バンビと少年キム
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電車の中で、50代のおじさんが所々白いものが混じったヒゲを指先で撫でながら熱心に読書をしている。何を読んでいるのか気になって書名を見ると「バンビ」。バンビ!? あのディズニー映画のかわいいバンビちゃん。「子鹿のバンビは可愛いな」のバンビちゃんをこのおっさんは読んでるのか。どんだけめでたい脳味噌してんねん。
電車の中ではないにせよ、白いものが混じったヒゲを指先で撫でながら熱心にバンビを読んでいた50代の男性は私である。ディズニーの映画を見て、子鹿のバンビは可愛いなの歌を口ずさんだのは少年の頃、さすがに大人なってバンビちゃんの原作を手にするとはつい最近まで思ってもみなかった。ところがどっこい大作、原作は子供たちだけのものにしておくにはもったいないほどの名作なのである。副題に「森の、ある一生の物語」とあるように、季節の移り変わりと生き物の誕生と死を描いた極上のファンタジーだった。
「児童文学」「誰もが知ってるバンビちゃん」「しかもディズニーの可愛いキャラ」。これだけのバイアスがかかってしまうと、まともな大人は手を出すのをためらうだろう。まともな大人じゃなくってよかった。それにしても、岩波少年文庫というのは恐ろしい。『トムは真夜中の庭で』を書いたフィリパ・ピアスの『真夜中のパーティー』という短編集も同時に読んで大満足。こちらは子供時代のささやかな場面をスケッチしたものを集めたもので、これを読んでから、北杜夫の『幽霊』を読み直してみて、僕も自分の幼年時代の記憶の中にしばし遊ぶことになった。
もう一冊、さまざまなバイアスが邪魔をしてこの年になるまで読まなかったのが、『少年キム』(ラドヤード・キプリング ちくま文庫)だ。キプリングは『ジャングル・ブック』の作者だということは知っていた。でも、「児童文学」「帝国主義者」「進歩的知識人からは嫌悪と侮蔑され続けた作家」となると、なかなか手が届かない。でも、いざ読んでみると作品の世界に没入してしまって、そんな評価はどうでもよくなる。
舞台は19世紀末、イギリス植民地であるインド。キムは白人の両親の元に生まれるが、両親を失い、貧民街の浮浪児として育つ。そこでキムは「みんなの友だち」と呼ばれる。父の遺言である「緑野の赤牛」を探そうと、同じく究極の解脱のために「矢の聖黄」を探すラマ僧の弟子となってインドを旅する。そこで、「闇の戦争」(イギリスとロシアの諜報戦)のためのスパイになるところは怪傑ハリマオみたいなのだけど、とにかく出てくるインドの多様な人々とインドの大地の描写がすばらしい。純真な魂のラマ老僧と生き抜くための知恵を身につけた少年キムのコンビもすばらしいし、アフガン人の馬商人マハブブ・アリとか、ベンガルの偽医者ハリー・バーグーとか、クルの奥方とか、シャムレグの姫君とか、民族も宗教もごちゃごちゃになってこれがまたインドらしい。110年前に書かれた物語なのに、ことばの隅々に瑞々しさが保たれているのは訳者の力もあるに違いないが、やっぱりキプリングの、時代の底に流れるものを見極める目の確かさがあるからだろう。
児童文学というジャンルは子どもが読む本ではなくて、「たましい」について書かれた本なんだな。
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「バンビ」の原作ってディズニーアニメのバンビちゃんのイメージと相当違うんですってね。ある作家さんのエッセイで書かれていてびっくりしました。牛男さんもそう感じられたのですね。これは読んでみなくては…。
2011/12/25(日) 午後 10:11
あんごさん。そうなんです。僕も、ル=グウィンのエッセイを読んで、初めて手にとって驚きました。この本をディズニーの中に閉じ込めおくのはもったいない!
2011/12/27(火) 午後 7:50