下町巡り@湊周辺にて
石山味噌醤油(株) 味噌蔵昔の運上所道(現・湊町通り)にある 石山味噌醤油(株) です。 創業 明治39年の 老舗の味噌・醤油屋さんです。 ここから見える味噌蔵は創業当初からのもので 2000年4月に噌蔵3棟が 有形文化財に登録されています。 現在でも、昔と同じようにこの味噌蔵で味噌を作っているそうです。 味噌は生き物と同じ。。。 杜氏の腕ももちろんでしょうが、「蔵ぐせ」とでもいいましょうか 長年使い込んだ蔵からこそ、美味しい味噌も出来上がるというわけで 味噌の味が変わるのを嫌い、蔵の建て替えをする事なく今日まで来ているようです。 それが返って有難く、この界隈が賑わっていた頃の面影を残してくれています。 お休み処 “竈屋 治四郎” があります。 米どころの美味しいお米と お味噌屋さんのお味噌を使った料理も 一緒にどうぞ! お料理の記事は こちら! 大橋屋本町通りにある 老舗の料亭 大橋屋さんです。お店の歴史は古く、慶応2年(1866年)に、初代・太吉氏が新潟奉行の下屋敷を買い取り 鮮魚仲買商を始めたのが始まりです。 新潟の有名な老舗料亭に 鍋茶屋 がありますが、鍋茶屋の創業が弘化3年(1846年) と いいますから、僅か20年差。。。 遜色ないほどの歴史です。 三代にわたり鮮魚仲買を営んでいましたが、四代目の時にお座敷を設け料亭を始めます。 現在の本館は昭和8年より着工、昭和10年に完成した 木造3階建ての建物で 特徴ある料亭建築物として 平成15年に国の登録文化財になっています。 周囲の住宅が新しい建物になっていますし その間に挟まるようにある大橋屋さんの入り口も、新しく綺麗な玄関になっているので 見落としてしまいそうでした。 よく見ると、玄関先4間の間口いっぱいに銅板葺の雁木が取り付けてあり 雪国らしい風情が感じられ、大橋屋さんの目印ともなっているようです。 江戸時代の新潟町では、間口4間(約7.2m)の細長い屋敷地に 切妻造りで妻入りの町屋を建てるのが一般的でした。 このお宅の敷地面積からみても、間口4間相当の新潟奉行の屋敷跡を受け継いだのでしょう。 3階部分は正面からは見えないので、一見して小さい建物のように見えますが 奥行があるので、内部に入るとかなり細長い造りになっているようです。 2階外観の銅板の壁が、自然と調和するような独特な色合いを持っていて この部分を発見した時に、昭和初期からの歴史を感じられました。 江戸時代には、町や店ごとに販売できる商品や仕事が決まっているものがありました。 例えば、川を下ってくる材木は、現在の上大川前通1〜4番町 反物は本町5番町〜10番町の表店(おもてだな)と書かれた店 漆器は古町通7番町、魚問屋は本町通11番町〜西側以外では商売出来ませんでした。 大工や指物師、風呂屋、髪結などは、株を持つ限られた職人や店しか仕事が出来ませんでした。 幕末の頃、 “古鍛冶町” と呼ばれたこの場所は、現在の本町通11番町で 創業当初、鮮魚仲買商だったことからも、昔の商売区画が分かる貴重な建物でもあるわけです。 長音寺浄土真宗 本願寺派 長音寺 です。 湊が栄えていた時代、この近くには遊廓があり 夕方から栄えた事に由来する町名のようです。 御本堂は、嘉永6年(1853年) 村上藩主から 寄与された山のケヤキで建てられています。 また、御本堂の軒平瓦には “潮音堂” の文字が 見られ、これも湊町らしい名前だと感じましたが 寺名の「長音」 と 「潮音」 の響きが 同じ 「ちょうおん」 な事からも、どちらかが当て字なのかも知れないな。。。 と思いました。 お盆が終わろうかという時期にも関わらず、お寺の扉は閉ざされていたため 内部の様子は見学出来ませんでした。 しかし、御本堂前面の彫り物は素晴らしかったです。 虹梁や木鼻の彫り物は、村上の生んだ工匠・有磯周斎の手によるものだそうです。 藩主は山やケヤキだけでなく、大工や彫師も送った。。。という事でしょうか?!
村上堆朱で知られるように、村上には彫り物の伝統文化があります。 この、村上堆朱の生みの親が周斎であり、1850年に造られた村上大祭のおしゃぎりの中にも 当時町内に住んでいた周斎が中心となり、大変豪華な彫刻が施されたものがあるそうです。 過去記事でも、有磯周斎の彫り物がある 藤基神社 を訪ねています。
水に関係する生き物を彫り込んだのも、湊町らしい演出なのかも知れませんね。 訪問日 : 2011年8月18日(木)
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