西太平洋の平和・繁栄歴史・・・中国や韓国の放射能リスク

アジア・太平洋の環境と歴史と貿易を考えます(水俣・徳山など)

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日本語の起源

日本語の起源
 
概要
 日本語は系統関係の不明な孤立言語のひとつであり、系統はいまだ明らかになってはいない。これまでにいくつかの系統関係に関する理論仮説は出されてきたものの、いまだ総意を得たものはない。これまでの理論仮説、そして類縁関係が強いと想定される言語、には以下のものがある。
琉球語との系統関係
 琉球列島の琉球語(琉球方言、あるいは琉球語派・琉球諸語)と、日本語(本土方言、あるいは日本語派)との系統関係は明らかである。日本語の起源論では、琉球語と日本語の系統関係は証明済みとし、「日本語の起源」という言葉で「日本語+琉球語」全体の起源を論ずることは一般的である。
 なお、日本語と琉球語で日本語族とする説と、琉球語を日本語の琉球方言とする説とは、日本語の起源論においては単なる言葉の定義の問題であり、本質的な争点とはならない。
 
アルタイ語族
 アルタイ語族仮説では、日本語、朝鮮語は共にアルタイ語族の一員とされる。
 
朝鮮語との系統関係
 朝鮮語は、文法構造に類似点が多いものの、基礎語彙が大きく相違する。音韻の面では、固有語において語頭に流音が立たないこと、一種の母音調和がみられることなど、上述のアルタイ諸語と共通の類似点はある一方で、閉音節や子音連結の存在、有声・無声の区別はないなど、日本語とは大きな相違もある。朝鮮半島死語である高句麗語とは、数詞など似る語彙もあるといわれるが、高句麗語の実態はほとんど分かっておらず、現時点では系統論上の判断材料にはなりがたい。
 
アイヌ語との系統関係
アイヌ語は、語順(SOV語順)において日本語と似るものの、文法・形態は類型論的に異なる抱合語に属し、音韻構造も有声・無声の区別はなく閉音節は多い、などの相違がある。基礎語彙の類似に関する指摘もあるが、例は不十分である。一般に似ているとされる語の中には、日本語からアイヌ語への借用語が多く含まれるとみられる。目下のところは系統的関連性を示す材料は乏しい。
 
オーストロネシア語族との関係
日本語がオーストロネシア言語と(おそらくはアルタイ言語との)の混合言語だとする説。
 
ドラヴィダ語族との関係
インドのドラヴィダ語族、とりわけその1つであるタミル語との関連を提唱する説。
 
中国語(古典中国語)との関係
 日本は中国を中心とした漢字文化圏に属しており、中国語(古典中国語)は、古来、漢字漢語を通じて日本語の表記や、語彙・形態素に強い影響を与え、拗音等の音韻面での影響や、書面語における古典中国語の文法・語法の模倣を通じた文法・語法・文体の影響も見られた。従来、系統的関連性は認められないとされてきた。
 しかし、身体を表す基本語(目・耳・口などの大和言葉多数)・一部の動詞(倒れる、香る、壊れる等の大和言葉多数)などの基礎語彙が、朝鮮語に比べ有意に一致点が多いこと、朝鮮語には存在しない「声調」「語声調」が日本語には明確に存在し、日本語が他のアルタイ語族などにない広義の声調言語であること、日本語の従来の文法で軽視されていた係助詞「は」のbe動詞との類似性があること、日本語の語尾の「である」「です」「ます」などが省略可能な接尾語であることなど、必ずしも中国語とまったく類似点がないわけではない。
 
これまでに唱えられた主要な学説
以下、これまでに唱えられた主要な説について解説する。

アルタイ語族説

 日本語をアルタイ系言語、アルタイ諸語のひとつとする説。ただしアルタイ語族説の基盤を築いたG. ラムステットエフゲニー・ポリワーノフニコラス・ポッペら自身もこの仮説があくまで仮説にすぎないことを強調していた。この説の基礎理論的な課題は、ツングース諸語朝鮮語(古代朝鮮語)の内的再構がどの程度まで可能かどうかである。
 
 アルタイ諸語に属するとする説は、明治時代末から特に注目されてきた。その根拠として、古代の日本語(大和言葉)において語頭にr音(流音)が立たないこと、一種の母音調和]がみられることなどが挙げられる。
 ただし、アルタイ諸語に属するとされるそれぞれの言語自体、互いの親族関係が証明されているわけではなく、したがって、古代日本語に上記の特徴がみられることは、日本語が類型として「アルタイ型」の言語であるという以上の意味をもたない。
 
 アルタイ語族仮説を支持する言語学者には、S. マーティン(1966年)や、ロイ・アンドリュー・ミラー『日本語』(1967)『日本語とアルタイ諸語』(1971) らがおり、かれらの日本・朝鮮共通祖語の再構の試みは、モンゴル語テュルク諸語ツングース語の語形も参照しながら分析を展開している。他には、カール・H・メンゲス『日本語とアルタイ語』やロシアのS. スタロスティン、辞典では"Etymological Dictionary of the Altaic Languages"などがある。
 
 
 しかしながら研究者間で意見の一致が見られる比較例は、全般的な統語論的特徴(タイポロジー)、いくつかの音韻論的要素、人称・指示代名詞システム、動詞形容詞活用形の一部、助詞の一部、高々数十の語彙などにとどまっておりいまだ日本語=アルタイ語族説は十分に実証されていない。ポッペのアルタイ祖語の音韻の再構についても批判的に検討され、アルタイ仮説は破綻したと見る研究者もいる。
 
 現在は、より包括的な大語族または超語族という概念で分類を再考している流れもある(マクロアルタイ説・ユーラシア大語族説・ノストラティック大語族説など)。しかしこの包括理論によって日本語の系統の解明が進む可能性は低いとされている。これに対してツングース諸語・満州語・日本語・朝鮮語に対象領域を縮小し比較の精度を上げている研究がある(米国のA. ボビン(2003年))。

朝鮮語同系説

 朝鮮語と日本語の関係についての議論は、日本では江戸時代に遡る古い歴史がある。儒学者の新井白石は、「東雅」(1717年)において、百済語の「熊」=クマ、「海」=ワタを日本語と比べた。
 ただし、言語比較の上で最も重要視される、基礎的な語彙や音韻体系において決定的に相違する。

高句麗語同系説

 朝鮮の歴史書「三国史記」に記された高句麗の故地名の音訓併用表記から推測される、いわゆる「高句麗語」が、日本語と組織的に顕著な類似性を示す事を初めて指摘したのは、新村出である(1916年)。
 
 
いずれにしても、数詞に加え、「口(古次)」「海(波且)」「深(伏)」「白(尸臘)」「兎(烏斯含)」「猪(烏)」「谷(旦)」などの類似は印象的であり、更に興味深いのは、中期朝鮮語よりも上代日本語との方が、類似語が見出される割合が大きい事である。
 ただし古代朝鮮半島から旧南満州における言語分布状況がどのようなものだったかは不明な点が多い。そもそも再構された「高句麗語」が、本当に高句麗の言語だったかについても疑問がある。
 「魏志東夷伝」や「後漢書」などから推測すると、3世紀後半に鴨緑江以北を本拠地としていた夫余・高句麗の言語がツングース系だった可能性は高いが(村山説: 1979年)、肝心の朝鮮半島北部から中部にかけて、3世紀当時どのような言語が分布していたかについては、「魏志東夷伝」などの「中国史書」には全く言及がないのである(金芳漢: 1985年)。 「高句麗語」と日本語との系統関係についてもいまだ十分に実証されていない。また、高句麗語は中国語、あるいは契丹語等に起源や関連性がある事も考えられるが、実証には至っていない

百済語起源説

 百済語は高句麗語以上に実体不明であり、根拠薄弱という批判がある。

オーストロネシア語族説

 オーストロネシア語族日本祖語を形成した言語のひとつだったとする説。現在、主流な説は、日本語がアルタイ系言語と南島語の混合語起源とするものであるが、「混合」の定義・プロセスについては、論者の間で見解の相違がある。
 日本人の民族学人類学的な特徴が混合的なものであることは、古くから指摘されてきた所であるが、言語学者の間では日本語アルタイ起源説が19世紀以来、定説とみなされてきた。

転載元 転載元: 水.土壌.心の汚染や、アジア太平洋の歴史を現場で考え真実を伝える

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ポリネシア人

ポリネシア人

ポリネシア人
Polynesian総人口居住地域言語宗教
Rangikaheke001.jpg
ポリネシア人の男性
ポリネシア
ポリネシア諸語英語
キリスト教
 
 ポリネシア人Polynesian)は、太平洋ポリネシアに住む人々の総称。オーストロネシア語族に属しており、メラネシア人ミクロネシア人と密接な親縁関係を持つ。身体的特徴、文化的特徴、言語的特徴に関してメラネシア人のような多様な地域差は無く、同質的である。
 
言語
 ポリネシア人の話すハワイ語タヒチ語ラパヌイ語マオリ語サモア語トンガ語などはたがいによく似ており、オーストロネシア語族の中の枝先にあたる一分派を構成している。地理的にやや離れた域外ポリネシアの諸言語(ヌクオロ語レンネル語など)もここに含まれる。
 言語の伝播変遷や相互関係についてはよくわかっていないが、台湾マレーシアを起点として海上交易などの交流を経る過程で南東に拡散していったと考えられている。音韻組織の平易さに特徴を有し、一般に動詞、名詞、形容詞に形態上の差異が無く、音節は全て開音節である。

ルーツと移民の流れ

 トール・ヘイエルダールが唱えた南米からの植民説、ベン・フィニーらが唱えたアジアからの植民説があるが、1975年にハワイで建造された双胴の航海カヌーホクレアによる数々の実験航海や、言語学的・人類学的な各種の検証により、現在では東南アジア説が定説となっている。
 アボリジニーの祖先となったオーストラロイド系の民族は中国大陸から約5万年前にスンダランドに移住。一部は後に現在のオーストラリアへ渡る(その逆で、彼等がアフリカ南アジアからスンダランド経由で北東アジアに移住していったという見解もある。)のだが、ポリネシア人の祖先とされるラピタ人の移住はもう少し後の時代である。
 ラピタ人オーストロネシア語を話すモンゴロイド系の民族で、元々は台湾にいたのだが、その一部は紀元前2500年頃に南下を開始した。この時に別のグループは黒潮対馬海流に乗って日本列島にも渡っており、縄文人の骨格との類似性から、縄文人と現在のポリネシア人を形成した人種は共通するとされている。ちなみに日本語は文法がアルタイ諸語のものであるが、音韻体系はポリネシア語の属するオーストロネシア語族と共通している部分がある
 
 一方、南下したグループはフィリピンを経て紀元前2000年頃にインドネシアスラウェシ島に到達した。ラピタ人はここで進路を東に変え、紀元前1100年頃にはフィジー諸島に 到達する。現在、ポリネシアと呼ばれる地域への移住は紀元前950年頃からで、サモアやトンガからもラピタ人の土器が出土している。サモアに到達した時点 でラピタ人の東への移住の動きは一旦止まるのだが、その間に現在のポリネシアの文化が成立していったと考えられている。
 
 再び東への移住を開始するのは紀元1世紀頃からで、ポリネシア人たちはエリス諸島やマルキーズ諸島、ソシエテ諸島にまず移住した。その後、ソシエテ諸島を中心に300年頃にイースター島、400年頃にハワイ諸島、1000年頃にクック諸島やニュージーランドに到達した。
 ポリネシア人の移住の動きはこれ以降は確認されていないのだが、ポリネシア人の主食のひとつであるサツマイモ南米原産であり、西洋人の来航前に既にポリネシア域内では広くサツマイモが栽培されていたため、古代ポリネシア人は南米までの航海を行っていたのではないかと推測されている。
 

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媽祖

媽祖

媽祖イメージ 1各種表記繁体字簡体字拼音注音符号
媽祖
妈祖
Māzǔ
ㄇㄚ ㄗㄨˇ
マーズー
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媽祖(まそ)は、航海漁業守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教女神。特に台湾福建省潮州で強い信仰を集め、日本でもオトタチバナヒメ信仰と混淆しつつ広まった。親しみをこめて媽祖婆・阿媽などと呼ぶ場合もある。
 
 
媽祖伝承
 媽祖は代に実在した官吏の娘、黙娘が神となったものであるとされている。黙娘は建隆元年(960年)、福建省興化府の官吏林愿の7女として生まれた。幼少の頃から才気煥発で信仰心も篤かったが、16歳の頃に神通力を得て村人の病を治すなどの奇跡を起こし「通賢霊女」と呼ばれ崇められた。しかし28歳の時に父が海難に遭い行方知れずとなる。
 これに悲嘆した黙娘は旅立ち、その後、峨嵋山の山頂で仙人に誘われ神となったという伝承が伝わっている。
なお、父を探しに船を出し遭難したという伝承もある。福建省にある媽祖島馬祖島、現在の南竿島とされる)に黙娘の遺体が打ち上げられたという伝承が残り、列島の名前の由来ともなっている。
 
 媽祖信仰の盛んな浙江省舟山群島舟山市)には普陀山・洛迦山があり渡海祈願の神としての観音菩薩との習合現象も見られる。もともとは天竺南方にあったとされる普陀落山と同一視された。
 
 媽祖は千里眼(せんりがん)と順風耳(じゅんぷうじ)の二神を脇に付き従えている。この二神はもともと悪神であったが、媽祖によって調伏され改心し、以降媽祖の随神となった。

中国における媽祖信仰

 媽祖は当初、航海など海に携わる事柄に利益があるとされ、福建省潮州など中国南部の沿岸地方で特に信仰を集めていたが、時代が下るにつれ、次第に万物に利益がある神と考えられるようになった。
 歴代の皇帝からも媽祖は信奉され、世祖の代(1281年)には護國明著天妃に、康熙23年(1684年)には天后に封じられた。媽祖を祀った廟が「天妃宮」、「天后宮」などとも呼ばれるのはこれが由縁である。 媽祖信仰は、福建省・潮州の商人が活動した沿海部一帯に広まり、東北の瀋陽や、華北の天津煙台青島をはじめとする多くの港町に媽祖廟が建てられた。
 
 こうして広まった媽祖信仰であるが、中華人民共和国政府は「迷信的・非科学的な活動の温床」ととらえ、厳しく規制した。特に文化大革命期にはほぼすべての廟祠が破壊され、信者も迫害されたが、改革開放の進展とともにこうした規制は次第に曖昧になり、80年代終わり頃から廟祠の復興が黙認されるようになった。

中国香港・マカオにおける媽祖信仰

マカオの媽閣廟
 
 香港マカオでは文化大革命の影響をほとんど受けなかったこともあり、一貫して民間信仰が盛んである。各地に媽祖を祀った天后廟あるいは媽閣廟があるが、中でも香港の赤柱(スタンレイ)の天后廟、マカオの媽閣廟は有名で、観光名所ともなっている。マカオの地名の由来は、この媽閣廟(広東語 マーコッミウ)近くで、ここはどこかと尋ねたポルトガル人が地名と勘違いしたことによると言われている。
 
 香港では他に、地下鉄の駅名になっている銅鑼湾の天后廟や、盛んな生誕祭を行う元朗の天后廟も有名である。香港の市街地にある天后廟は、埋め立てによって、海岸からかなり離れた位置になってしまったものが多いが、佛堂門天后廟のように、いまだに船で行かないと容易に近づけない海辺にあるものもある。佛堂門天后廟は、俗に大廟とも呼ばれ、1970年代までは、ビクトリア湾で生活していた蛋民の参詣で賑わい、車公廟、文武廟、黄大仙廟と並んで香港の四大廟とされた時代もあったが、現在は訪れる人も少なくなっている。

台湾における媽祖信仰

 台湾には福建南部から移住した開拓民が多数存在した。これらの移民は媽祖を祀って航海中の安全を祈り、無事に台湾島へ到着した事を感謝し台湾島内に媽祖の廟祠を建てた。このため台湾では媽祖が広く信奉され、もっとも台湾で親しまれている神と評される事も多い。
 台湾最初の官建の「天后宮」は台南市にある大天后宮であり、国家一級古蹟に指定された。
 
 この媽祖信仰は日本統治時代末期に台湾総督府の方針によって一時規制された。なお台北最大規模だった「天后宮」は1908年に台湾総督府により撤去され、かわりに博物館(現 国立台湾博物館)が建てられた。
 日本統治の終了後は再び活発な信仰を呼び、新しい廟祠も数多く建立されるようになった。なお毎年旧暦の3月23日は媽祖の誕生日とされ、台湾全土の媽祖廟で盛大な祭りが開催されている。

日本における媽祖信仰

横浜媽祖廟
 
 媽祖は日本在来の船玉信仰や神火霊験譚と結び付くなどして、各地で信仰されるようになった。江戸時代以前に伝来・作成された媽祖像は、南薩摩地域を中心に現在30例以上確認されている。
 江戸時代前期により来日し、水戸藩二代藩主徳川光圀の知遇を得た東皐心越が伝えたとされる天妃神の像が、茨城県水戸市祇園寺に祀られている。また、それを模したとされる像が、北茨城市天妃山の弟橘姫神社、大洗町の弟橘比売神社(天妃神社)、小美玉市の天聖寺にも祀られている。
 青森県大間町大間稲荷神社には、天妃媽祖大権現が祀られている。元禄9年に大間村の名主伊藤五左衛門が水戸藩から天妃(媽祖)を大間に遷座してから300周年を迎えた1996年(平成8年)以降、毎年海の日に「天妃祭」が行われている。この大間稲荷神社は台湾の媽祖信仰の総本山である雲林県北港朝天宮と姉妹宮である。
 
 2000年(平成12年)以降、長崎市長崎ランタンフェスティバルにおいて、長崎ネットワーク市民の会の企画運営で「媽祖行列」が行われている。興福寺に媽祖をお迎えすることで祭りが始まる。
 なお、天母教日本統治時代の台湾に生まれた神道系の新宗教の一つである。その教義は、日本の天照大御神と媽姐が同一のものであるとするもので、台湾における民間宗教を取り込み、その教化を図ったものである
2006年(平成18年)3月17日、横浜横浜媽祖廟落慶。

脚注

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日本人の祖先はスンダランドからやってきた

スンダランド

現在
タイランド湾からカリマンタン島にかけて大陸棚が広がっている
氷河期
The Sahul Shelf and the Sunda Shelf today. The area in between is called "ワラセア".
 
 スンダランド (Sundaland) とは、現在タイの中央を流れるチャオプラヤー川氷河期に形成した広大な沖積平野である。
 現在ではタイランド湾から南シナ海へかけての海底に没しており、マレー半島東岸からインドシナ半島に接する大陸棚がそれに当たる。氷河期に、海面が100メートル程度低くなり広大な平野であった。
 
 最近では、紀元前70000年頃から紀元前14000年頃にかけての氷河期には陸地であった。紀元前12000年頃から紀元前4000年にかけて約8000年間にわたる海面上昇により海底に没した。
 
 広大なスンダランドはアジア系民族の故郷で、紀元前50000年頃から一部が北上しモンゴルシベリアにまで広がりマンモスハンターになった。彼らは徐々に寒さに適応して北方系のアジア民族になった。
一部の人々は海洋民族として太平洋に広がった。
 
 一部の人々はスンダランドと陸続きになっていたジャワ島バリ島から海を渡りオセアニアに移住した。オセアニアにもオーストラリアとニューギニアの間に海面下にしずんだ平野がありサフールランドと呼ばれている。
同様に、同じ時期に世界の数ヶ所、同じ様な場所がある。

関連項目

外部リンク

 
 
 約7万年前頃からはじまる最終氷期には、海水面が低下したり上昇したりをくりかえしました。海水面が低下したときには、現在のインドネシア付近の島々は、ひと続きとなってスンダランドと呼ばれる陸地になっていました。海水面が上昇したときには、今と同じような島々に分かれました。
 アフリカからきた新人(ホモ・サピエンス)は、陸上の食物だけでなく、丸木舟やイカダを使って海洋の食物を利用し、徐々に人口をふやしていきました。
 東南アジア海洋民の誕生といえるでしょう。やがて、彼らは、ここスンダランドを新しい故郷として、アジア各地に移住・拡散していきました。丸木舟で黒潮に乗って北上し、琉球列島にまで到達した人々がいたことでしょう。彼らの子孫が、港川人や縄文人になったと考えられます。
 

スンダランド島
スンダランド

 
 
 
 黒潮は日本海流とも呼ばれる暖流であり、世界で最大最強の海流です。黒潮は、フィリピンの東海上で誕生し、太平洋岸を流れ、日本列島の中央部以北まで到達します。氷期には、海水面が下降していたために、黒潮は日本海には入り込んでいませんでした。
 
 約8000年前頃になると、黒潮本流は東シナ海のトカラ海峡あたりで二分し、分流(対馬海流)が北上し日本海側に流入しました。こうして日本列島の広い範囲が黒潮の影響を受けることになり、現在と同じ温帯モンスーン気候になりました。日本列島の文化は、温かい黒潮の恵みを多く受けており、黒潮圏文化と呼ぶことも可能です。
 
 
 
 
 
 
 
 東南アジアの島々から南中国、台湾にかけて、不定形の剥片を使用した旧石器文化が分布しています。
 同様な石器群が、琉球列島の徳之島、奄美大島、さらに東京・武蔵野台地の旧石器遺跡にも確認されており、南方からの石器文化の流れがあったと考えられています。
 
 
 
 
 
 
 
 
日本の後期更新世人の代表である港川人の頭骨を、アジアの化石人類の頭骨と比べてみましょう。港川人とワジャク人は、上から見た頭の形が卵形です。頬骨は前と横に出っぱっています。鼻の上の眉間が目の上の眉弓よりも発達しています。山頂洞人と柳江人は、上から見た頭の形が俵形です。頬骨はあまり出っぱっていません。また、眉間より眉弓が発達しています。総合してみると、港川人は、インドネシアのワジャク人と似ているので、東南アジアとの関連が強そうです。3〜2万年前から、太平洋沿岸の地域で人々の行き来が活発にあったと考えられます。港川人も南方からやってきたのでしょう。


港川人1号頭骨
(レプリカ)
1万8000年前
港川遺跡出土
国立科学博物館蔵
ワジャク人1号頭骨
(レプリカ)
約1万年前
ジャワ島ワジャク遺跡出土
国立科学博物館蔵
山頂洞人101号頭骨
(レプリカ)
約2万年前
周口店遺跡出土
国立科学博物館蔵
柳江人頭骨
(レプリカ)
約2万年前
柳江遺跡出土
国立科学博物館蔵
 
 
 
 
 
 
 鹿児島県上野原遺跡は、桜島を望むシラス台地(姶良カルデラの火砕流)上にあります。発掘調査で縄文時代早期の二つの時期の大規模集落が発見されました。
 約9500年前の時期は、竪穴住居、集石、連結土坑、土坑、道跡など多数の遺構が整然と配置され、日本最古、最大規模の定住集落が明らかにされました。
 約7500年前の時期では、集石と大型壺形土器、磨製石斧などを埋納した祭祀遺構、そして10万点におよぶ土器、石器、装身具などが発見され、南九州地域に先進的な縄文文化(貝文土器文化)が早くから開花していたことがわかります。
 
上野原遺跡
 
 
 
 
 

紀元前10千年紀以前

紀元前10千年紀以前は、紀元前9001年までの時代である。
 
環境変動

できごと

  • 紀元前40,000年頃、アボリジニーオーストラリアに渡来する。
  • 紀元前30,000年頃、後期旧石器時代始まる。立川ローム基底部(X層)。日本の旧石器文化発見。群馬県新田郡笠懸村岩宿の局部磨製石斧。
  • 紀元前28,000年前、日本列島の旧石器時代人は、槍先形尖頭器、細石刃、有茎尖頭器、石槍という狩猟具を発達させ、ヘラジカ、ハナイズミモリウシ(野牛の一種)、原牛、ナウマンゾウオオツノシカなどの大型の哺乳動物やニホンシカ、イノシシ、アナグマノウサギなどの中小のほ乳動物を狩猟していた。
  • 紀元前21,000年頃、鹿児島県にある姶良火山が大爆発を起こす。九州から関東地方まで、直径2000キロのおよぶ卵形の地域に火山灰が降った。それが姶良火山灰層でATが俗称である。現在の鹿児島湾は姶良火山活動によってカルデラとなっている。この頃を境にナウマンゾウ日本列島から姿を消す。
  • 紀元前18,000〜16,000年、最終氷期の最も寒い時期。海水面の高さが現在よりも約150メートル低かった。
  • 紀元前16,000〜14,000年頃、沖縄県山下町第1洞穴、港川、ビンザアプ人。旧石器時代終末か縄文時代草創期の人類。沖縄県島尻郡具志頭村港川で人骨発見。
  • 紀元前14,000年頃、縄文時代の始まり。縄文土器がつくられはじめる。
  • 紀元前12,000年頃、中国長江流域で陸稲稲作の開始。(仙人洞・呂桶環遺跡)
  • 紀元前12,000年頃、イヌの家畜化。静岡県浜北人、沖縄県上部港川人(1.2〜1.数万年前)
  • 紀元前11,000年頃、日本、縄文時代草創期。細石器・有舌尖頭器がつくられ、豆粒文様土器がつくられる(長崎県泉福寺洞窟遺跡)。日本列島でオオツノシカが絶滅。
  • 紀元前10,000年頃、縄文時代早期。日本列島の温暖化・温潤化が進む。ハナイズミモリウシや本州のヒグマなどが絶滅し、本州以南では陸上大型動物は消滅した。
 
 
 
約7300年前 南九州沖の鬼界カルデラ爆発、 鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah)の体積は約100km3。火山灰は日本列島だけでなく、周辺にも堆積する。

転載元 転載元: 水.土壌.心の汚染や、アジア太平洋の歴史を現場で考え真実を伝える

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「控訴審」!結審後の和解協議(2)小鳥が丘土壌汚染訴訟

和解協議の続報です。
 
2012年3月12日(月)に、岡山地方裁判所4階にある「広島高等裁判所・岡山支部」に於いて、第3回和解協議が行われました。
 
第一審判決で、原告(第一次訴訟3世帯住民)が勝訴しましたが、被告(両備)が即刻「控訴」し、現在「控訴審」で係争中です。
裁判所は、「控訴審」結審後に、和解協議を設定しました。
 
【第二審】
控訴人・附帯被控訴人・被告  ; 両備ホールディングス株式会社
附帯控訴人・被控訴人・原告  ; (小鳥が丘団地第一次訴訟3世帯住民)
 
 
和解協議の進め方は、前回ブログで報告したとおりです。
 
(「控訴審」!結審後の和解協議(1)小鳥が丘土壌汚染訴訟)
 
代理人弁護士の説明による、第3回和解協議の内容は以下のようなものです。
 
(住民は、前回同様「被控訴人待合室」に詰めていました。)
 
[第3回和解協議]
 
裁判所の和解案を受けた控訴人(両備)の再度の回答は、被害住民が受け入れられる内容ではありませんでした。
 
またも原審(第1審)判決の損害認定額を大幅に下回る和解金額の回答でした。
 
そのため、附帯控訴人(住民)は、判決を求めました。
 
以前から、被害住民は、和解できるとすれば第1審判決内容が最低限の条件であると申し入れています。
 
この被害住民の申し入れは、和解解決も拒否するものではないという、どちらかといえば控え目な主張であり、無理のない妥当な申し入れと思いますが如何でしょうか?
 
「両備」は、不良物件(マイホーム)を売った企業であり、それが一般庶民の生活の基盤となるマイホームであるため、被害住民に多大な苦痛を与え続けています。
 
岡山を代表する企業(両備)であれば、法的責任の防御だけを考えるのでは無く、売主の責任として、購入者が分譲物件による被害を受けているという結果責任を果たすべく、住民の被害対策を優先すべきではないでしょうか。
 
被害者が弱者である一般消費者であれば、なおさらです。
 
被害住民は、今後の生活が成り立っていける補償が得られれば、あえて加害者企業(両備)の責任追及を目的とはしていません。
 
「両備」は、この被害住民の苦痛を放置し、あまりにもやり方がひどいので、被害住民は提訴せざるを得なかっただけです。
 
今回の「両備」の回答も、責任を賠償して和解解決を図ろうとする意思は感じられませんでした。
 
今までの「両備」の無責任な態度と併せて、これでは被害住民が到底和解できるものではありません。
 
双方の考えに大きな隔たりがあり、和解は無理だと思いますが、裁判所は次回和解協議を設定しました。
第4回和解協議;2012年4月11日(水)13時30分〜
 
ただ、裁判所は、和解協議は次回が最終と考えているようです。
 
被害住民は、早期解決を望んでいますが、決着の見通しのない結審後の和解協議を重ねて時間だけ過ぎていくよりも、早期の「判決」を求めています。
 
「両備」は、たとえ敗訴しても最高裁へ「上告」するでしょうが、結局その方が決着は早いのではないかと思っています。
 
 
2004年7月に岡山市水道局工事で発覚した小鳥が丘団地住宅地の土壌汚染公害問題は、発覚後8年近く経過し団地住民と宅地造成販売した両備バス㈱の考えが平行線のままで裁判に発展しています。2007年8月に住民3世帯(第1次訴訟)が岡山地方裁判所に民事提訴したあと、住民18世帯(第2次訴訟)も続いて提訴し係争中です。第1次訴訟(3世帯)の第一審判決は2011年5月31日に行われ、原告(住民)勝訴となり、知るかぎりでは土壌汚染裁判で被害住民が勝訴した「全国初」の判決となりましたが、被告(両備)が即刻控訴しました。原告(住民)も附帯控訴を提起し、引き続き第二審(広島高等裁判所・岡山支部)で争われます。
 
 
戸建住宅団地の敷地足下から真黒い土壌発覚!

転載元 転載元: 小鳥が丘団地救済協議会(土壌汚染被害)

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