗り方」を覚えてゆくしかないのだ。
「もう一度、乗馬の基本を習いたいんです」
ビデオ撮影も無事に終了し、トレーニングセールを数週間後に控えた私は、新冠町の「ホロシリ乗馬クラブ」を訪れた。
新冠町は、日本を代表する「馬産地」だが、地元で「馬」に乗っている人は意外に少ない。
生産牧場を経営していても、馬には乗ったことがないという例も数多くみられる。
平日だったせいもあるかもしれないが、メリーゴーランドのように混雑していた私の地元の乗馬クラブに比べると人気もまばらで、屋外の広い馬場にも、馬の姿はなかった。
「たぶん、『基本』はできていると思いますよ。育成も乗馬も基本は同じです。育成の乗り方、乗馬の乗り方と区別せずに、ここでは乗馬の乗り方で指導します」
私が「育成の乗り方」を上達できないで悩んでいるのを知ったクラブの所長が言った。
所長は、まだ30代後半ほどの若い男性だったが、「名人」と言われるほどの高度な技術と知識を持ったライダーだった。
50分ほどのレッスンは、屋内馬場でマンツーマンで行われ、駈歩はやらずに速歩だけで終わった。
それでも、未熟な私には十分すぎるほどレベルが高く内容の濃いレッスンだった。
後日、トレーニングセールで私が調教騎乗とせり場での綱持ちを行った「コスモプルミエ2006」は、韓国の競馬協会に落札された。
現在は競馬を引退し、繁殖牝馬として、韓国の島で余生を過ごしているという。
その時使用した「コスモプルミエ2006」の調教ゼッケンは、今でも「宝物」として私の部屋に飾っている。
牧場で、うまくやれなかったこと。
挫折して、故郷に帰ってきたこと。
馬の仕事を、あきらめたこと。
それらを思い出すと辛くなるが、なにもしないで後悔するよりも、やって後悔するほうが、何十倍もましだ。
北海道で暮らした2年間の経験も、けっして無駄にはならない。
今、私は、そのような仕事に携われたことを「感謝」している。
ホロシリ乗馬クラブ
ゲストハウスと角馬場。
クラブの馬たちは、レッスンのないときは馬場の周りの放牧地で自由に放されています。
屋内馬場とロンギ場
「トラックブレーヴ」
凱旋門賞で優勝した「ダンシングブレーヴ」産駒のサラブレッド。
愛称は「ぶ〜ちゃん」。
非常におとなしく、新冠乗馬スポーツ少年団所有の預託馬としてホロシリ乗馬クラブに所属している。
情報提供:ZEROさん&ポーロさん
「日高軽種馬共同育成公社」屋内馬場
乗馬クラブのすぐ近くにあります。
屋外の馬場が凍結して使用できなくなる冬季は、
写真の奥に見えている800メートルほどの屋内馬場で調教を行っていました。
育成公社での私の落馬回数は「3回」ほど…(笑)
放牧場
乗馬クラブのすぐ脇にある放牧地です。 |









