手紙
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きょうはホールの要、ペイマナが、ソムリエ若手コンクール一次予選のため11時に名古屋に向けて出発。 なので、カフェに一人取られて・・・お昼営業7人でした。部屋数3つ、コース料理の数を考えると限界超えました(苦笑) あれから年月があっという間に過ぎました。小さかった子供たちが、こんなに大きくなりフレンチを食べに来てくれる。 長らくレストランを営んでいると、そんな話がいっぱいです。 30年近く一ヶ月に数度通ってくれていたお客様が、4月頃からパッタリ来なくなりました。そう言えば、満席カードを入口に貼っていた時期がありました。遠慮深い方なので、そっと帰って行かれたのかと、危惧して来られる曜日にはカードを外して、必ず1席だけキープしていたのです。 ・・・が、現れず。 長らく気をもんでいたら、本日登場されました。入院されていたんだとか・・・。ボンヴィが心配していると思うから連絡しようかと担当医に話したら、僕から言いましょうか?・・・と言われたそうです。担当医も30年来のお客様(笑) ボンヴィヴァンは、ガイドブックに度々出ている観光レストランでしょ・・・なんて言ってる人。ムカッとしてブーっ・・・でもないんです。 確かに多い。物凄い割合。他県のお客様がなかったら、はっきり言ってもたないです。地元のお客様、他県のリピーター、観光客の方々でボンヴィヴァンは、かろうじて維持しております。 このレストランは、シェフ、マダム率いる総勢たった9人の個人商店です。 客の入り不入りで毎日ドキドキする、自転車操業。 スターシェフでもないし、実力シェフでもない。地位も名誉もなく、コツコツとレストランを続けてきました。休みには、県外に出向きレストランの勉強を続けているとシェフとの交流が生れることもある。感動したことを記憶に残し、自分の料理へと昇華させる。体験したことと考えを素朴なスタッフに伝える。その繰り返し。 フランス料理が好き。レストランが好き。お客様との触れ合いが好き。この仕事が天職だと胸を張って言い合える仲間と毎日、働いている。辛いこと、嫌なこと、悩み?ありますよ・・・山ほど。 でも誰にだってあることですから、わざわざ書くことじゃないでしょ。 先ほどの話に戻ります。 僕が30代の頃、強烈に憧れたシェフがおりました。数々の料理雑誌に登場し、斬新な発想で世に度肝を抜くような数々の料理を発表し続けてきたミチノトゥールビヨンの道野シェフ。 雲の上どころか一生接点のない方だと思っていました・・・2年前までは。 この方のブログを発見して、シェフからのメッセージと題した随筆を完読。文章力に圧倒されて、感動の気持ちのまま大阪行きの電車に乗りました。 とにかく一目だけでも会いたかったのです。 ドキドキして来店。来れただけで大満足。それで十分。しかし、サーヴィスの方のお顔には見覚えがある。思い出そうとしてもなかなか・・・待てよ? イチかバチか、ジラール・ペルゴーのアンティークウオッチは、もうハメてないの?って声をかけたんです。えっ?って驚いてお互いマジマジ見る。やはりそうでした・・・シェ・ワダに在籍の時、僕たちにサーヴィスしてくれた方。 そんなやりとりの情報が厨房の道野シェフに伝わり、今がある。 かなりハショリました。もう一度食べに行ってるしスタッフを連れて料理講習会にもお邪魔している。もちろんFB友達だしね。 楽しみ苦しみながらレストラン経営を続けて、いつもいつも自分の料理を求め、文章を発表し書を読み音楽を愛する。周囲を笑わし楽しませながらも毒舌を吐く。アウトローな個性派。 はい、通じるものがあります。背中はっきり見えてます。 以下、道野さんの手紙です。文筆家道野氏の才能が垣間見れると思います。 河瀬さん
河瀬さんの文章が冊子に連載されるというので、なんだかぼくまでうれしくなって、次のような文章、書いてしまいました。もしよろしければ使ってください。
ただし、あくまでぼくが勝手に書いたものなので、掲載されなくてもいっこうにかまわないし、原稿料もいりません。(笑)あくまで一方的な友情の発露、ということで。それにしても、先週、今週と完敗。次はうちの店に神風が吹かんことを切に願ってやみません。
河瀬さんのこと
もう随分昔のことです。といっても、もうぼくは自分の店をやってたので、20年くらい前になるのでしょうか。当時、ぼくはアンティークの時計に凝っていて、収集に余念がありませんでした。最終的には、ピンからキリまで合わせて100本くらいになりました。当然、その関係の雑誌や本は厨房に山積み状態。広告を見るのも楽しかった。その広告のなかで、妙に気を引くお店がありました。二階がフランス料理店で、一階がアンティークの時計屋さん。毎回の広告に載っている時計は、モヴァードとかミドーとか、高価ではないけれどマニア受けするものばかり。この店、何やろ。二階に関しては同業なので、気になってしかたがありませんでした。結局、ぼくはこのお店と取引することなく、いつしか月日は流れ。 昨年のことです。うちのマネージャーが一枚の名刺を持って、厨房に入ってきました。「シェフ、今来られているお客様、同業の方です。三重県伊勢市でフランス料理店を経営なさっておられるようです。」。見ると、店名はボン・ヴィヴァン。ん。頭のなかでチカチカ何かが光っています。ぼくの不審げな顔を見て、マネージャーが補足説明。「時計がお好きみたいです。」。光が射しました。はじけるように思いが交錯し、ぼくは言いました。「手が空いたら話にいくから、待ってていただいて。」。 初対面だったけど、かつての戦友に会ったような気分で、とてもうれしかった。会話が弾み、再会を約束しました。そして、ぼくは河瀬毅さんのボン・ヴィヴァンに伺いました。 古色蒼然とした佇まい、でも、若いスタッフ達の活気にあふれ、指揮する河瀬さんとマダムのおもてなしの気持ちが隅々にまで行き届いて、フランス料理店として完成された形がそこにありました。 伊勢神宮が日本人のこころのふるさとならば、ボン・ヴィヴァンは日本のフランス料理の聖地です。 ぼくの時計コレクションは、気がついてみると、ほとんどどこかにいってしまいました。失くしたのか、人にあげたのか、それとも売ってしまったのか。惜しいような、そうでもないような。ということは、それだけのことだったのでしょう。河瀬さんも、アンティーク時計業界からは随分前に足を洗いました、とのこと。でも、偶然つながったぼくと河瀬さんの友情は、年月を経ても色あせてほしくないな、と今のぼくは思っています。 |