『日本周遊紀行』

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日本周遊紀行(230)白馬 「冬季長野オリンピック」(2) 

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 日本周遊紀行(230)白馬 「冬季長野オリンピック」(2)  .



1998年・平成10年2月17日、ジャンプ団体

この日、白馬には激しい雪が降っていた。 
ジャンプ台を見ても、選手のスタート地点が見えないほどの悪天候である。 係員が懸命に整備をしても、新しい雪がすぐに降り積もり、予定されていたトライアルは中止が決まり、本番の開催が危ぶまれる状況だった。 

ジャンプは風の影響が強い競技だということはよく知られているが、降り積もる雪も競技には大きな影響をもたらす。 先ず、時速90km前後の猛スピードで滑り、飛ぶ選手たちにとって、激しい雪で視界が妨げられるのはとても危険、さらに、助走路に新雪が降り積もると、スピードがあがらず飛距離は伸びない。 だがしかし、すでにスタンドは超満員、このまま競技は中止されても仕方がないほどであった、予定よりか成り遅れてから、なんとか1本目の競技が始まった。


1本目のジャンプ、日本の1番手・岡部の飛距離は121.5m、続く斎藤が130mの大ジャンプで、2位のオーストリアに44ポイントの大差をつけて首位に立った、やはり日本は強い。 
残す2人はラージヒルのメダリストコンビ、さらなる大ジャンプを期待して、スタンドには楽勝ムードが漂よう。 

でも、神様はそんなにお人好しではなかった。 3番手の原田が登場するのを待っていたかのように、雪がいっそう激しくなってきた。 
会場に原田の名前がアナウンスされた、カメラのアップで、何とか姿は捉えられるが、戻すと雪の中に消えてしまいそうだ。 大丈夫なのか? 競技が続行されるのかどうか心配であったが、日本は参加した13チームの最後に飛んでいる。 3番手のジャンプを残しているのは原田だけ。 

原田がスタートした。 「ハラダ! ハラダ!」という応援の大歓声が、白い風に吸い込まれる。 
ところが、雪の合間からうっすらと見える90m付近のランディングバーンに姿が見えたとき、原田はもう、吸い付かれるように着地していた。 飛距離は79.5m、こわばった表情で電光掲示板を見上げる原田、ハイテンションだった大歓声が、一瞬で凍り付いたように鈍い響きに変わった。 

このとき、日本中の人々の脳裏には、4年前、リレハンメルオリンピックの悪夢がよぎった。 最後のジャンパーとして登場した原田がまさかの失敗ジャンプ、ほぼ手中にしていた金メダルを逃してしまった出来事である。
あれから4年、原田はリレハンメルの雪辱を果たすために、あらゆる努力をしたはずだが、それが・・、直後の原田の一言「屋根付いてないから、しょうがないよね・・」・・と。
 

ジャンプ競技ほど“運“に左右されるスポーツはない。 どんなに努力しようが工夫を重ねようが、本番で吹雪に見舞われたり、積雪で助走路のスピードが奪われれば全て水疱に帰してしまうのである。 
名ジャンパーであった秋元正博氏は「この競技は運が五割だからね」と。 だからといって、「どうせ最後は運だから」と開き直ってしまえば、その選手はそこで成長は止まる。 勝利の女神に愛されるためには、運を信じて険しい坂道を一歩一歩進んで行くしかない、ジャンプは人生そのもののようだ。


雪の勢いは一向に弱まらない、セカンドラウンドが始まって8人目、チェコの選手が飛んだところで競技は一時中断される。 
数分後、セカンドラウンドだけの記録を一度キャンセルして、観天望気の後、競技は再び開始された。 できることなら「もう一度最初から」やり直してくれないものか。 原田選手に、もう一度チャンスをあげたい。 しかし、神様が、いや原田は、さらに感動的なドラマを用意してくれていたのであった。
 

競技2本目、逆転劇の幕開けは、岡部から始まった、日本選手1番手の岡部が137mという驚異的な飛距離をマークした。  
15日の個人のラージヒル2本目に原田がマークした136mというバッケンレコードを更に更新したのである。 
原田がビデオによる飛距離測定器の範囲を越えたため、この日は手書きの飛距離表示板を増設、142mまでスムーズに判定できるようになっていたらしく、早速、それが役に立ったのである。 続く斉藤は124mの安定したジャンプで日本は再びトップに立った。 あとは原田と船木のジャンプに期待、金メダルの夢が再びはっきりと視界に入ってきたのだ。

そして、原田である。 1回目の失敗ジャンプが、まだ頭の隅に残っていて二の舞を演ずるのか、それとも、きれいさっぱり忘れて新たな気持ちで飛び出すのか・・?。 相変わらず雪の勢いは強く、条件は一回目と同じである。
 
再び、NHKの工藤アナウンサーが、ややカン高い声で実況していた・・、
そして「さあ、いよいよ原田スタート・・・ん・・高いぞ・・高くて、高くて、高くて・・、行った・・原田、大ジャンプ・・!!」、ついさっき岡部が樹立したばかりのバッケンレコードに並ぶ137mのスーパージャンプだった。 
場内は興奮のルツボ、TV観戦士(小生)は「ヨッシャー・・!!」とガッツポーズ・・!。 そしてその後、猛烈なプレッシャーの中で着実に決めた船木のジャンプは125m。 
飛び終えた船木が、祈るような表情で会場の電光掲示板を見上げている。次の瞬間、地鳴りのような大歓声のボルテージがさらに上がる、

『 1位 JAPAN」、日本が金メダルである・・!! 』


船木がガッツポーズをしながら、背中から雪の大地に倒れ込み、原田、斉藤、岡部、日本チームのメンバーが、抱き合い、飛び上がって喜んでいる。 原田が、先頭を切って船木に駆け寄り、一度は立ち上がって仲間を迎えた船木が、原田と抱き合ったまま、再び地面に倒れ込む。 
会場はこの上ない熱狂の渦に包ました。
グオオオーと、わき上がるような歓声の中に「はらだー!」、「ふなきー!」と選手たちを祝福する。 誰からともなく起こった「ニッポン!ニッポン!」という大合唱が、いつ終わるかもともなく白馬の山にこだました。 
興奮が永遠に続くのではないかと思うほど、感動的なドラマにすべての日本人、観客が酔いしれていた。 その後、原田が泣きながら「船木、船木・・」と叫んで、コメントしていたのが印象的であった。 やはり、原田はヒーローであり、勝利の女神は日本チームに、原田に、微笑みと愛を下されたのであった・・!!。



今、白馬のジャンプ台は、あの日の思いを秘めるように静まりかえっている。

尚、長野オリンピック競技の内、アルペンスキー競技は男女の滑降、スーパー大回転および複合は白馬村の「白馬八方尾根スキー場」で実施された。 
又、神城地区の山間には「スノーハープ」という競技場が在って、世界一流の選手たちをも唸らせ難コースと言われたクロスカントリー競技が行われた。 
現在は、冬は歩くスキー(クロカンなど)、グリーンシーズンはローラースキーなど自然散策も楽しめる。 又、当地域は「蛍の里」としても整備されつつあり、行楽地域としても絶好の場所になっている。


白馬の別宅に付いた・・!。
ガラン・・!、とした部屋で大の字になって気持ちを落ち着かせる。 そして、名物、「倉下の湯」で身を清め、2,3日ノンビリして、厚木の実家へ戻ることにしよう・・!!。

時に、平成17年6月17日 18時


《 西日本編・・完 》    



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日本周遊紀行(230)白馬 「追憶・冬季長野オリンピック」

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 日本周遊紀行(230)白馬 「追憶・冬季長野オリンピック」  .



junp2
写真:白馬村と白馬ジャンプ台



白馬:「追憶・冬季長野オリンピック

序ながら、あの冬季長野オリンピック・白馬ジャンプ競技の感動的名場面を思い起こしてみよう。
1998年・平成10年2月11日、白馬の空は晴れ渡っていた。 

この日、先ずノーマルヒルの競技がいよいよ開催されるのである。 やや高台にある競技場の観覧席は日本選手の原田や船木の登場を、今やおそしと待ちわびていた。
いよいよ本番。 1本目のジャンプは原田雅彦選手がやってくれました。 最長不倒、K点越えの91.5mでトップに立つ。 
飛び終えて、満面の笑顔で歓声に応える原田選手。 
次に飛んだドイツのトーマが84.5m。最後に飛んだ船木和喜選手はやや伸びを欠いた87.5mのジャンプに終わり、原田選手が断然トップで折り返した。 1本目を終えて1位が原田選手、そのほかの日本選手は船木選手が4位、葛西選手が5位、斉藤選手が7位である。 一本目は真さに期待通りの強さであった。 

空は本当に気持ちよく晴れ渡り、さわやかなそよ風(ジャンプ台には向かい風)が吹く絶好のコンディションで、誰もが、もう原田選手の金メダルを信じているようである。 
2回目を待つ間も会場は大興奮!
しかし、・・あああ、これは神様のいたずらか・・! それでも原田は主役であった。
 

2本目の競技は、1本目の上位30人が出場し、下位の選手から順番に飛んでいく。 
船木が登場したのは勿論最後から4人目、満員のスタンドが歓声とともに大きく揺れた。
飛距離は90.5m、2本の合計ポイントは233.5点、フィンランドのアホネンを合計ポイントで2点上回りトップに立つ。 
残すは3人、1人でも船木に及ばなければメダルが確定する。 船木の次に飛んだのはオーストリアのビドヘルツル、飛距離は船木選手と同じ90.5mまで伸ばした、ビドヘルツル選手は1本目88mを飛んで3位、ああ、抜かれてしまうかという不安を抱きながら見守る。 でも合計ポイントは232.5点、船木には届かない、大歓声が起こる、船木のメダルはもう確定した。 
飛距離の合計では船木を上回ったビドヘルツルであったが、世界一美しいといわれる船木のジャンプは、飛型点を多くかせいでわずかな差を守った。
これで原田選手が「自分のジャンプ」をしてくれれば、日本が金銀のメダルを獲得できる可能性があった。 次はフィンランドのソイニネン、見事なジャンプで89mを記録した、ソイニネンが着地した瞬間、「ウオオオ」という声があがつた。 船木が逆転されたのである。 
なんにせよ、これで原田選手が「ちゃんと飛んで」くれさえすれば原田が金メダル、船木が銅メダル・・、最高の成績である・・?。

いよいよ最後のジャンパー、原田の番がやってきた。 
白馬の山を貫くような大歓声が起こる、いよいよ原田がスタートした。
そして、結果は・・、原田はやっちゃいました。飛距離は84.5m、合計ポイント228.5点で5位に転落してしまったのである。 
「ああああああ・・!!」、着地した位置を見て、やけに長いため息が渦巻いた、あのリレハンメル・ オリンピックの団体戦、最後のジャンプで失敗したシーンが頭をよぎる。
 

残念ながら、日本選手の金メダル獲得はならなかった。 
それでもバーンを滑り降りてきた原田は、終始笑顔を崩さず、手を挙げて歓声に応えた、ヘルメットを取り、周囲のスタンドに何度もおじぎをしている。 
きっと「応援してくれたのに、金メダルが取れなくてすみません」という意味なのだろう。 悔しさに顔をゆがめていいはずなのに、観衆を気づかい、取り囲む報道陣の質問にもていねいに答えている原田選手の姿。 
観衆の誰も、原田を責めるような声を飛ばしたりはし、むしろ「ラージヒルは期待してるぞぉ!」という声があちらこちらから聞こえていた。 
  

ジャンプ・ラージヒルの日、1998年・平成10年2月15日、天候は雪である。 
競技の前にトライアル(試技)と言う練習ジャンプがあり、飛んだ原田は108mの失敗ジャンプ、船木は着地でバランスを崩して転倒してしまい、あやうくフェンスに激突しそうになった。

ともかくも、1本目の競技が始まった。 
岡部の1本目、飛距離はなんと130m!大差をつけて、まず首位に立つ。 原田がスタート地点に姿を見せると、満員のスタンドから大歓声だ、ノーマルヒルでの屈辱を晴らして欲しい。 原田の飛距離は120m、失敗というわけではないが、風に恵まれず、やや不本意の5位。 
そして1本目の最後に飛んだ船木の飛距離は126mで4位につける。

1本目が終わり、2位に岡部、4位に船木、ややポイント差はあるものの6位に原田が続く。
ファイナルラウンドは1本目の上位30選手だけで争われる。 風の条件がよくなったのか、1本目より飛距離を大きくのばし、K点を越えるジャンパーが続出する。 

25人目、いよいよ原田の2本目、地響きのような歓声があがる。 
そして、原田がやってくれました。 NHKの工藤アナウンサーが「・・・さあ、原田スタート・・、ン・・高いぞ・・どこまで行くのか・・立て、立て、立ってくれ・・立った・・!!」の絶叫口調が耳に残る。
そして、135m地点を越える大ジャンプ。 見ていても伝わってくるような衝撃に、足と両手を大きく広げて転倒しそうになるのを耐えきった。 まさに奇跡・・、歓声が爆発音のように激しく原田を祝福する、これでメダルに手が届く! アップの画面でスタンドには、もうすでに泣いている人がいるようだ。 

ところが、会場の電光表示板には、いつまで待っても「HARADA」の飛距離やポイントが表示されない。 
白馬のラージヒルのジャンプ台では、ビデオを使って飛距離判定をしているが、カバーしているのは135m地点までで、原田は、その135m地点をはるかに越えて着地してしまったのだ。 

測定ビデオのないところまで飛んでしまったために、測定されないまま次の選手がスタートしている、「原田はどうなんだ?」、観戦諸氏はヤキモキ・・、すばらしいポイントをマークしたのは間違いないが・・?。 競技は進む、そして、続いて船木がやってくれた。 原田の大ジャンプの興奮もさめやらぬうち、またまた130mを越える大ジャンプを見せた。 飛距離は132.5m、しかも、テレマーク姿勢もぴたりときめて、飛型点は審判全員が20点満点というずばらしいジャンプであった。  
残るは2人になって、1本目2位の岡部が登場、この時点で船木が1位、原田のポイントはまだ発表されないが、残念ながら岡部の飛距離は119.5m、最終的に岡部は6位。 
いよいよ最後のビドヘルツルである、この時点でトップは船木、もし、ビドヘルツルの飛距離が伸びなければ、船木選手が金メダルである。
スタートを切った。 我々日本人は「落ちろー!」と心の中で叫んだに違いない。 それが通じたのか、飛距離は伸びなかった、120.5m。 
原田のポイントはまだ表示されないままであるが、船木が1位であることはもう間違いない、船木の金メダルが確定した。 ラージヒルでは会心の金メダル、観衆に向かって大きく手を上げて喜びを表現している。 

競技はすべて終わった。 でも、原田のポイントはなかなか表示されない、一度は観衆の声援に応えた船木が、少し心配そうに原田に歩み寄る。 そして、電光表示板に「HARADA」の名が浮かび上がった、3位である・・!。 
飛距離は136m、白馬の山が割れるような大歓声が起こる。 
金メダルの船木選手は本当にすばらしい、でも、原田の銅メダルは、見ている者にとって、金よりも輝いていた、オメデトウ・・日本、次は団体である。

ここでは何と言っても原田の2本目のジャンプが注目された。 白馬の冬のバッケンレコード131.5mであるが、それを4.5mも上回る大ジャンプであった。 
この辺りの地面(雪面)はほぼ水平で、着地した瞬間は、物凄い衝撃が全身を打ったはずである。 後日談で、この136mジャンプの着地の際、あまりの衝撃の大きさで原田のスキー板にヒビが入ってしまったという・・、凄い・・!!。 


次回は、「ジャンプ団体




 
 
 
 

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日本周遊紀行(229) 糸魚川 「姫川」 .

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日本周遊紀行(229) 糸魚川 「姫川」 .



イメージ 1
白馬連峰を望む姫川と大糸線
(提供 http://tetsurohyakkei.web5.jp/tetsurohyakkei.gallery03top.html さん)



「姫川」は、フォッサマグナの西縁、いわゆる糸魚川・静岡構造線に沿って白馬村から糸魚川市まで流れている。
地球規模からいうと、北アメリカプレートがユーラシアプレート(主にアジア・ヨーロッパ大陸の殆どをで、全陸地面積の37%を占めるという)とぶつかり合い、地下深くに潜り込むというの活動が、この姫川流域で地表面や地表近くに出現していると考えられている。 
姫川は、まさに日本列島を東西に分割する大断層に沿って流れる川なのである。


その姫川流域は、北陸の海岸や富山県の翡翠海岸など国内でも有数の翡翠(ひすい)の産地で知られる。 
糸魚川−静岡構造線(フオッサマグナ)に関係する激しい断層活動、造山運動で鉱物の変成作用が起こり、地上に揉(も)みだされ地表付近に出現したといわれる。 
硬玉ヒスイの産地のひとつ姫川支流である小滝川の「ヒスイ峽」の翡翠は特に良質であるといわれ、そのため糸魚川市、青海町の産地共に国の天然記念物に指定され、一般の人の翡翠の採掘は禁じられている。 
現在市場に出ている翡翠宝飾品の大半は海外、主にミャンマー産とみられている。 
東洋では特に重宝がられ、中国では他の宝石よりも価値が高いとされている。 
石言葉は長寿、健康、徳で、緑色のものが最も価値が有るという。

 
姫川は糸魚川・静岡構造線にそって、南から北へほぼ一直線に流れている。
姫川の源流域は白馬連峰に端を発する支流の松川・平川の扇状地が分布し、平坦な盆地(白馬盆地)を形成しているものの、流域の大半の地形は白馬岳をはじめとする標高2000mを超える山々が連なり非常に急峻である。 
水源は白馬村の親海湿原湧水群(日本100名水)といわれるが、元々の水源は青木湖であったとされ、佐野坂の地すべり堆積物によって堰き止められたと考えられている。 

そのため、親海湿原(およみしつげん)の湧水は青木湖からの浸透水であるともいわれる。
白馬村から発した水流は、北アルプスの北端と妙高山系・雨飾山の山峡の狭い空間を一級河川の「姫川」の急流となって流れている。 
全長わずか58キロで平均勾配100分の1・3、つまり100mにつき1・3m下るという急流である。 
その流域は信州・長野と上越・新潟地方とを結ぶ国道148号線が走る数少ない交通路であり、又、大糸線が並行して走る交通の要衝でもある。 その河岸には道路、鉄道に沿って民家もひしめき合っている。 


姫川は麗々しい名前とは裏腹に「暴れ川」としても知られている。 
その急流さのため豪雨による度々の洪水に襲われている。 土砂災害も絶えず、道路や鉄道が不通となることも度々であり、近年では平成7年の大洪水で鉄道、道路がかなりに亘って流失寸断された。 
又、翌年にはこの災害復旧工事中に土石流が発生し作業員14人が死亡している。
又、姫川は糸魚川・静岡構造線にそって、南から北へほぼ一直線に流れているが、周囲の地質は非常に脆弱(ぜいじゃく)であり、地すべり地形が広く分布する。 
特に千国、小谷地区に到ると山稜が急激に狭まりトンネルが連続するところ、そこに大きな支流の「浦川」(中土駅の北側)が流れ込み、この上流に「稗田山崩れ」という大崩壊地が見られる。 


稗田山崩れは日本三大崩れの一つとも言われ、(富山県立山・「鳶山崩れ」、静岡県安倍川上流・「大谷崩.れ」)明治44年(1911年)、稗田山(ひえだやま・コルチナスキー場の北側)の北側斜面が大崩壊し、大量の岩石土砂が支流の浦川を急流下して姫川河床に堆積し、高さ60m〜65mの天然ダムを形成してしまったという。 
堰き止められた姫川は「長瀬湖」と呼ばれる湖を出現させ、川沿いの集落で死者23名、負傷者・水没家屋多数などの甚大な被害を与えた。 
この辺りの集落であった来馬地区の川原の下には、明治時代当時の宿場町が、今でもそのままの形で埋まっているともいわれる。 
「稗田山崩れ」の詳細は以下に・・、

<a href="http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-2.htm" title="「稗田山崩れ」">「稗田山崩れ」</a>
http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-2.htm 
<a href="http://orimasa2005.blog101.fc2.com/blog-entry-15.html " title="「稗田山崩れ」">「稗田山崩れ」</a>
http://orimasa2005.blog101.fc2.com/blog-entry-15.html 



【追記】

「糸魚川」は2009年8月、地質・世界遺産に認定された。
世界的に貴重な断層や火山などを有し、世界遺産の地質版とされる自然公園「世界ジオパーク」に洞爺湖有珠山、糸魚川(新潟県)、島原半島(長崎県)の三地域が日本で初認定された。
地質版の世界遺産とされる「世界ジオパーク」に糸魚川市が認定されたと、市が世界ジオパークネットワーク(GGN:ユネスコ機関)から連絡を受けたもの。 世界ジオパークは貴重な地質遺産を保護し、観光や学習の場として地域振興に役立てていくものとし、ユネスコが支援するGGNが審査し、合格すると認定される。
世界ではこれまで18カ国に58カ所あるが、日本にはなかった。 糸魚川地域は、断層の糸魚川静岡構造線やヒスイ産地の小滝ヒスイ峡、活火山の焼山など豊富な地質資源があり、国内初の認定を目指して昨年GGNに申請していたもので、ガイドマップの作製など認定に向けた準備を進めていた。




気分も晴れやかに、糸魚川の平野から山峡の地へ入り込んでゆく。
白馬方面へ近ずくにしたがって、空模様も明るくなり、小谷村の栂池高原の入り口である「白馬大池」辺りへ来ると、薄日も差して晴れ上がってきたようである。 
山間の地を抜けると、いよいよ白馬村である。 
白馬盆地といわれる山あいの平地が大きく広がり、右手に広大な北アルプス・白馬連峰の峰々が出迎えてくれている。 
昔の旅人は牛馬を連ねて、姫川流域の北アルプスの山峡の急峻な地を、艱難辛苦しながら、はるばる練り歩き超えてきた。 
そして、ここ白馬の平穏な地まで来て初めて一息入れ、おまけに、この絶景を見て心を安め、明日への活力を得たという。 


その白馬三山である主峰・白馬岳、杓子岳、鑓ヶ岳は未だ白き衣を纏ったまま、小生を迎えてくれた、有難かった。 
一事を成し遂げた満足感からも胸が熱くなり、長旅で緊張感がほぐれたことも手伝って目頭が熱くなるのを覚える。 

因みに、地域である白馬村やJR大糸線の白馬駅はいずれも「はくば」と呼称するが、山岳における白馬連峰、白馬岳の呼名は「しろうま」と称してる。 残雪期になると、山の傍に「代かき馬」、「代馬」のような雪形が現れることから代馬から変じて「白馬」になったと言われる。


白馬山系は日本一の高山植物のメッカであり、多くの行楽、登山客を迎え、山麓には長野県はおろか、全国有数の広大なスキー場が広がっている。 
その八方尾根の南側には「白馬のジャンプ台」が隣接している。 ラージヒル、ノーマルヒルと平行して並び、その存在はすぐ確認できるが、夜はライトアップされて、その曲線が美しく、いっそう存在感がある。 


白馬のジャンプ台は、オフシーズンには観光見学用として一般公開している。 
二人乗りのリフトを乗り継いで、透けて見えるデッキプレイとの階段を登るとき、余りの高さに身震いを生じるのである。 
さらに展望デッキへ・・、実際にジャンプ台を生で見ると心の底から「このジャンプ台から飛び降りるなんて、それだけですごい」という気持ちになり、あの長野冬季オリンピックの名場面が浮かんでくるのである。


原田選手が開会式後のインタビューで「<strong>鳩になってみようと思います</strong>」なんて気の利いたジョークを飛ばしていたが、いいジャンプをすると鳥になったような気分を味わえるというのは、少しもおおげさな表現ではないのだろうと感じる。 

ジャンプ台の下には記念館があって、当時の長野オリンピック、ジャンプ競技の感動的な記録が展示してある。


次回は、最終章、「長野冬季オリンピック、白馬の感動をもう一度・・!!」




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日本周遊紀行(229) 糸魚川 「天津神と出雲神」 .

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日本周遊紀行(229) 糸魚川 「天津神と出雲神」 .  



けんか祭り
写真:天津神社の「けんか祭り」



天津神社と奴奈川神社のことであるが、 

奴奈川姫に言わせれば、憎き相手の大国主であるが、所詮は夫婦の契りを交わし、愛児お一子をもうけているのである。 
その為もあって奴奈川神社では初め主祭神の奴奈川姫だけであったが、後に夫君の大国主を相神として祭っているのである。 
つまり、奴奈川姫の支配する「越の国」は、この後は出雲が統治する国の領域になる。 


一般に、古事記に描かれる日本神話では、日本国土は大きく高天原系(天津神・大和系)と出雲系(国津神・地主神)に分かれていた。 
しかし、元々は天孫族と出雲族はアマテラスの弟がスサノオであるように、高天原出身の同じ一族とされているものであった。 
だが、両者を比べると、その性格はかなり違っていた。 

国譲りの伝説についても出雲の箇所でも述べたが、出雲の神々というは始祖のスサノオと国土開発の英雄・大国主を主人公にしているが、最後には天孫族に屈伏し国の支配権を譲るのである。 

このように出雲の神々はどちらかというと天孫族の敵役といった印象であり、謂わば大国主が造りあげた国土を天孫族が武力で奪っているわけである。

「天津神社」は天孫族のニニギを祀り、その横の「奴奈川神社」は出雲族の首領・奴奈川と大国主を祀っている。 
お互いの神社は仇敵同士のはずであるが・・?、実際は仲良く並社して祀ってある。 
尚、天津神社の「けんか祭り」は二つの神輿が衝突、相争って競う神事で知られるが、この祭りの本来の謂れは不明とある。 
或いは、両社の如く天孫族(大和族)と出雲族の争いを表現しているのではないか、と想像するのは根拠はともかく面白い・・!。


古事記における「出雲の国譲」りは、高天原の神々が大国主に葦原中津国(日本)の支配権を譲るように迫り、遂に承諾させるというもので、武甕槌神(タケミカズチ)と天鳥船神(アマノトリフネ)が剣を突き立てて国譲りを迫るというものである。 
だが大国主の意を息子の健御名方は反対する。 
そこで、健御名方神と武甕槌神の間で力競べが行われ息子の方が敗れてしまう。(この力比べは大相撲の起源ともされる) そのために出雲の国の国譲りが実行されるのであるが、敗れた健御名方神は諏訪まで逃げ、その地に引き籠もって諏訪神社の祭神になったとされている。 
 

姫川の上流地域の信越国境の小谷村(おたりむら)において、6年(古式で云うと7年)ごとの諏訪大社の御柱祭に併せて、「薙鎌(なぎかま)の神事」(諏訪社前の杉の大木に木づちで薙鎌を打ちつける珍しい祭事。 

薙鎌とは鎌に長い柄の付いた昔の武器、諏訪大社の御神体ともいう)という奇妙な祀りが行われる。この神事の謂れや意義は定かでないが、諏訪の祭神である建御名方命が高天原の神との戦いに破れ、追われて諏訪の地に逃げこんだ際、その時に建御名方命は「諏訪の地からは一歩も出ないので許してください」と懇願したとされる。 
この薙鎌は「ここからは出ない」という標し(しるし)ともいわれるが・・?。

諏訪の大神は「この地から出ない」と約束したため、八百万の神々が出雲に集まるという「神無月」でさえ、この神様だけは諏訪に留まっていて、従って諏訪地方には「神無月」というのは無いのである。 


『 ぬな河の底なる玉 求めて得し玉かも 拾いて得し玉かも あたらしき君が老ゆらく 惜しも 』 万葉集十三巻より


この中の「ぬな河」とは「姫川」のことで、そして「底なる玉」とは「翡翠・ヒスイ」を指しているといわれている。  
古来より翡翠を身につけていると魔除け、厄除けになり、幸運を招くの石として珍重され最高の装飾・装身具として愛用されてきた。 
遠くは縄文期より姫川界隈の翡翠は利用されていたことが知られている。


姫川下流の丘陵地にある縄文時代中期の長者ヶ原遺跡からは、ヒスイの大珠(おおだま)や勾玉(まがたま)、加工道具、工房跡などが昭和20年代から続々と出土されているという。 
即ち、縄文期の紀元前4000年頃の世界最古のヒスイ文化が実証され、古代人に装飾品として愛用されたヒスイは、この糸魚川地方から北海道より九州まで全国に行き渡っていたことも明らかになっている。 

更に、糸魚川から全国へ、海から遠く隔たった内陸部や大平洋岸までヒスイが運ばれているという。 
陸奥の国(青森)の「三内丸山遺跡」は、縄文期の4000〜5000年前の遺跡と言われるが、ここでも多量の遺跡の中に、当地の翡翠は相当数発見されているという。

その後の神話と歴史が混在する弥生時代後期から古墳時代には、古志(越)の国の「奴奈川姫」という女王が翡翠の勾玉を身につけ霊力を発揮して統治していた。 
古代人は、勾玉というのは神霊の依り代とも考えられていたもので、重要な神宝として神祭の儀式には必ず用いられた。 このような重要な祭器であったから、特に霊力の強い勾玉は「三種の神器」の一つとなったといわれる。

この神器は、神話では国生みの神・伊邪那岐(イザナギ)が、天照大神に高天原の統治権の象徴として三種の神器を与えたものとされ、邇邇芸命(ニニギ)が天孫降臨の際、これをお護り・御守りとして持参し地上に降り立ったといわれる。 
後に神武天皇まで継承され、天皇家の三種の神器の一つとなった。
 

三種の神器とは王の権威を表すもので、神鏡=八咫鏡(やたのかがみ)、神剣=草薙剣(くさなぎのつるぎ)、それに、神璽(しんじ)=八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)とされる。 

鏡と剣と勾玉は、古来日本民族が愛し崇敬してきた対象であったが、特に皇宮に永く継承されている三種の神器は、日本全体の祖神ともいうべき「天照大神」の時代に端を発し、日本の歴史において特別重要な意味をもっている。 そして元来それは君民一体の日本民族の精神であり、心の拠り所とされるものでもある。

神のしるしである神璽と呼ばれる「八坂瓊勾玉」は、翡翠などの石を磨いてつくった勾玉(,カンマのような形の玉)をたくさん紐でつないで首飾り状にしたもので、製作者は玉祖命(タマノオヤノミコト)と呼ばれる職人集団の祖神とされる。 
玉祖命は岩戸隠れの際に八尺瓊勾玉を作り、その際、天孫降臨の時ニニギに附き従って天降るよう命じられ、五伴緒(いつとものお:ニニギの降臨に従った五神)の一神として随伴したという。 

家庭の神棚の向かって右側に飾る眞榊は、この天の岩屋の前に神々がお立てになった、鏡と勾玉をかけた神木を模したものといわれる。


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日本周遊紀行(229) 糸魚川 「奴奈川姫と翡翠」 .

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日本周遊紀行(229) 糸魚川 「奴奈川姫と翡翠」 .




親不知ピアパークを横に見ながら、青海から姫川を渡り「糸魚川」に着いた。 
思えば昨年秋、日本周遊の旅へ出発した折、先ず、東日本を巡る旅程でここ糸魚川より日本海を北上して行ったものである。 
そして遂に今日この日、西日本周遊を終えて同じ地に立ち、日本一周を完遂したのである。 

先ずは、自分自身に「オメデトウ」といってやりたい。
ここからは内陸・松本へ通じる、所謂、往時の「塩の道」と言われた千国街道(糸魚川から言うと松本街道、松本から言うと糸魚川街道)のR148を行くことになる。 
姫川の流れが「お帰りなさい・・」と言ってくれている様である。 

大儀・・!!、大儀・・!!。


前回、東日本周遊の際は、この姫川の糸魚川を経て日本海沿いを北上していったのであるが、その時、姫川や翡翠、糸魚川−静岡構造線(フオッサマグナ)のことは若干であるが述べた。ここでは更に、糸魚川や姫川、その周辺について伝承的な意味合いで検証してみたいと思う。

尚、2005年(平成17年)3月19日:旧糸魚川市、能生町、青海町が合併して現在の糸魚川市となっている。
糸魚川の南駅前に「ヒスイ王国館」という仰々しい名前の御土産屋がある。 
駅前から海岸に向って進むと大町の商店街にこざっぱりした公園がある。 
ここは以前の旧糸魚川市役所の跡地でもあり、この一角に「奴奈川姫の像」が建つ。 
その像は、左手にヒスイを持ち、下につかまっている子供は「建御名尊」(タケミナカタ)だそうである。 
又、駅南側の現市役所の西隣に「天津神社」、「奴奈川神社」が同一敷地内に並んで建ち、殆ど同じような造りの建物で、いずれも市街地の中にコンモリとした深い緑に囲まれて鎮座している。

奴奈川神社・本殿内部には平安期・藤原時代風の木造「奴奈川姫像」が安置してあり、又、天津神社の祭神は、中央に天津彦々火瓊々杵尊 (ニニギ)、左が天児屋根命 (アメノコヤネ)、右が太玉命 フトダマノミコト)である。 

ニニギは御存じ九州・高千穂に降臨した天孫降臨の祖であり、又、天児屋命も日本神話に登場する神で岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出したとされる。 そして天孫降臨の際ニニギに随伴し、中臣氏(藤原氏、神事・祭祀をつかさどった中央豪族)などの祖となったとされる。 
所謂、この三神は天孫族(大和朝廷系)の神々である。
天津神社は糸魚川一の宮で、近年は 「けんか祭」 として知られている。 
近郷近在では昔から 「十日の祭り」 と呼ばれ、祭日は毎年4月10日で、この日待って春はかけ足でやってくるといわれる。 
一方の奴奈川神社の祭神は、奴奈川姫命で後年に八千矛命(ヤチホコノミコ)を合祀したという。 
両神は夫婦神であり、八千矛命は出雲の大国主の別称でもある。
  

昔、高志、古志の国(越の国)の豪族で、その姫の名を奴奈川姫(ヌナカワヒメ)と称し、現在の新潟県西頸城郡を支配していた古代女王であったともされる(古事記)。 
糸魚川や青海地方の特産品である祭祀具・翡翠を支配する巫女であったとも言われる。 
奴奈川姫という名は、「奴奈川」つまり糸魚川市を流れる「姫川」のことで、当地方の女王を意味しており、又は、個人名ではなくこの地方の代々の女王一般を指す場合もあるともいう。

この頃、出雲の国を中心に勢力を各地に伸ばしていた大国主の命は、能登半島に上陸し少名彦命と力を合わせ、地方を平定開拓するともに、越(高志、古志)の国の貴石・翡翠の覇権と美姫と噂された奴奈河姫を求めて越の国に渡ることになる。 

大国主は一旦、能登の国に漂着し、邑知平野(おうちへいや)を開拓(七尾市・気多本宮、羽咋市・気多大社)し、伏木港より越の国の居多ヶ浜(上越市)に上陸、身能輪山周辺に居を構えたとされる。(居多ヶ浜や身能輪山は現在の上越市・直江津の西海岸とその近辺で、往時は越後国府があり、又、すぐ南に上杉謙信の「春日山」も在る) そして越後の開拓や農耕技術、砂鉄の精錬技術などを伝えたという。

美姫・奴奈河姫に想いを寄せていた地元の根知彦は、大国主の出現にひどく怒り居所の身能輪山に乱入したが結局、大国主が勝利し、姫の元に通いながら結婚することになつた。 
その後、奴奈川姫と大国主命の間に男子が生まれる。 
この息子が諏訪大社の祭神・建御名方命である。


一般には、奴奈川姫と大国主神の物語は神代のロマンなどといわれているが、古事記における二人の問答を見る限りでは二人の出会いはかなり非情なものであったともいわれる。 
大国主神は侵略と脅しで姫を追い詰め、一方の奴奈川姫はひたすら命乞いをしていたともされている。 
結局、奴奈川姫は大国主の子である建御名方命を産むのであるが、奴奈川神社(大正10年再建)の社伝によると、その後、姫は大国主の手から逃れ、悲運を辿ることになるという。 
その息子の建御名方命(タケミナカタ)は地元の女神である八坂刀女姫と結ばれ、建御名方命は諏訪上社に、八坂刀女姫は諏訪下社に祀られている。 
真冬に諏訪湖の氷が盛り上がって割れる「御神渡り」は建御名方命が八坂刀女姫のもとに通ってできるものだといわれている。


暫くして、大国主命は本国の出雲に帰ることになるが、姫に一緒に出雲へ来るように説得する。 しかし、姫は出雲へ行くことを嫌った。 
それは出雲には大国主の別な妃もいたし、それに大切な翡翠を守るという使命があったともいう。 
それでも大国主は強引に連れて帰ろうとするが、姫は途中で逃げ出し追手に追われることになる。 
そこで姫は姫川の奥深く逃げ込んだが、追っ手が厳しくなり無念の自殺をしたという。 
又一方では、途中で諏訪から息子が迎えに来て、姫川山中で余生を送ったともいわれる。 
姫川沿いには、姫にまつわる伝承や史跡が多数残るという。


次回は、「天津神と出雲神」




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