ヨガ三昧♪幸せ日記。

いらっしゃいませ♪チーズ饅頭と申します。リラックスしていかれませんか?

ムドラー色々

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ギャーナ・ムドラーとチン・ムドラーに隠された意味

皆様、こんにちは。

今日は前回に引き続き、「ギャーナ・ムドラー」と「チン・ムドラー」について書いていきます。今日の
内容は、読まれる方によっては(以前より一層)ドライか、はたまた少々オカルトチック(笑)だと思われる
可能性があります。私は、以下の内容を全面的に信じている訳ではありませんが、ムドラーはこのように
解釈されることもある、くらいに考えて頂き、そして軽く受け止めて頂ければ、有難いです。

さて、ギャーナという名前とチンという名前には、似ているようで違った意味があります。ギャーナは
「知識」もしくは「叡智」という意味(英訳では時々 knowledge ですとか、wisdom と訳されます)、そして
チンは「意識」(consciousness)という意味なのだとか。

色々な説がありますが、ギャーナの「知識」とは、「自我は宇宙の真理と繋がっており、これらは実の
ところ同じものである」と実感して理解することを意味しているそうで、その為単なる「知識」ではない
「叡智」という類の言葉が使われるのかもしれません。それに対しましてチンの「意識」とは、「人類は
皆意識レベルで繋がっている」ということを指しているのだそうです。

ギャーナもチンも、手の形は同じで、それぞれの指には違った意味があります。親指は「宇宙の真理」
(これを「神」と見なす人もいます)、そして人差し指は「個人の意識」(これを「魂」と見なす人もいます)
の象徴ですので、作られた円は、宇宙の真理と個人の意識の合体と解釈されます。

他の三本の指は、以前ヨガと食べ物(3)の後半でご紹介しました、3つのグナ(Guna)の象徴です。ヨガや
アユルヴェーダでは、食べ物だけでなく、世の中全ての物はプラクリティ(Prakriti)というエネルギーで
作られているという考え方があり、そのエネルギーには3つ違ったタイプの「グナ」と呼ばれる性質がある
とされています。その3種類は、サットヴァ(Sattva: 純粋)、ラジャス(Rajas: 躍動、情熱、刺激)、そして
タマス(Tamas: 暗黒、怠惰、無気力)です。食べ物に例えて考える方が解りやすいので、もしお時間が
ありましたら、ヨガと食べ物(3)の記事の後半を読んで頂きたいと思います。

ギャーナとチンムドラーを手で作る際、中指はサットヴァ、薬指はラジャス、そして小指はタマスを象徴
します。つまり、タマス(小指・無気力)とラジャス(薬指・躍動)をサットヴァ(中指・純粋さ)でバランス
良くし、個人の意識(人差し指)と全宇宙(親指)の繋がりを、円を作ることによって保つことで、プラクリティ
をも超越した存在(もはや存在と呼べないものなのでしょうが)になる、といった意味がこのムドラーには
あるのです。この「存在」は、サンスクリット語でアートマン(Ātman)と呼ばれます。

余談ですが、このアートマンは、ガンジーの称号である「マハートマ(Mahatma)」にも表れています。彼は
つまり、「偉大な(マハー Maha)」アートマンという訳です。マハートマは、時々「大いなる魂」や「偉大なる
精神」とも訳されますね。

ムドラー1つをとっても、深い意味があるのですね。日常生活の中でここまで実感することは、かなり
難しい気がしますし、理論だけ知っていてもあまり役に立つことはないでしょうが、なかなか興味深いと
思い、記事にしてみました。さあ、後はこのムドラーを使いこなしてアートマンになるのみ(笑)!

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ギャーナ・ムドラーとチン・ムドラー

もう少し頻繁にブログの更新をしようと思っていましたのに、色々用事が重なってしまい、もうそろそろ一週間
経とうとしております。皆様お変わりございませんか?

さて今日は、以前ご紹介しましたギャーナ・ムドラーとチン・ムドラーに焦点を当てて参ります。私は、スイスの
ヨガの先生でもいらっしゃる Gertrud Hirschi(ヒルシー)さん著の、Mudras: Yoga In Your Hands という本を
持っておりますが、それを読み返してみますと、とても興味深いことが書いてありました。

先ず、どちらのムドラーにも言えることですが、親指と人差し指の先端をぴたりとつけるバージョン↓と、
http://www.satyananda.net/Etcetera/Photo%20Gallery/thumbs/yoga_04.jpg
親指の第一関節(か、それより下)に人差し指の爪を添えるバージョン↓があります。
http://www.centrejaya.org/IMG/jpg/jnana_mudra.jpg

前者は受動的で、自分の周りにあるエネルギーを受け取るというジェスチャー、後者は活動的で、自分から
周りを刺激し、自分のエネルギーを周囲に与えるというジェスチャーなのだそうです。

これと似た解釈は、ギャーナとチンの違いにも見受けられます。手の平を天に向けるギャーナは、心の状態を
やや高ぶらせるように開放させ、清々しい気持ちにさせる効果があり、それと逆に手の平を地に向けるチンは、
心を穏やかに落ち着け、興奮を静める、という効果があるそうです。

沢山あるバリエーションの中で私が最も好きなのは、親指を人差し指の先端をつけたギャーナです。これは
確かに清々しく感じられますし、人差し指の爪を親指の関節につけるバージョンよりも素直で友好的な
気持ちになれます。擬態語を使った個人的な感覚としましては、次の通りです:

親指と人差し指の先端をつけたギャーナ: スッキリした気持ちで、しゃきっと背骨が伸びる感覚

人差し指の爪を親指の関節につけたギャーナ: 自尊心をビシッと前へ押し出すような、堂々とした感覚

親指と人差し指の先端をつけたチン: ストンと腰を地面に下ろしたような、ゆったりした感覚

人差し指の爪を親指の関節につけたチン: 寛いではいるけれども、キリリとした敏感さが残る感覚

これは、この4バージョンを半年程続けてみた上での、あくまでも個人的な感想ですので、「私の受ける感覚と
違う」と仰る方もいらっしゃるでしょう。ただ、指の位置を変えただけで微妙に違った感覚が味わえるのは、
面白いなと思いまして、参考までに書いてみました。

次回は、「ギャーナ」と「チン」という言葉の意味、そしてそれぞれの指が司っているといわれるコンセプトに
ついて、ご紹介したいと思います。またお付き合い下さいね♪

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禅とムドラー

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イメージ 2

一つ目はギャーナ・ムドラー、二つ目はチン・ムドラーです。
どちらも http://sacred-earth.typepad.com/yoga/2008/07/mudras-for-pranayama.html より拝借。

皆様いかがお過ごしでしょうか?

私の方はと申しますと、年末に日ごろ食べない量のご馳走を食べ過ぎた為でしょうか、新年早々風邪を
ひいてしまい、なんとも参りました・・・ もうそろそろ本調子です。

さて、私は半年程前から坐禅を組むように心がけています。私は「本来の坐禅」について詳しく語れる程の
知識も経験も持ち合わせておりませんし、私などよりずっと経験を積まれた方が、このブログの読者の
皆様の中にいらっしゃいますので、ここでは少し趣向を変えまして、私の好きなムドラー(仏教用語では
「結印」)について書きたいと思います。その前に、少しだけヨガの瞑想と坐禅の違いのアウトラインを
書かせて下さいね。

坐禅は、確かに蓮華座で行うヨガの瞑想と似たものがあると思います。この座り方は、坐禅では結跏趺坐
(けっかふざ)とも呼ばれますね。では大きく違う点は、と申しますと、ヨガの瞑想では通常目を閉じますが、
坐禅では通常目を開けるか、もしくは半眼にして視線を約45度程におろし、1m前方くらいを見るのが正式な
行い方である、ということが挙げられます。これから書きますムドラーについても少し違いが見られます。
まあ、仕方はどうであれ重要なのは、他の瞑想法と同じように、ただひたすら「思いを手放す」よう心がける
ことなのでしょう。もちろんこれがとても難しいのですが(笑)。

ヨガの瞑想では、その日や気分によって色々なムドラーを手で結ぶ人もいますが、沢山あるムドラーの中
でも、ヨギたちに最もよく好まれるのは、上の画像一枚目にあります、人差し指と親指で輪を作って他の指を
伸ばし、手を膝に乗せて平を上に向ける「ギャーナ・ムドラー」でしょう。(これは Jñana mudra と書かれ、時々
ジニャーナ・ムドラーとも呼ばれます。) この形で手の平を下に向けると、画像二枚目の様に「チン・ムドラー
(Chin mudra)」になるのですが、ヨガの流派によっては、ギャーナとチンの名前が逆になるところもあるよう
ですし、また他の流派では、手の平を胸の前に持ってくる、ということもあるようです。アシュタンガヨガの
シークエンスの終わり辺りでは、蓮華座で目を瞑り、画像一枚目のギャーナ・ムドラーを結んで、ウジャイの
呼吸を大体20-30回くらいして心を落ち着けるのが普通ですね。

これに対しまして、坐禅で最も頻繁に組まれるムドラー(結印)は、法界定印(ほっかいじょういん)です。
これはヨガでは(サンスクリット語では)「ディアーナ・ムドラー」(Dhyana mudra)と呼ばれ、ディアーナは、
ヨガの最終目的であるサマディ(Samadhi 三昧、悟り)の一歩手前である「瞑想」の状態を意味します。
その為、このムドラーは長時間の瞑想に最適なムドラーとされ、これを好んで結ぶヨギもいます。形は、
皆様ご存知の様に、右の手の平の上に左の手の平を置き、両親指が離れないように輪を作るものですね。
(画像は http://www.fwbosheffield.org/meditation.html より拝借。)
http://www.fwbosheffield.org/images/dhyana-mudra.jpg
このサンスクリットの「ディアーナ」という名前ですけれども、これは仏教語であるパーリー語では「ジャーナ」
となり、その単語は中国語では「チャン」、後に韓国語では「ソン」、日本語では「禅」になったそうです。「禅」
という名前がもともと「瞑想」を意味する言葉だったとは、面白いですね!

(最後の豆知識は、http://en.wikipedia.org/wiki/Dhy%C4%81na を参考にしています。もし詳しくご存知の
方がいらっしゃれば、コメントをいただけると有難いです♪)

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アンドリュー先生とシャンムキ・ムドラー

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画像はシャンムキ・ムドラー(shanmukhi mudra)です。http://meditation-and-mantra.com/photos.php
よりお借りしています。


皆様、こんにちは。


アンドリュー・エプラー先生の、5日間に渡る素晴らしいワークショップも終わり、「ヨガハイ」だった私
も、落ち着きつつあります。最終日には、先生はこれまで以上に超高度なアサナのシークエンスを会場で
見せて下さり、そのコツも教えてくださったので、その10%もできない私でも「いつか私もああできる
ようになる!」と勝手に目標にしてしまったほど、「勇気」と「やる気」を頂いたレッスンでした。


先生も仰いましたが、高度なアサナができるようになる為には、ただ単に練習に練習を重ねること。勿論
コツを教えてくださる先生に出会うのも役に立ちますが、アシュタンガヨガ最大のグルであるパタビ・
ジョイス氏が仰るように、「99%の練習と1%の才能」が最終的には物を言うのです。アンドリュー先生
がこの5日間を通して、実践も加えて教えてくださったことを私なりにまとめますと、こうなります:


「高度なアサナがどれだけできるから『すごい人』という訳ではない。アサナは練習さえすれば、誰に
でもある程度できるようになる。本当に重要なのは、そのアサナに取り組む過程で培われた忍耐力と、
謙虚で献身的な態度。これが身に付くと、いつかまたアサナができなくなっても、人はヨガの心を失う
ことがない。」


とても優れたヨギです。最後に「ありがとう」と個人的に感謝する機会が無かったのが、唯一の心残りです。
またいつかお会いできるのかどうかわかりませんが、先生のこれからのご活躍に期待していようと思います。


さて、話は変わりまして、ここからは、アンドリュー先生お薦めのムドラーをご紹介したいと思います。
ムドラーと申しますと、瞑想時に手の指を使って、特定の印を結ぶ時は勿論のこと、ある特定のポーズを
キープするときに、そのアサナ自体を指してムドラーという言葉が使われる場合もある、と私はこの記事
に書きましたね。アンドリュー先生は、後者の方に特に興味をお持ちで、インドで20数個の「○○ムドラー」
と呼ばれるアサナを勉強されたことがあるのだそうです。


その中でも特にお好きなのが、画像参照のシャンムキ・ムドラー(shanmukhi mudra)なのだとか。
蓮華座か、それに近い姿勢で座り、まず2回程鼻で深呼吸をし、3回目に息を吸った後、両親指で両耳を
塞ぎ、ほんの少し力を入れた両人差し指で両目を押さえ、両中指で鼻の穴を両脇から閉じ、両薬指と両小指
を使って口周りを押さえます。見ざる言わざる聞かざるの状態ですね(笑)。息を止め、頭の中で息を止め
ている秒数を数え、少し苦しくなったら両中指だけをゆるめて息を鼻から出し、また吸います。(この時に
ゆっくり余裕のある呼吸ができていないと、それは呼吸を止めすぎてしまっていた、ということですので、
最初に息を止める秒数は、ご自分で決して無理の無い範囲にしてください。)息を吸った後は、また同じ
秒数だけ息を止め、中指を緩めてまた呼吸をします。(もし苦しくなった場合は、秒数を少なくしても大丈夫
だそうです。)このプロセスを3−5回続け、最後に両手を緩めて膝の辺りに置き、数秒間或いは数分間
じっとしたまま、静寂を楽しみます。


試されてみるとお分かりになると思うのですが、これは自分自身の内側に目を向けるのに大変効果的です。
このムドラーが終わった直後の静寂と落ち着きは、とても新鮮で、すがすがしいものです。もし途中で
気分が悪くなったり、呼吸が苦しくてしょうがなくなった場合は、直ぐに止めて、横になられることを
お薦めしますが、あまりそういう危険はないようです。


アンドリュー先生は、このムドラーは、気分をすっきりさせるためにお使いになるそうなのですが、私は
個人的に、このムドラーの直後は心の中の静けさが増しますので、瞑想に適していると思い、今では、
瞑想へのプレリュードとして使っています。伝統的なヨガの聖典などには「ムドラーは、体を若々しくし、
死をも遠ざける」というようなことが約束されているらしいですが、それはどうか本当のところは分かり
ません。ですが、アンドリュー先生の「ムドラーは、何らかの形で私達の心に変化をもたらし、落ち着いた
平和な方向へと人間を導いてくれる」というご意見に、私は大賛成です。皆様も、もし試されてみましたら
ご感想をお聞かせ下さいね♪

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ルーブルで見たもの

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皆様、日曜を楽しく過ごされていらっしゃいますか?


今回は、昨日の予告どおり、ルーブル美術館でピンときたことについてお届けします。


ですが、その前に・・・


皆様は、「ムドラー (Mudra)」というものをご存知でしょうか?これは仏教用語では結印(けついん)と
訳されますが、要するに「印を結ぶ」ということですね。簡単で身近なところでは、胸の前で手を
合わせる「合掌」も、ムドラーの一つです。これはサンスクリット語では「アンジャーリー・ムドラー」
AnjaliMudra、または「アトマンジャーリー・ムドラー」Atmanjali Mudra と呼ばれます。


仏像に興味がおありの方々は、仏様によっては、手や指の位置がかなり違うことをご存知だと思います。
仏様も、印を結んでいらっしゃることが普通ですので、それを通して信者や通りすがりの者へメッセージ
を伝えようとされていますね。インド舞踊においても、ムドラーの役割は重要なようです。舞踊には
「話してストーリーを展開する」ということがありませんので、顔つきや体の素振りはもちろんのこと、
手と指を使って、自分の演じている役はどういう心境なのかを、観客に伝えます。勿論、踊りに歌が
ついてくる場合もありますが、インド舞踊をされる方たちは、ムドラーを使うことによって、的確に
ストーリーを展開することができるのだそうです。


ムドラーという言葉は、ヨガでも使われます。瞑想時に手の指を使って特定の印を結ぶ時はもちろんの
こと、ある特定のポーズをキープするときに、そのアサナ自体を指してムドラーという言葉が使われる
場合もあります。アシュタンガヨガをされる方にはお馴染みの、ヨーガ・ムドラー・アーサナも、その
一つですね。(画像一枚目参照。http://www.geocities.com/yogagradha/Pic.htmからお借りしています。)


Mudras: Yoga In Your Hands という本を書かれた、スイスのヨガの先生でもいらっしゃる Gertrud Hirschi
(ヒルシー)さんによると、世の中にはムドラーは数え切れないほどあり、その中には、手のツボを刺激
したりする、主に健康の目的で使われるもの(ヒルシーさんは41種類挙げていらっしゃいます)、そして、
礼拝や、瞑想の時など特に使われるものもあるそうです(彼女は11種類挙げていらっしゃいます)。ただ、
健康目的のムドラーにも、精神的な側面はあるようで、彼女は「このムドラーは、腎臓と肝臓の働きを活発
にしますが、それと同時に物覚えをよくするのにも効きますし、せっかちな心を休めるのにも効果的です」
というような書き方をされています。


さて、昔から幅広く使われていたムドラー。実はアジアだけでなく、世界中でもかなり似たようなことが
広まっていたようですね。その例は、西洋の占星術と関係した手相占いにも見られますし、中世の絵画
でも、登場人物の手や指を特定な形に描いて、絵の中で起こっているストーリーを見る人に伝えていた
こともあったようです。現代人にはあまりよく分からないジェスチャーでも、昔の人が見ると、その人物
がどういう心境にいるのか一目瞭然だったであろう、ということも聞いたことがあります。


そして、ルーブルで私はそれを目の当たりにしたのです!


私も主人も、古代メソポタミア、エジプト、ギリシャ、ローマの文化に興味があるので、美術館では
その展示の階やウィングを、熱心に見て回っていました。そして、Athena Mattei (マテイ・コレクション
の温和なアテナ、 日本語での詳しい説明は、ここをクリックしてください)の前に来たとき、私はハッ
としたのです:「このアテナは、ムドラーをしている!」二枚目の画像をご覧になるとお分かりだと思い
ますが、女神アテナは左の手の平を見せ、指先を下げて、薬指と小指を少し曲げていらっしゃいますね。
(画像はhttp://www.histoire-fr.com/mythologie_grecque_genese_2.htmからお借りしています。)これは、
仏教やヒンズー教の神様もよく使われるムドラーで、サンスクリット語では、ヴァラダ・ムドラー
(Varada Mudra)と呼ばれます。(画像三枚目参照。http://www.creerlecalme.com/mudras.htmlから
お借りしています。仏教用語では、与願印 よがんいんと呼ばれるようです。)このムドラーは、和訳
通り、他人の願いを叶える、または、信者を慈悲深く許す、という意味の手のジェスチャーで、よく
釈迦如来がされているものですね。(画像四枚目左参照。右は、似ていますが、親指と人差し指で輪を
作った「来迎印 らいごういん」の例です。http://minkara.carview.co.jp/userid/193085/blog/5341919/
からお借りしています。)


この女神アテナの英語訳は、Athena the Pacifierで、直訳すると、「(見る者を)落ち着かせる、穏やかに
するアテナ」なのです。通常アテナは戦いの女神にふさわしい、勇ましい格好で立っておられますが、
この与願印を示したアテナは、とても優しく見えます。こんなところでもムドラーが発見できるとは
思ってもいませんでしたので、これはとても嬉しい気付きでした♪


ムドラーについては私はとても興味がありますので、カテゴリを設けて、これから時々書いていきたいと
思います。お楽しみに♪

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