村上城と戊辰戦争
藤基(ふじもと)神社享保2年(1717年)創建という 藤基神社です。 ここには、村上の鮭産業に貢献した 青砥武平治に関する石碑が建てられているというので出掛けてみましたが 戊辰戦争に関する石碑もありましたので、記事を分けてみました。 藤基神社社殿は総欅造りで、日光東照宮と同じ権現造りの建物です。 8年の歳月を費やして造り上げたものです。 村上の生んだ工匠 有磯周斎による かご彫りとよばれる彫刻の傑作を各所に残しています。 ご祭神は、徳川家康の異母弟にあたり 徳川家17士のひとりでもある 村上藩の藩祖 内藤信成候 10代 内藤信敦候、11代 内藤信思候 を祀っています。 八幡大神、誉田大神、火帯姫神 稲荷大神、倉稲魂神、秋葉大神 火産霊神、それに 学問の神である 菅原道真候を祀ってあります。 『種川碑』に並び、境内にはもう3つの石碑がありました。 『忠魂碑』 藤基神社の氏子でもある村上藩の旧士族が 日清日露の戦争において 勇敢に戦って 戦死した人の霊を祀った慰霊碑。 『村上藩士殉難の碑』
戊辰の役において
奥羽越列藩同盟の一員として新政府軍と勇敢に戦い 殉難した家老である鳥居三十郎 以下 村上藩士18名の名前を刻した追悼の碑。 『鳥居三十郎碑』 村上藩は奥羽越列藩同盟に加盟し新政府と戦うが 藩論は 交戦派 と 恭順派 に二分され 対立のまま戊辰戦争の集結となった。 その時の家老で、29歳の若さで 戊辰戦争の責任を一身に背負い自決した 鳥居三十郎の追悼碑。 今日の村上市を戦火から守った功績は大きい。 たまたま出合った また別の歴史。 私自身知らないことが多いので、村上の戊辰戦争について少し調べてみました。 ここから先は自分の勉強のため。。。 歴史関連サイトさんから参照させていただきまとめてみました。 ■鳥居 三十郎■ (天保12年(1841年)〜 明治2年6月25日(1869年8月2日)) 内藤氏の菩提寺 光徳寺にて村上城址麓の 光徳寺 にある 8代藩主・内藤信民のお墓です。 戦乱の時代、19歳の若さで藩主の勤めは 重荷だったのでしょう。 お気の毒な最期でした。 同じお寺のお墓のなか、偶然に見つけたものがこちらでした。 大栗峯右衛門 の墓 と 添え書きがありました。 説明書きをみると、どうも 城館に火を放った人物のようでした。 慶応4年8月11日没 享年60歳 (こちらは、調べてみても これ以上の詳しいことは分かりませんでした。) 鳥居三十郎の菩提寺 安泰寺にて安泰寺は村上藩主・内藤氏の先祖 信成候が、本体如然清庵宗徹禅師を招いて開いた寺で、内藤氏の移封と ともに、天保5年(1720年)村上に移り藩主の学問所であったといいます。 明治2年6月25日、戊辰戦争に村上藩が官軍敵対した責めを 一身に負い、家老・鳥居三十郎が切腹したのは菩提寺である この安泰寺でした。 この戦いで村上藩は、奥羽列藩同盟にくみして幕府軍となりましたが、鳥居三十郎は城下を戦火から守るために羽越国境(山形との県境)へ兵を率いて戦いました。 これにより、村上城下は殆ど被害を受けませんでした。 鳥居三十郎 享年29歳。 墓地は羽黒町の宝光寺にあり 遺品等は村上市郷土資料館に展示されています。 この“安泰寺”のある場所が 『塩町』 という地名なのですが それについての説明版がありましたので、一緒に載せておきます。 元和(1615〜1624年)の頃の越後村上城図に小町の東隅に 「シヲ町」 の名がみえる。 寶光寺にて先に述べたように 鳥居三十郎の菩提寺は安泰寺ですが お墓はこちらのお寺にあります。 墓所を探しながら歩いていると
「鳥居三十郎先生御墓所」の文字が飛び込んで来ました。 昭和43年、百年法要を機に建てられたもののようです。 墓石の側面には俗名と 反対側には
切腹の日。。。 明治2年6月25日の文字が刻まれていました。 村上市郷土資料館にておしゃぎり会館の2階にある 「郷土資料館」 には、鳥居三十郎の遺品が展示されています。
村上藩家老 鳥居三十郎所用 種別 大小拵
工 桂一明一作造 鳥居三十郎所用
印鑑 (写真手前) 財布 (写真奥) 鳥居三十郎所用 陣羽織の半襟 |





