演奏会いいたい砲台

「海外オーケストラ来日公演記録抄」の「いいたい砲台」(ゲストブックにリンク先あり)にある2006年以降に行った演奏会の感想です

全体表示

[ リスト ]

(会場)グリーンホール相模大野
(座席)1階23列36番
(曲目)
モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番(P/小山実稚江)
ショスタコーヴィチ:交響曲第7番


 日比谷での「日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト」の番外編。

 まず最初のモーツァルトのピアノ協奏曲は、小山さんの力強くもリリックなピアノが冴えた好演。オーケストラも柔和な表情に満ちた演奏でした。ただ風邪の薬のせいか途中その心地よさとあいまって何度も睡魔に襲われてしまいました。ですので語れるのはこれくらいでしょうか。ただその演奏の雰囲気からこの協奏曲が女性に捧げられたことがよくあらわれたものになっていましたが、第三楽章の快速な演奏を聴くと、この女性ちょっとお転婆な女性として小山さんにはうつっていたようにも感じられました。そこがちょっとユニークでした。

 この後休憩時間を挟んで後半となりますが、この休憩時間中にスネアの方が舞台上で延々と例の戦争の主題のリズムを練習していましたが、これがいよいよ「レニングラード開戦」というかんじがするほどなかなかのものでして、ホール内の聴衆の話し声や雑踏の中で響くこのリズムに、ちょっと軽い興奮をおぼえたものでした。

そして後半開始。オケが登場しホールの両サイドにバンダ(左にホルンが四名。右にトランペットとトロンボーンが6名の計10名。)が並ぶという壮観さの中、指揮者の井上さんとかつてこのオーケストラに12年在籍し、現在は群馬交響楽団の首席として活躍されているレオニード・グルチンさんが登場、ちょっとしたトークがありましたが、その中でこのオーケストラの今回来日メンバーのバイオリン奏者中に来年八十歳になる方がいらっしゃり、しかもその方は先の大戦下、レニングラードでショスタコーヴィチとともに戦ったという歴史の証人のような方だということが話題となり場内ちょっとどよめきがおこったものでした。もちろんこの方もこの日の演奏に参加していましたが、このことと、井上さんが「日比谷公会堂は日本で唯一先の大戦をくぐりぬけたホール、今回のショスタコーヴィチをこのホールでやる理由のひとつもそこにあります。」とおっしゃられていました。このことがじつはこの日の演奏を物語るひとつのキーポイントでもありました。

 まずオーケストラの状態が先週の5番あたりとは比べ物にならないほどよかった、というより井上さんもおっしゃられていましたが、明らかにモチベーションが違うという感じの演奏でした。それは第一楽章の冒頭の響きからすでにあらわれており、一音一音他人事の音符など一音たりともないという感じの演奏で、自分たちはこの曲とともに生き、そしてこれからも生きていくという意志のようなものが底辺にあるようで、じつにこちらの襟が正されるような演奏でもありました。

 あの戦争の主題も猛烈なオケの咆哮がそこにはあり、たしかにそれに圧倒されはしたものの、ただデカイ音が鳴り捲っているのでない、じつに心の通った音が鳴っているのに驚きさえ感じたものでした。第一楽章終盤のオケの響きの美しさ、下手をすると冗漫になりかねない中間の二つの楽章も、一瞬たりとも耳が離せないような真に迫った響きでしきつめられており、(特にコントラファゴットと第三楽章の弦の響き!)この曲がこのオケにとって極めて特別な曲である、それこそチェコフィルにとっての「わが祖国」のような曲であることを痛感させられたものでした。

 指揮の井上さんも前半のモーツァルトのような奔放な指揮とはうってかわった、じつにじっくりとした指揮を心がけており、それはまるでオケの語法に耳を傾けながらの指揮というふうに感じられました。話し上手は聞き上手といいますが、今日の井上さんの指揮はまさにそれだったのかもしれません。

 最後は群馬交響楽団のメンバーを入れた舞台そで両サイドのバンダが立ち上がり、壮大な終結部をこれでもかというくらいの気持ちをのせて見事に演奏し全曲を締めくくりましたが、自分はこの演奏を聴き終わったとき、たしかにこの曲のいろいろな分析、そして「証言」における記述などを参考にするのもいいが、この時代、そしてこの時代や曲とともに生きた人々の生の姿や声というものをおろそかにしていなかったか、頭でっかちで物事を思想的なものばかりでとらえていなかったと、かなりいろいろと深く考えさせられたものでした。このオーケストラがレニングラードを演奏するということは、それこそ戦争体験者が戦争のことを語り継ぐのと同じで、ひとつの時代及びその人たち、街、そして時代を言葉ではなく音楽で語り継いでいく、そこには分析も証言もない、まず時代に生きた、そして今生きている人々の「発言」と「体験」がある。このオーケストラの演奏を聴いているとそんなことを、そしてまず考える前に自分たちの音楽を聴いてほしい、というその姿勢を強く感じました。

 このオーケストラはこの曲を大戦火のレニングラードで演奏しつづけた。自分はこの事実を知ってはいました、だけどそれは文字上のことであって、それを音として実演では接していないし、その語法そしてその受け継がれているものを知ってはいません。今回の演奏でももちろんそれらすべてがわかったなどとは言いません。ですがその一端に触れた今となっては、自分はこの曲をそれらに沿った考えも含めて一から考え直さなければいけないのかもしれません。そういう意味では今回の演奏はある意味自分にとって「目から鱗」であり、ある意味「ふりだしにもどる」だったのかもしれません。

 今回井上さんは、7番、10番、13番、というほぼ十年おきに作られた、しかも激動の時代に作曲された曲を続けて指揮していく。今回の7番はオーケストラの言葉を聞き、そしてそれを最大限に引き出しました。では13番はどうか?今度は井上さんが語る番である。今回のチクルス、今最初の山場にさしかかろうとしているようです。

あとこの日のオケ。まるで旧ソ連時代のオケのようでした。たしかにあのときほどの鉄壁な技術ではないものの、気持ち的な意味ではあのときと同じような鉄壁ともいえるものがありました。これは少々驚いてしまいました。かつて旧ソ連時代にもこのオケの来日公演を聴いたことがありますが、そのとき以上にそういう雰囲気を強く感じました。やはり曲のせいだったのでしょうか。

この記事に

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事